「ナポリカツ」って聞いてどんな料理を思い浮かべます? ってもう写真で紹介しちゃっているんだけど。
昨年の夏、市民のたくさんの人たちに惜しまれながら閉店した岩手県花巻市のマルカン百貨店。その6階にはフロア全体を使った大食堂があった。日食なつこの「あのデパート」に歌われた大食堂。その代表的なメニューだったのがこれ、ナポリカツ。ナポリタンスパゲッティの上にポークカツという不思議なコラボ。
閉店したデパートの最上階から雪の花巻の景色を見ながら、ナポリカツを待つ。日食なつこの歌がデパートの窓の外の景色にかぶさっていく。
そして、やがて運ばれてきたナポリカツの姿に感動する。日食なつこの歌を忘れてしまうくらいにびっくりする。
写真なんか撮ってる場合じゃない。食べて、そしてこの場所の空気まで食べ尽したいと気がはやる。フォークを突き立てる。どこから食べ始めたらいいのか迷いながら。
ナポリタンスパゲッティに突き刺したフォークをくるくるしていると、缶詰マッシュルームのスライスが出てきて、食べる前から懐かしい気持ちがほとばしる。
窓の外には雪の花巻の町並み。
花巻の、いや花巻を離れた人たちも含めて、忘れることのできない思い出だったマルカン百貨店最上階の大食堂。その場所のメニューのレジェンドのひとつだった「ナポリカツ」。
くるくるフォークでナポリタンを巻いて食べたり、カツを突き刺したり、ケチャップで赤く染まったフォークでシャキシャキのサラダを口に運んだり。
そして、時々窓の外の景色を眺めながらもぐもぐ食べ続けている口が、ナポリタンやポークカツやレタスをもぐもぐしながらも、あの歌のメロディを再び奏で始めた。「ああ、あのデパートの~♪」との日食なつこの歌のリフレイン。
そのデパートはもう去年の夏前に閉店してしまったのだけれど。
特別なイベントで復活したのではない。
食べに行きたいと思えば、また食べに行ける。
そんな状況が生まれたということに、戸惑いのような感情が湧く。しかし、また来たい。何度も来たい。食べたいと思えば、いつでも食べに行けるという気持ちの方が、戸惑いよりもずっと大きい。友だちを誘って連れてきたいと思う。ここに来れば、懐かしい顔に出会える。辛いことも少しの間忘れることができる。
マルカン百貨店に親しんでいたという記憶がどこか遠くの方からやってきて、まるで自分のものになったように思えてくる。
なつかしくて、あたたかくて、きっと幼少の頃の記憶とつながってもいる感覚。
閉店する前のマルカン百貨店を知っているわけでもないのに。
ナポリカツ、うまかった。ナポリタン学会とかのナポリタンもいけど、ケチャップばっかではない、おそらくトマトソースと和えた味付けの感じが絶品。ナポリタンの上に無造作に載っけられたポークカツも、肉は薄めながらコロモと香辛料の兼ね合いがこれまた絶品。そしてカツに掛けられているのがウスター系のソースではなくて、デミグラス系のソースで、それがまた、このナポリタンと微妙で絶妙なハモリを奏でる。
岩手は民話や伝統の宝庫。日本の田舎の原風景みたいなものがたくさん残されている土地柄。中でもとりわけ花巻は、岩手県の中でも芸術や伝統文化が蓄積された特別な場所のひとつ。ここから歩いて5分くらいのところに宮沢賢治の生家があったりもするような場所。だけど——
マルカンビル大食堂のナポリカツは、花巻のソウルフードとかそんな触れ込み抜きに、ただただ楽しんでほしい一品。復活した大食堂のナポリカツ。来て、食べて、その余韻としてツルッツルの雪道も味わってほしいおススメの一品。
ご当地ならではとか、そんな形容詞を忘れて、味わっていただきたい。そう思う。
そう思うので、おススメする。マルカンビル大食堂のナポリカツをぜひに。
すべてのスイッチをオフにして。
そうすることできっとつながっていく。この町のデパートにナポリカツがあったこと。そして、その町にたくさんの、たくさん過ぎるくらいのつながりや結び目があったことが心に満ちてくるから。
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