【シリーズ・この人に聞く!第159回】落語家 林家ひろ木さん

一昨年春、真打となり益々活躍の場を広げる林家ひろ木さんは、人気長寿テレビ番組「笑点」で黄色のお着物で登場する林家木久扇師匠のお弟子さんのおひとり。早稲田大学在学中から落語家を目指したという異色の存在。津軽三味線を得意とする気鋭の落語家に、仕事と子育てについてじっくりお聞きしました。

林家 ひろ木(はやしや ひろき)

落語家。本名は沖上比呂志(おきがみひろし)。1979年生まれ、広島県出身。特技は津軽三味線(故・太田家元九郎に師事。現在、澤田勝成に師事)。2002年4月 林家木久蔵(現・木久扇)に入門。2005年11月 二つ目昇進。2017年3月 真打ち昇進。現在、全国各地で活動中。主な持ちネタ落語は、「初天神」「反対俥」「新・大安売り」「時うどん」「熊の皮」「火焔太鼓」「読書の時間」「初恋」「クイズの王様」ほか多数。津軽三味線では、全国の民謡、アニメソング、ポップス、ロックほか多数を奏でる。

ワクワクする仕事に就きたくて。

――師匠は早稲田大学ご卒業されていらっしゃいますが、何がきっかけで落語家に?

早稲田大学人間科学部を卒業しました。中高時代、陸上部でしたので小出監督(高橋尚子を育てた監督)のようなスポーツトレーナーになりたくて、スポーツ科学を勉強する学科へ進みました。広島の高校から推薦入学で大学進学を果たして、入学してみたものの・・・早稲田は競走部という体育会は5千メートル15分で走るレベルの人が入部条件。僕が予想していたレベルを遥かに超えて、夢がいっきに砕かれてしまって…。

大学時代の友人と。大学3年生で林家木久扇師匠を訪ね弟子入りした。

――陸上部を競走部という早稲田大学も気合が違いますね。その後、師匠はどのような道を?

自分探しの旅をしていました。父からはずっと公務員になれと言われ続けてきて…田舎で公務員になることは自分なりに楽しい未来が描けなかった。自分が一番ワクワクするような仕事に就きたいと思っていました。昔からお調子者でお笑いも好きでした。落語家というよりも、コメディアンに憧れていたので吉本新喜劇もずっと観ていましたし、大学生になってからはジム・キャリーさんとか、渥美清さん。その同じライン上にうちの師匠がなぜかいたのです。

――落語家もコメディアンというカテゴリー。そうかもしれませんが新しい視点ですね。

ワクワクする仕事。やっぱりコメディアンになりたいな~と思って早稲田通りを歩いていたある日、空から師匠が降りてきた。直感というか、ひらめきです。さっそくインターネットで調べたら直近で千葉県の某所で落語会があることを知って開演前に楽屋へ伺いました。「日本のコメディアンといえば、渥美清さんか師匠だと思います。渥美さんはもう亡くなっているので、師匠に弟子入りさせてください」とお願いをしました。師匠はそれがすごくうれしかったようです。ロビーで木久蔵ラーメン売って、師匠の高座もその時初めて聴いて、客席は大爆笑でしたからこの師匠で間違いない!と思いましたね。たまたま前座も不在でしたから、運よく入門できました。大学3年生の時のことです。

――大学3年生で入門を?普通の学生が就活する頃に、もう道を決められたのですね。

それまで将来の仕事を悩んでいましたが、やっと見つかった!と師匠のもとへ入門することを決めました。親には卒業だけはちゃんとしなさいと言われたので、それは約束して卒業しました。民間企業は一社も受けずに2002年4月1日に入門しました。学生時代は所沢に住んでいましたので、師匠とは文通していました。メールはありましたが携帯だとiモードの時代で、当時は師匠メールをされていませんでしたので。師匠が赤ペンで添削してくださって、手紙の書きかたから、行間は1行空けるものだ…など赤入れしながら教えてくださいました。20通、30通ほどになりましたかね。今でも束にして宝物として残しています。

根はマジメ、のん気なお調子者。

――ひろ木師匠は子どもの頃、何をするのが好きでしたか?

広島では「調子乗り」といいますが、調子に乗りやすい子どもでした。先生のスカートをめくったりして、よく怒られていました。いたずらして叱られてもめげず授業中もマジメな時にふざけたくなっちゃう。みんなで野球したり相撲したりサッカーしたり、学校が楽しかった。2歳違いの姉が通っていた書道教室に、一緒に通うことになって、小学4年生でサッカーをやめなくちゃならなかった。でもそこで字が綺麗だと褒められたりして、今度は書道教室が楽しくってハマって、結局高校1年生まで続けました。そろばん教室は小4から中3まで続けました。田舎なので他に選択肢がなく(笑)。広島の中でも山奥で育ったので。

小6の頃、自宅の庭で花火を楽しんだ。

――お調子者というかマジメな性格だったのがわかります。自然豊かな環境でお育ちになったのですね。

参考書買うのも30分車で走って隣町まで行かないと入手できないところでした。マジメでもお調子者だから、母が私のことでちょくちょく学校に呼び出されていたある日のこと。母が玄関で泣いていた…その姿を見て改心しました。小学5年生の頃です。お調子者からマジメに勉強する優等生キャラに転向しましたが、大学生の頃になって地が出てきて…(笑)やっぱり素は変わっていなかったか!と。

――素があってこその今ですね。落語家に必要なスキルってどういうものでしょうか?

たった一人でも荒野に立っていられること。落語家は一人の仕事。マネージャーさんが仕事を取ってくれるわけでなく、全部自分でやらないといけません。営業して、ネタも作って…自分で開拓していく力が必要です。ガツガツしていない僕はそれが一番足りていませんが(笑)。やればやるほど、その力は必要だと思います。仕事がない期間もありますし、自分からつながりをもっていかないと何もうまれません。うちの師匠は「大変だと思わないで、何でも面白がってやることが大事だ」と。僕はのんきで適当な面もあるので、それもよかったと思います。

――浅草演芸ホールで3月1日から10日まで10日間リーダーを務められました。特別な場所でのお役目は感慨深いものでは?

一つひとつが真剣勝負です。2017年3月に真打となり、特に感じます。浅草演芸ホールでの昼の部リーダーは、今年で2回目でした。寄席でトリを取ることは大変です。なぜなら、前半に面白い方や上手い方がたくさん出演され、キャリアも先輩の方々ばかり。去年はうちの師匠と小朝師匠が出演されて、それをみるとお客さんが満足してホールを後に帰ってしまう…。プレッシャーのあまり去年は8日目に高熱も出てしまいました(笑)。子どもの知恵熱みたいですね。

子育ては愛情いっぱいに、あったかく見守る。

――故郷の親御さんは師匠が噺家として活躍されているのを喜ばれているのでは?

実は、7年間私の存在を隠し続けられていて、ご近所に職業は銀行員ということになっていました。でも実家に帰るたび、三味線の練習をしていたら「あの演奏は一体誰が?…」と聞かれるようになって、ついに告白したようです。実家はかなり田舎でして…芸人=カタギの人ではない…と見做していたのでしょう。落語家だと正直に公表した途端、多くの方が応援してくださるようになって村一番の芸能人になりました。おじいちゃんおばあちゃんたちが「村の宝じゃ」とたくさん握手してくれて、横断幕を作ってくれました。地元で落語会を10年以上続けて開催しています。

前座時代。鈴本演芸場の楽屋にて(一番右側)

――5歳の娘さんを子育て中とお聞きしました。子育てで大切にされていることは?

お父さん5年目なので…いろんな人に子育てについて聞いて参考にしています。ハウツー本に影響されやすいので(笑)、東大合格の子どもを三人育てたお母さんの本を購入し、くもんを昨年からさせています。また、師匠の弟子教育も参考にしています。愛情いっぱいかけて、アドバイスをしながら厳しさよりあったかく見守ること。応援し続けることです。師匠のエピソードですが「僕が小さい頃、おばあちゃんに絵をたくさん褒められて、絵を描くようになった」そうです。また、師匠が最初に就職したメーカーを数ヶ月で辞め、漫画家も3年で辞め、噺家になると言った時も、いつもお母さんは「ひろくん(本名:洋)なら大丈夫!」と言って応援してくれたそうです。

――小学校へ出張高座などたくさんされているようですが、落語が聞けるなんて今の小学生がうらやましいです。

世田谷区では日本語という授業があって、その学習枠で呼ばれることが多いです。でも教科書を見せてもらったら、日本の伝統芸能に歌舞伎、能、狂言、人形浄瑠璃などは載っていましたが落語はなかった。載っていないのに呼ばれています…(笑)。話の内容は学年によって少しずつ変えています。小学生にとって1時間は長い。45分くらいがベストです。

――伝統芸能である落語、これからどんな展開を考えていらっしゃいますか?

師匠に「球を投げ続けることが大事だ」と言われています。師匠も、ラーメンだけでなく木久扇ナポリタンという新商品を出したり、歌を出したり、毎年本も出版したりして、球を投げ続けています。私も、最近では修行時代のエピソードを「前座ヒロキくん」という四コマ漫画に書いて、SNSにアップしました。また、今後はロボットと掛け合いしながら落語をやったらどうか?ドローンの専門家になろうか?など、楽しみながらできることを考えています。
師匠は自分を売るのも得意ですが、弟子を商品のように売り込むのも上手です。どうやって売ろうか、早く一人前になってほしいと。その期待に応えるためにも、早くメジャーになって恩返ししたい。自分の口調や声質から分析して名人は無理なので、師匠のように多勢の人を笑顔にする、怪しいコメディアンになりたいと思います!(笑)

編集後記

――ありがとうございました!真面目で誠実なお人柄がよくわかる取材でしたが、他愛のない些細なお話しで爆笑することばかり。日常すべてがネタになっているのかもしれません。年齢を重ねるほどいぶし銀のような輝きを放ち、人を惹きつける落語家という職業。師匠ならではの笑いをますます多くの方に披露してください。ゲラゲラ笑いにまた高座にも伺います!

2019年3月取材・文/マザール あべみちこ

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