ヒロシマからの道「オバマ大統領が目にするパネル」

2016年5月27日、アメリカの現役大統領として初めてオバマ氏がヒロシマを訪れることになる。平和記念資料館でオバマ大統領が目にすることになるだろうパネルの一部を紹介しようと思う。オバマ氏は、そして案内する安倍総理はこれらのパネルを目にして何を思うのだろうか。

着物の柄が皮膚に焼き付いた女性
第一陸軍病院宇品分院で撮影/1945ねrん(昭和20年)8月15日ごろ

熱線により、着物の模様の濃い部分が皮膚に焼き付いた。

Kimono pattern burned into skin

引用元:広島平和資料館 図録「ヒロシマを世界に」

広島市の上空で発生した原子爆弾の火球は直径280メートルに達し、約10秒間強烈な熱線を放ち続けた。爆心地の地表の温度は3000℃から4000℃となり、3.5km離れた場所でも火傷を負うほどだったという。

爆心地に近い場所では人間が生きながらにして黒焦げになった。爆心地から離れた場所でも、ポスターの黒い文字の部分が焼き抜かれたものが資料館に展示されている。人が着ていた衣類も同様で、焼き抜かれた着物の柄が、その模様のまま人間の皮膚に火傷の痕を残した。

黒いツメ
浜田義雄氏寄贈
爆心地から900m 基町

浜田義雄さんは赤穂部隊司令部で被爆しました。左手を窓から出していたので、強力な熱線を浴びて、指先が燃えるほどのひどい火傷を負い、ツメと皮膚が垂れ下がりました。その左手の中指、薬指のツメは、黒く変形して生え続けました。

引用元:平和記念資料館のキャプション

異形のツメ
爆心地から1400m/中広町(高橋昭博氏寄贈)

市立中学2年生だった高橋昭博さん(当時14歳)は、朝礼のために集まっていた校庭で被爆し、後頭部から背中、両手・両足に火傷を負い、皮膚が垂れ下がった。
右手人さし指のツメの根元にはガラス片が突き立ち、その後、異形のツメが生え始めた。ツメは厚く硬いのでつめ切りでは切れず、2〜3年たって2センチぐらいに伸びたところで亀裂が入り、ポロッと自然に落ちる。

Deformed Fingernails

引用元:広島平和資料館 図録「ヒロシマを世界に」

皮下出血による紫斑が出た兵士 ほか

21歳の兵士の顔に出た紫斑は、文字通り「死の斑点」だった。

第一陸軍病院宇品分院で撮影/1945年(昭和20年)9月3日

21歳の兵士は、爆心地から1キロメートルいないの木造家屋内で被爆し、背中・右腹などに切傷を負い治療を受けた。8月18日頭髪が脱毛、29日歯ぐきから出血、紫色の皮下出血斑が出はじめ、31日発熱。9月1日のどが痛み、物を飲み下せなくなり、同時に歯ぐきからの出血が止まらず、顔と上半身に皮下出血斑が多発。2日意識不明となり、3日午後9時30分死亡した。

引用元:広島平和資料館 図録「ヒロシマを世界に」

撮影のその日に亡くなった彼は、戦争が終わったことを知っていたに違いない。しかし自分の命を奪った原子爆弾が「第二次世界大戦を終わらせるため」に投下されたものだと彼が知っていたのかどうかはわからない。

広島の原爆死没者名簿には、2015年(平成27年)8月6日に奉納された時点で、29万7684人の名が記されている。