誰かの臨終のまなざし

私の写真が下手クソな理由、あるいは言い訳

「おい、もう少しなんとかならんのかのう」

父の声が聞こえてくる。「よりにもよって、どげんして人に受けんような撮り方ばっかするじゃろうのう。わざとか。同じものを撮るにしたって、きっと他の人ならもちっとマシな撮り方をする。おっと世間が驚くような写真にだってなるじゃろう。なあんでお前は人が撮らんような変な風な写真ばっか撮るんじゃ」

まったくだ。返す言葉もない。いつも写真を撮るたんび、そんな父の声が聞こえてくる。30年近くも前に父が亡くなる前、「なんかのう、文と絵を組み合わせるような、なんちいうたらいいんか知らんが、そういうのがお前には合っておると思うんじゃがのう」と、父は病床でたしかにそう言った。いまやってることはある意味、父が望んだとおりの仕事だ、と思う。

しかし、絵というものはずっとほとんど描いてない。美大に行かなかったからということではなく、編集の仕事をしている頃にもほとんど描いてない。描いたとしても自分が担当していた雑誌の挿絵や表紙として、いかにもありそうな風に描いたものがいくつかあるくらい。とても父が言っていたような、文章と画像のメディアミックス的なものではない。印刷物になったって、「このイラストは誰が描いたの」なんて聞かれたことはほとんどない。たとえ聞かれても、知り合いのイラストレーターに頼んでね、と答えると、「ああそうか」といった類いの返事しか覚えていない。

知り合いのイラストテーターが描いたといって「ああそうか」と言われるレベルではあっても、「それ誰?」と紹介を求められるようなものではない絵、そんな絵を描かなくなったのは、考えてみれば父が亡くなった頃と同じ頃からだ。

その後はもっぱら写真と文字を合わせるような仕事ばかりしてきた。写真を撮る道具がフィルム用のカメラだった頃はまだ、そんな父の叱責を受けることはなかったが、デジタルになって、撮った写真をその場で確認できるようになって、父の声を聞くことは頻繁になり、いまではシャッターを押して画像を確認するたびに聞こえてくる。

これは変な話だ。叱責する父の声は聞こえる。その声に自分も「まったくだ」と同意する。それなら、父が納得するように再度フレームを決めてシャッターを押せばいい。なのに自分はそうしない。

そりゃもちろん「こりゃあかん」というときは再撮するが、うまく撮ろうと精進しない自分の中には、なんか、父に対して言いたいことがあるのだということを、2018年に思った。

それは——。

それは、なんてもったいぶってワザトらしく言うようなことではない。撮ったところに何かがあるということ、それだけ。

勘違いして欲しくないのだが、「そこに事実があるのだ」なんて報道カメラマンが言うようなたいそうなことを言っているのではない。360度の全周の中からフレームによって切り取られた真実、なんて小っ恥ずかしいことでないのは言うまでもない。視覚を通り越して無意識に働きかける映像なんてアートのおハナシでもない。

撮ったところに何かがある。たとえば、或る日、あなたが道ばたでバタリと倒れました。そのまま息を引き取りました。そのとき、その最期のときにあなたがあなたの眼で見るのはどんな景色だろう。

「もちっと、受けるような画像を撮れんもんかのう」と叱責する父に対して、反論してきたのは、そんなこと。

映像も画像も、現実の一部を切り取るだけのものに過ぎない。

そのことを何度も繰り返し自分の肉体に沁みるように実感してきた。とくに2011年以降。だけど、カメラの映像は現実の一部を切り取るだけのものでしかない。

切り取りようがないものを、どうやって切り取ればいいというのか。

ある人は末期のそのとき、泡立つ泥海の中にあったかもしれない。激流に流されてきた何かに突然ぶつかったのが最期だったかもしれない。身体を引きちぎられて死んでいった人もいる。沖に向かって流されて行く家の柱にしがみついて、海水の寒さと絶望に意識を失って死んでいったかもしれない。

70数年前の戦争でも同じだろう。突然の死、あるいは緩慢な死。その最期のときに人は何を見たのか。

陸前高田市でNPO的な活動をしている人たちを対象に、NPOがいかに活動すべきかをレクチャーするという講座に参加したことがある。NPOは地域の人たちとの連携が不可欠である、という非常にためになる講座だったのだが、その最終回かその1回前か、アウトリーチの手段として、広報活動は欠くことができないから写真の撮り方についてレクチャーしましょうということがあった。

主要なオブジェクトは真ん中ではなく左右上下の三分の一に配置しましょうとかいった話で、よく言われるセオリーを教えてくれるものだった。基本のキの字ではあるが、それはそれで勉強になるものでもあったのだが、聞いているうちに鬱憤がたまった。切り取った後、どうレイアウトするかとう話ばかりで、いかに切り取るかという話がなかったからだ。

繰り返しになるが、ばたっと倒れて死を迎えるとき、つまりレイアウトをどうしようとか考えて頭を動かしたりなんかできない状況の中で、末期に見る映像。年甲斐もなく父に反抗して自分が求めていたのは、そんな絵だった。講師の先生には申し訳ないが、途中で話を聞くのを止めた。

世の中には美しい映像、すてきな構図の画像がいっぱいある。溢れている。だからこそ、黄金分割とか画面構成のセオリーとか関係ない生身の絵が、絵をして人に語らしめるような存在になる場合もあるのではないか。

父は言う。もちっと上手に撮れるはずなのにのう。

父ちゃん、そうはいうけどな、これは誰かの臨終のまなざしかもしれないんだぜ。

サルが人類と呼ばれるようになって今まで、いったいどれだけの人間が死んで行ったの知らん。軍隊やヒロシマで死ととなり合わせの時間を過ごしたときをへて、それから何十年も後に病院のベッドに運び込まれたときにはすでに意識がなくて、父ちゃんの網膜に最後に映ったのがどんな絵だったのかは知り得ない。だけどな。