【復興支援ツアー2017レポート】地震・津波・原発事故 … 東日本大震災から防災を学ぶ旅 by cha_chan

食事後は、少し歩いて腹ごなしです。

さんさん商店街から車で5分ほどの所に歩いて渡れる島「荒島」があります。震災により島に続く階段と鳥居が流失する被害を受けました。

荒島周辺は公園になっており、綺麗に整備されていました。

荒島を後にし、しばらく砂浜や公園で遊んだ後、本日の宿泊場所である歌津方面へ車を走らせます。途中、夕食をとる場所を探していたところ、「南三陸ハマーレ歌津」という商店街に立ち寄ってみました。

南三陸ハマーレ歌津。残念ながら時間が遅くほとんどの店舗が閉店でした。

夕食に決めたお店は、さんさん商店街にも出店している「南三陸 竜巳や」さん。これまで海鮮づくしだったため、気分を変えてラーメンをいただきました。こちらのお店はお寿司がメインなので、ラーメンのスープが魚介出汁でとても美味しかったです!妻が「こんなに美味しいラーメンは食べたことがない!」と大絶賛でした。

自分が食べたのは「塩ラーメン」。美味しかったです!冷えた体が温まりました。

食事後は本日宿泊する、日の出の見える宿「旅館 ニュー泊﨑荘」に向かいました。夜間ですが途中、道路の復旧工事を行っている箇所がいくつもありました。6年半経った今でも、まだまだ復興には時間がかかると認識させられました。

ニュー泊﨑荘さんに無事到着し、すぐにお風呂を予約しました。こちらの宿では貸し切りできる岩風呂があります。とても広々としており、ゆっくりと旅の疲れを落とすことができました。こちらの宿はとてもアットホームな雰囲気で賑わっていました。

そして、こちらの宿の一番のお楽しみは「日の出」です!夜は早々に就寝して、朝早起きして日の出を見に行きました。

4日目(11月26日)

ニュー泊﨑荘より

従業員の方に教えていただいた、宿から10分ほど歩いた場所から撮影した日の出。少し雲が出ていましたが見事な日の出を見ることができました!

旅行3日目の宿泊先「旅館 ニュー泊﨑荘」

早いもので旅行も最終日です。本日は震災遺構となった仙台市立荒浜小学校を見学します。館内見学は自由見学が基本ですが、事前相談すれば案内をしてくださるようです。

今年4月から内部が公開された「震災遺構 仙台市立荒浜小学校」
設置趣旨

2011年3月11日に発生した東日本大震災において、児童や教職員、地域住民ら320人が避難し、2階まで津波が押し寄せた荒浜小学校。

被災した校舎のありのままの姿と被災直後の写真展示等により、来館者に津波の威力や脅威を実感していただき、防災・減災の意識を高める場とすることを目的に、本校舎を震災遺構として公開しました。

引用元:震災遺構 仙台市立荒浜小学校|仙台市

校舎は1F、2Fは被災した当時の状況を公開されていました。4Fでは当時のままの教室の様子や、震災当時の様子を資料や映像で見ることができます。屋上も公開されており、震災前後の様子や荒浜の地形を確認することができるようになっていました。

荒浜地区には大きく目立った建物がここしかなく、多くの住民が荒浜小学校に避難しました。荒浜小学校は多くの命を救った校舎ではありますが、津波到達時に校庭にいた人たちが犠牲となった場所でもあるようです。保存に反対された遺族もいらっしゃるそうです。

荒浜新1、2丁目の約300世帯でつくる荒浜新町町内会の大橋公雄会長(67)は地震直後、住民に近くの荒浜小に避難するよう自転車で呼び掛けて回った。住民の反応は鈍かったという。

荒浜は高さ6.2メートルの防潮堤で守られている。高さ2.5メートルの離岸堤も備える。1978年の宮城県沖地震や昨年2月末のチリ大地震津波でも、被害はなかった。

「荒浜に津波は来ない」。体験からそう信じる住民が少なくなかった。荒浜小に避難した住民の中にも、しばらくして自宅に戻る人が現れた。

引用元:<アーカイブ大震災>混乱極み 情報錯綜 | 河北新報オンラインニュース

この地域では200人近くの方が津波に飲まれ犠牲になりました。荒浜小学校の周辺一帯には多くの民家がありました。現在、辺りを見回す限り建物は何もなく、学校以外はすべて津波で流されてしまったことが分かります。

人間には精神の安定を保つために、正常性バイアスがもともと本能的に備わっています。災害が起こるかもしれない、交通事故に合うかもしれない、通り魔に刺されるかもしれないと常に注意していたら精神を正常に保てません。津波はここまでは来ないと信じた住民の判断もある意味自然なものかもしれません。

災害から自分の命を守るうえで、最大の敵は正常性バイアスかもしれません。正常性バイアスに対抗する手段は「津波てんでんこ」のような教えを防災教育として周知徹底するしかないと思います。

実際にこの教えにより避難した釜石市の児童・生徒約3,000人が、生存率99.8%という驚異的な数字を残し、「釜石の奇跡」と呼ばれ世間を驚かせました。

荒浜小学校滞在中はあっという間に時間が経ってしまい、4Fの展示をすべて見る間もなく出発する時間になってしまいました。再度こちらを訪れる機会があれば案内の依頼をしたいと思います。

その後、レンタカーを返し仙台駅で昼食を採り無事帰宅しました。

ツアーを通して感じたこと・学んだこと

まずは小さな子供2人を連れてのツアーが、計画通りに進められたことにホッとしました。半年前にツアーに参加したときより2人とも確実に成長しているように感じました。息子は語り部さんに津波のことを色々と質問していました。家族で来れて本当によかったです。

今回は福島第一原発20km圏内を実際に訪れ、放射線量の高さと、荒れ果てた街並みを目の当たりにしました。自分が思っていたよりも、ずっとずっと復興が進んでいないことが分かりました。

原爆が投下された広島市では人口が元に戻るのに13年近くかかったようです。今回事故から6年半経った浪江町を見て思ったことは、この町の復興には原爆を投下された広島よりずっと長い年月がかかるだろうということです。

また南三陸を中心とした地域の復興の状況も、一部を除いてほとんど進んでいないように感じました。語り部さんのお話にもあったように、復興が格差を広げているのが現状だと思います。こうした問題をどう解消していくかが、本当の意味での復興の鍵になると思いました。

私の住む静岡では、東日本大震災クラスの巨大地震が今起こってもまったく不思議ではありません。ツアーを通して、地震・津波・原発事故について学んだことを防災に活かし、東日本大震災での教訓が無駄にならないよう、災害に備えていこうと思います。