鹿島の一本松は、原発事故の影響でしばらく人が立ち入ることができない場所に残っていたため、有名になることはなかったようです。残念ながらこの松の木は、復興工事のため切り倒されることが決まってしまったそうです。
ところで福島県の太平洋沿岸地域で発電所がないのは浪江町だけです。この発電所は自分たちのための電力でなく、東京に送るための電力を発電しています。仕事のない地域に発電所を建設し仕事を持ってきたということで、大方の人が建設に賛成ということになってしまったということです。
南相馬市を車で南下していると原発20km圏内に入ったあたりから、黒い袋が山積みになっている場所を何ヶ所も通過しました。フレコンバッグといって1つの黒い袋に1トンの除染廃棄物が入っているそうです。
原発20km圏内に位置する尾高区は昨年の7月に避難指示が解除されたそうです。それから1年経った今、尾高区の人口は震災前の13,000人から3,000人へと激減してしまったとのことです。
語り部さんは、鶏が先か卵が先かと同じで、人がいない場所には街づくりができず、戻りたくても街がないため戻れないことが原因とおっしゃっていました。
また5年も6年も離れた場所で暮らしていると、そこに新たな生活や人間関係が出来上がってしまい、それを捨ててまで戻っても不便な生活が強いられる二重の苦しみを味わいたくないことも人が戻って来ない原因なのでは、ともおっしゃっていました。
浪江町に入ったタイミングで語り部さんから線量計を渡されました。
日本の年間自然放射線レベルの平均値は2.1ミリシーベルトです。毎時に換算すると毎時0.24マイクロシーベルトです。上記の線量計の値は日本のほぼ平均的な線量です。
線量計を渡され訪れた先は「希望の牧場」という場所でした。吉沢さんという方が殺処分から守るため被ばく牛330頭を飼育している牧場です。場所は南相馬と浪江町の堺で放射線量の特に強い場所です。
吉沢さんは、原発事故による避難指示で2ヶ月の間に200頭の牛を餓死で失ったそうです。その後、放射能で汚染された牛を集め商品価値の亡くなった牛をこれ以上増やさないよう去勢して、牧場に残って牛飼いを続けています。牛も吉沢さん本人も被ばくしているとのことです。
牛の飼料代は年間1000万円かかっているそうです。
被ばく牛の中から白い斑点が出た牛が現れました。吉沢さんは国に原因を調べるように訴えましたが、国は一度調べて原因不明とし、その後は薬処分しろと指示して帰ってしまったそうです。吉沢さんは放射線被ばくの因果関係があるものと確信し、原因がはっきりするまで戦おうと決意したそうです。
希望の牧場を後に浪江町を南下します。
浪江町は今年の3月に避難指示が解除されているにもかかわらず、除染作業がいたる場所で行われていました。
次に訪れた場所は、とある民家。この民家の住人は何も知らされないまま避難を指示されました。すぐ帰宅できると思っていたそうですが、結局その後6年以上戻って来ることができませんでした。
浪江町では、住宅の敷地、道路などは除染がされており、線量はやや低くなっていますが、そこから少し外れると除染がされておらず急激に線量が上がります。まだとても人が住める場所ではないように感じました。
実際に浪江町の人口は震災前の21,434人に対して、平成29年11月末現在は440人と帰還率2%となっています。車で町を走っていても外を歩いている人をまったく目にすることがなく、ゴーストタウンのような状態で異様さを感じました。