枝垂れ桜の花言葉

春に流れた松日橋

陸前高田市から太平洋に注ぐ気仙川を20kmほどさかのぼると住田町に入る。気仙川の中流から、そろそろ上流になるかなという辺りに、古くから伝わる木造の橋がかけられている。松日橋(まつびばし)という。

松日橋は「流されるように」つくられた橋。大雨で川が増水すると、杉の木でできた6枚の橋板は浮き上がって橋は跡形もなく流されてしまう。どうして流されるようにつくられているのかというと、上流から流れてくる木や土砂などが橋に引っ掛かって水を堰き止め、あたりが洪水になるのを防ぐためだ。流れる橋とはいうものの、橋板は左岸と右岸それぞれ3枚ずつに分かれてワイヤーで繋がれているので、橋をかけ直す際に再利用できる。

同じような構造の橋は、かつては気仙川にたくさんあったようだが、流れる仕組みのオール木造の橋は、いまでは松日橋が唯一の存在。全国的にも貴重なものだ。

松日橋はだいたい年に一度は流されている。ほとんど夏から秋にかけての台風や長雨による増水が原因だ。ところが今年は春先の雪どけ水の増水で流れてしまった。近年では珍しいことだという。

夏や秋に流されるのなら、近所の有志が集まって「まあ都合のいいときにでも橋のかけ替えをすっぺし」と、流失からほどなく修繕の算段が立てられて、1カ月もしないうちに橋は生まれかわる。しかし、困ったことに今年は春だ。春は川の水は冷たいし、田植えのタイミングもある。

「今年はいつごろかけ直しをするんだろうな」と、ぶつぶつ独り言しながら松日橋の近くで写真を撮り撮りぶらぶらしていたら、見覚えのある小父さん、というか年の頃はもう八十はとうに越していそうだからおじいさんというべき人にばったり行き会った。見覚えがあったのは、二年前の橋の修繕を手伝ったときに、橋のこと、地域のことをいろいろ教えてくれた人だったからだ。

「あら、久しぶりです」とあいさつするが、小父さんはまるで覚えていない様子。それにはかわまず、以前に橋のかけ直しを手伝ったこと、そのとき、橋脚に使うクルミの木についてあれこれ話したこと、クルミを切り倒して桜並木にする計画を教えてもらったことなど話し立てていくうちに、ちょっと疎遠な知りあいくらいには認識してもらえたようなので、

「春に橋が流れるなんて、今年はたいへんですね。で、いつなんですか、かけ替えは?」と、ちょっと大きめの声で聞いてみた。

仙台枝垂れ

「以前にも手伝ってもらってたなんて、ありがとうね。で、あんたいいカメラ持ってるけど、橋があった場所の桜の木、見られたか? ぜひとも写真に撮ってけらい(ください)」

橋のかけ替えの話がすり替わってしまった。以前に話したときには勉強になるなあと感じ入ったと覚えているのだが、歳も歳だし少し認知症が入っているのかなど失礼なことを思ったりしながら、「桜って、去年だかに対岸に植樹した桜なら以前にも撮ったことがあるけど」と応えると、

「いや、あっちのでねえ。こっち岸のだ。ほれ」、と小父さんは国道の100メートルほど先を指差して、「ほれ、あそこにゴミステーションの小屋みてえのがあるだろ、あの脇にな、桜の苗を植えたんだ。ちょっとあそこまで行ってきて、ぜひに写真に撮ってけらい」と、しっかりした口調で言った。

ボケてなんかいない。橋の話は植樹した桜の写真を撮ってもらってからだ、ということらしい。

橋のたもと、正確には、橋がかかっていたときには橋の北詰だった場所、国道脇に車3台ほどが縦列駐車できるくらいの空き地の脇の川の土手の前まで行ってはじめて気づいた。そこには花咲く桜の木があった。見落としてしまいそうなくらい小さな木。大人の親指ほどの太さの苗木なのに、釣り竿のようにしなった枝先に、わんさと八重咲きの花をつけていた。苗木には「仙台枝垂れ」との品種名入りの値札も巻き付いたままだった。(値札を見て、1,580円か、ホームセンターで売ってる投げ釣りビギナーセットの値段も、竿の長さもちょうど同じくらいだな、なんてことをそのとき考えたりした)

対岸には、クルミやクリの林を切り倒し、シカ避けの電気柵で守られた桜の苗木がある。こちらは植樹された当初から一丁前の若木といった風情だったが、今年は花を咲かせたのだろうか? ふとそんなことを思いながら、小父さんの待つ国道沿いへ約100メートルを戻る。遠目にも小父さんがニコニコ顔なのがわかる。小父さんは5、6メートルも手前から待ちきれないみたいに話しだす。

「どう、咲いてただろ、見事だったろ、あんなに小さいのにちゃんと花を咲かせてんだよ、花の数はいくつだべな、十くらいかな、いや二十はあるっぺな、あんな細い木からなあ、たくさん花を咲かせてくれて嬉しくてな、いやあ見事だったっぺなあ」

来てくれる人をおもてなししたいから

うなずくほかなかった。はさむべき言葉のひとカケラすら見あたらなかった。そうですよね、などとときどき間の手を入れながら、小父さんの自慢話にニコニコしているのが自分のよろこびでもあるかのように感じていた。そしてそんなときに限って人間というものは、なぜだかバカなことを口走ってしまうものなのだ。

「あの枝垂れ桜、対岸の植樹をしたときに一緒に植えたんですか?」

苗木って言ったって、川のこっち岸とあっち側の苗木では、幼稚園に入園した子と大学生くらいの差があるのだ。仙台枝垂れの苗木には値札まで付けられたままなのだ。それに、この小父さんの笑顔だ。言わずもがな、聞くまでもないこと、無意味であることを通り越して失礼に当たるとも言うべき質問だった。逃げ出したい気持ちからつま先が外に開いていく。それでも小父さんはニコニコ顔のままこう言った。

「いつ植えたのか、正確な日にちまでは忘れてしまったが、今年も今年、ついこないだ植えたんだ。まさか咲くとは思わなねかったんだが、いやあ見事に咲いてくれた。だんだんと成長していきながら、これからも毎年咲いてくれるんだな。そう思うとよ、嬉しくてな」

対岸に桜を植える話は、二年前の橋のかけ直しのときにも話題になっていた。松日橋は県内はもちろんのこと全国的にも貴重な存在だ。しかしあまりにも知名度が低すぎる。この橋が有名になってくれれば、高齢化と人口減少の著しいこの町に少しは人が来てくれるようになるかもしれない。しかし、たとえ松日橋目当てに外から来てくれるような奇特な人があったとしても、ここにはただ木の橋があるだけで何もない。レストランもなければ売店もない(自動販売機ですら、300メートルくらい先にあったものが最近撤去されたくらいだ)。せめて桜並木でもあれば、春の花見の頃にたくさんの人がやってきて、花と橋を楽しんだり、橋が目当ててやってきてくれた人を花でおもてなししたり出来るのではないか。大筋、そういう話だった。(個人的にはこの話には意見があるのだが、別の機会に譲ることにしてここでは触れない)

「そう言えば、橋のかけ直しのことを知りたいんだっけね。実は今日か明日って話だったんだ。んでも、都合の悪い人が多いんで延期になったんだ。たぶん来週の日曜日あたりだっぺね」

小さな小さな枝垂れ桜を、まるで孫かひ孫のことでも語るように話していた小父さんは、しっかり正気の人であった。都合が付けばぜひ手伝わせてほしいこと、そしてステキな桜を見せてくれたことにお礼を言って小父さんとわかれた。

松日橋のない気仙川と小父さんの枝垂れ桜
小父さん、そして仙台枝垂れに会った翌週、橋のかけ直しが行われた
枝垂れ桜が松日橋の名物になる日はいつ頃か……

枝垂れ桜の花言葉は……

昨年行われた対岸の桜並木の植樹はちょっとした大事業だった。樹齢数百年というクルミやクリの大木を切り倒して整地するのに重機も投入した。集落の人たちやボランティアなど、多くの人たちがこの事業に参加した。もちろん地元の新聞にも大きく取り上げられた。そして、当然、あの小父さんもこの大事業に加わっていたはずだ。シカ害予防の電気柵まで取り付けた公園なんてなかなかあるものではない。陸前高田のまちなかにつくられている公園や街路樹だってむき出しだ。造成地にはシカの足跡が数限りないほどなのに。

たぶん小父さんにとって、対岸の桜の植樹は誇るべき事業であったはずだ。なのになぜ、小父さんは枝垂れ桜を植えたのか。あの口ぶりからして、1,580円の苗木購入資金は小父さんのポケットマネーだし、川原の土手に穴を掘り、元肥を入れ、苗木を植えて水をくれたのも小父さんの手仕事だろう。

どうして?

小父さんの年齢のことも考えずにはいられない。枝垂れ桜はソメイヨシノよりも長寿と言われるが、その代わり成長もゆっくりだ。ホームセンターで売っている一番安い投げ釣りセットの短い釣り竿ほどしかない桜の苗木が、小父さんの背丈を超えるころまで小父さんが健在でいられるかどうか、かなり微妙な線だろう。それでも小父さんは桜を植えた。植えたばかりの桜が見事に花を咲かせたことを、あんなに喜んだ。見ず知らず(おそらく小父さんは、ぼくのことを思い出してはいない)の行きずりの人まで巻き込んで花自慢をするほどまでに。

どうして?

その「どうして?」をぼく自身に問うているうちに、枝垂れ桜の新しい花言葉をかたちにしたいと思うようになった。枝垂れ桜を植えた小父さんの気持ちが、小父さんが植えた桜と同じく伝わってほしいと願うから。

枝垂れ桜はこれから長く、あの橋のそばにあり続けるだろう。毎年、美しい八重咲きの花を咲かせることだろう。小父さんが亡くなったあともそうだ。植えたばかりの枝垂れ桜が花咲いて、小父さんがどんなに喜んだことか、そのことを知る人がいなくなってしまったあともずっと。

江戸時代に高田松原の松を植えた人たち、そしていままた復活の松を植えている人たちのこともオーバーラップしてくる。人にとって木を植えるとは、花を愛でるとは——。

大震災を経験したこの土地で編まれる枝垂れ桜の花言葉、そこには「世代をこえる思い」「まだ見ぬ人たちへの愛情」「自分の存在が元素にまで還元された後の世のこと」といった要素が織り込まれていくだろう。そしてそこに、小父さんの笑顔と、ちょっと強引なほどの花自慢が感じられるものでなければならぬ。そして可能なら1,580円という値段が意味するものも隠し味として加えておきたいと、花に代わってそう思う。

そうなのだ。花は身を以て末代の人たちに何かを伝えてくれるメッセンジャーたり得る。しかし花は花自身は何かを語ってくれるわけではないから、伝えてもらう言葉を添えなければならない。いっぽう言葉はその逆で、どんなにすばらしい言葉であっても、言葉だけではやがては朽ちはて忘れられる。これまでに言葉を話す人類がいったい何世代、何億人いたのか知らない。しかし千年をこえて伝えられた言葉はごくわずかしかない。

この地で新しい花言葉と花の物語を編み、花とともに伝えよう。