一瞬で街が津波に飲み込まれた様子が分かります。
震災写真展を後に元福祉の里まで高台へ向けて歩きます。
高台を目指す途中、南三陸町の沿岸部の防潮堤について説明してくださいました。現在作っている防潮堤は海抜10m、東日本大震災では津波が陸に入ってくる段階で13m~14mだったそうです。そのため、同じ規模の津波が来たら、津波の侵入は防げないようです。そのため防潮堤を作っても無駄ではないのかという意見も出ているとのことです。
ここには、お年寄りの施設がありました。寝たきりのお年寄りがたくさんおり、社会福祉関係の事務所もたくさんあったそうです。
この街は昔から何度も津波の被害にあってきたようです。その都度、津波を伝える碑がいたるところに建てられました。
上の写真はチリ沖地震が発生し、南三陸町を5~6mの津波を襲ったときに、作られたものです。
写真では分かりづらいですが、街の中を線路が通っており高さがあるため、防潮堤を超えて津波が来ても線路を超えてくることはないと、みんなが考えていたそうです。
語り部さんから、南三陸町の津波の映像でこの場所から撮影されたものがあるので、ぜひそれを見てもらいたいと言われました。津波の映像は、線路を超えてあっという間に高台まで押し寄せ人を飲み込んでしまったということです。
南三陸町志津川高校から見た津波の様子 Tsunami attacking in Minami-Sanriku
語り部さんから教えていただいた映像(5:28)
線路を超えた津波は、先ほどの高台にある福祉の里の1階部分を襲いました。当時寝たきりのお年寄りが多く、職員も少なかったため、60数名がここで犠牲になったそうです。
津波が押し寄せた当時、福祉の里から更に高台にあった志津川高校で部活をしていた生徒が何人か降りてきてお年寄りを助けようとしたそうですが、間に合わなかったそうです。
ここからは再び南三陸ポータルセンターに戻ります。
その間、震災後のお話を聴くことができました。語り部さんのお話では電気の復旧は5月まで2ヶ月かかったとのことです。水道はさらに後だったそうです。ただ、この地域では山間部に井戸をもったお宅がたくさんあったので助かったそうです。
寒さ対策に電気を使わないストーブ(石油ストーブ)を持っていた方がいいと教えてくれました(お湯も沸かせます)。
語り部さんの解説によれば、南三陸町とイースター島にはいろいろな類似点があるようです。
・面積がほとんど同じ
・一番高い山の高さが500mで一緒
・海の町
このモアイのように目が入っているものが本来のモアイ像だそうです。モアイに目を入れるのは魂を入れるということだそうです。イースター島ではモアイは目が入ることで霊力を持つと考え恐れていたため、部族間の争いでまず最初に目を壊すそうです。そのため目が入っているモアイ像は少ないそうです。
もともと仮設商店街がこの場所にあったため、ここに設置されましたが、商店街が移転したためモアイ像も移転することになるようです。
最後に語り部さんから、以下の教訓を教えていただきました。
1.災害が起きる前にできることをしておくこと
2.災害時には、まずは避難を第一に考えること
実際に震災で大切なご家族を失われた語り部さんの言葉には説得力がありました。災害はいつ起こるか分かりません。事前にできることは、後悔のないように今すぐにでもやっておこうと思いました。
次に向かったのは南三陸町さんさん商店街です。こちらで本日の昼食をいただきます。今日は朝早くから動き回っているため、息子はお腹がペコペコのようです。
南三陸町さんさん商店街では、四季に応じて4種類のキラキラ丼が楽しめます!
〇四季のキラキラ丼
3月1日~ 4月30日 「キラキラ春つげ丼」
5月1日~ 8月31日 「キラキラうに丼」
9月1日~10月31日 「キラキラ秋旨丼」
11月1日~ 2月28日 「キラキラいくら丼」
ご飯を食べた後、商店街を見学していると「南三陸の記憶」という常設写真館があったため、入館することにしました。
展示写真は震災で壊滅する南三陸を、恐ろしいほどリアルに映し出していました。改めて東日本大震災の大津波の恐ろしさを知ることができました。
この写真館では、店主による語り部プログラムが開催されているようです。事前予約制なので、次回訪れる際にはお願いしようと思いました。