どうして山に逃げなかった?【復興支援ツアー】

大川小学校の裏山に登ってみた。途中に白い表示があったのが津波到達点なのかと思ったが、それより少し高いところまで津波は襲っていたきたのかもしれない。縦長の小さな窪地のような獣道に沿って、ゴミが点在していた。それが津波の時のものなのか、その後誰かが捨てたものなのかは分からなかった。それでも杉林の坂道を登っていけば、津波が届かない高い場所まで登っていけたのは明らかだ。さらに、津波を逃れて登れる場所はここだけではない。

どうして?

なぜ、少しでも高い場所を目指して登って逃げなかったのか。なぜ津波が到達する直前までグラウンドで待機していたのか。

単純な疑問と、そこでたくさんの命が失われた事実。

たぶん4月になれば、例年同様に大川小学校の校舎にはたくさんのスズメや小鳥たちがやってきて、さえずり声でにぎわうことだろう。でもこの場所に子どもたちがはしゃぎ回る声は戻ってこない。