私が家族と過ごす時間が大切な理由

家族と過ごす時間はかけがえのないものです。それは誰にとっても当たり前なことだと思っていました。けれども当たり前すぎて気づけないこともあります。世の中には、家族と過ごしたくても過ごせなくなってしまった人もたくさんいます。

日々今と向き合っているつもりでも、当たり前すぎていつの間にか時間が過ぎてしまう、それでは遅いと感じます。

当たり前って・・・?

「無いと有る」
「有ると無い」

妻に言われた謎すぎる一言。
皆様は分かりますでしょうか。

そこに当たり前にある時は、当たり前すぎて気づけない。
でも無くなると、あったことに初めて気がつくのだそうです。

同じことをホテル観洋の語り部バスのガイドさんもおっしゃっていました。

語り部さんは、献花台に手を合わせたとき人の手は暖かいことが分かったと思います、とおっしゃいました。でも死んだ人の手は冷たかった。そこで気づいても遅かった。そうなる前に気づくべきだった。当たり前すぎて気づけなかった。語り部さんの言葉がとても印象に残っています。

引用元:【復興支援ツアー2017レポート】地震・津波・原発事故 … 東日本大震災から防災を学ぶ旅 by cha_chan by cha_chan | 全文表示

この言葉を聞いたとき、ふと子供が生まれた時のことを思い出しました。
我が家には2人の子供がいますが、2人とも出生に難がありました。

2人の子供の出生

1人目の子は低体重児で生まれました。産声を上げない、哺乳力が弱くミルクを飲めない、おしっこが出ない、黄疸が出るなど心配事がつきませんでした。そして退院1週間後の検診で心雑音がしたため検査をしたところ先天性心疾患であることが分かりました。

医師からは、このままでは大きくなれないとハッキリと言われました。

大学病院を紹介され2回の入院の後、生後2ヶ月で心臓の手術を行いました。手術のリスクの説明を受けた際、同意書には命に係わることも書かれていました。

幸い手術が成功し、現在経過観察の診察は受けているものの、ほとんど病気は完治しています。手術が成功したときほど喜びを感じたことはありません。

手術の日までは、何かしていないと落ち着かず、毎日同じ病気のお子様をお持ちの方のブログや、記事、論文などを読み病気のことを勉強しました。何かしたところで手術の結果は変わらないのは分かっていながら・・・。

2人目の子は未熟児で生まれました。検診中に心拍が下がりきってしまい、本当にあとちょっとで心臓が止まるところでした。そのまますぐに手術台に運ばれ緊急帝王切開で取り出したため、娘は一命を取りとめました。

2人目の子はお腹の中にいるときから成長がかなり緩やかでした。未熟児で生まれる可能性が高かったため、転院し施設の整った総合周産期母子医療センターに通っていたことが不幸中の幸いでした。

子供たちから教えてもらったこと

何気なさすぎて、自分たちも生きていることの有難さを実感しにくい日々ですが、子供たち2人が、「生きていることは当たり前ではないこと」を教えてくれました。そのおかげで、小さな幸せがたくさんあることも知ることができました。

休日に朝食を家族みんなでそろって食べられること、これが一番の幸せだと妻は言います。

「おはよう」のあいさつをかわすことー

「おやすみ」のあいさつをして眠ることー

一瞬一瞬がとても大切で尊いものです。

子供たちが大きくなれば、一緒にいる時間は減っていきます。息子もそれが分かっているのか、「4人でずっといたい」と最近頻繁に口にするようになってきました。

「僕はママと結婚するから、ちゃーちゃんは妹ちゃんと結婚して。」
「そしたらこの家から誰も出て行かなくてもいいでしょ?」

泣いても笑っても怒ってもその一瞬が宝物です。

「未来に対する希望や目標や夢もたくさんある。でも今すべてが終わってしまっても悔いはない。」

妻はよく言います。

いつでも後悔がないように生きるのはとても難しいことです。子供が一緒に遊んでくれるのは10歳くらいまででしょうか。上の子はもうすぐ6歳。あと4年しかありません。時間は命です。時間は戻せません。今この時間を後悔しないように大切な時間を子供たちと本気で遊んで過ごしたいと思います。

心臓の手術は背中からメスを入れて行われました。手術直前に、傷のない生まれたままの体を写真に残しておきたい、と看護師さんにお願いして撮影しました。