映画「カラカラ」(1月公開)は独自な空気感をもつ、あたたかな気持ちになる作品。特に人生の岐路に立ち、自分の人生を振り返る時期に差し掛かった誰もが心の奥の何かを、静かに感じられるストーリーです。沖縄在住の映画プロデューサー宮平貴子さんへ今回取り組まれた作品紹介をはじめ、ご自身の幼少期から今のお仕事に就くまでをお話し頂きました。
宮平 貴子(みやひら たかこ)
1979年、沖縄県那覇市出身。クロード・ガニオン監督の『リバイバル・ブルース』(03)で撮影助手、『KAMATAKI-窯焚-』(05)で助監督をつとめる。2009年、ユリ・ヨシムラ・ガニオンプロデュースによる日本=カナダ合作『アンを探して』で長編監督デビュー。同作でアジアン・フェスティバル・オブ・ファースト・フィルムのグランプリと最優秀監督賞をW受賞する。2011年、沖縄に制作会社ククルビジョンを設立。映画『カラカラ』(12)ではプロデューサーをつとめ、第36回モントリオール世界映画祭コンペティション部門で観客賞と世界に開ける視点賞を受賞。
映画プロデューサーとして初の作品。
――映画監督や俳優さんには以前このインタビューコーナーでご紹介したことがあります。宮平さんの映画プロデューサーというお仕事はどういうことをなさるのか簡単にご紹介いただけますか。
映画『カラカラ』が初プロデュースの私ですが、ずっと映画を一緒に作ってきたガニオン組から教わったプロデューサーの大きな仕事は「監督のイメージを実現させること」であり、基本的にはいい作品を願う気持ちは監督と一緒です。また、映画は多額の資金が必要になりますから、ときには監督以上に作品の魅力を理解して発信し、例えば出資者や協賛スポンサーを説明・説得しなければいけません。撮影が終わり、作品が完成してからは、様々な映画祭に出品の手配を整えたり、配給会社と交渉したり……。監督以上に映画とつきあう期間も長いですね。現場は監督のものですが、脚本や編集の段階ではたくさん議論を交わします。監督とはパートナー的存在で、意見が遠慮なく言える仲でなくてはならないと考えます。どんなに優秀な監督でも、思い入れの強いシーンで判断が鈍るときがあります。そうしたときは第三者的な立場になって助言したり、監督自身の力と、作品の魅力を極限まで引き延ばすことも映画プロデューサーの務めだと思っています。
――宮平さんは映画監督してもお仕事されていますよね。どちらの立場もできるのは映画を愛しているからということもあるでしょうけれど、器用な才能ですね。この作品のプロデュースに関わることになったきっかけは何でしたか?
ガニオン監督とは長いつきあいですが、公私ともにパートナーであるユリ・ガニオンさんがプロデューサーを務め、ガニオン監督ご自身も製作総指揮として関わった、私の初監督作『アンを探して』(2009年)の沖縄でのキャンペーンで、ご夫妻が一緒に沖縄に長期滞在していました。ちょうど幼馴じみの親友を亡くすなどガニオン監督にとって今迄にない人生の節目が訪れていたときでもあって、そんなとき沖縄のエネルギーや空気にインスピレーションをもらったようです。初めて『カラカラ』の企画を聞いたときは、私以外に誰がプロデュースするんだ、という気持ちでした。そのあと、プロデューサーの仕事の大変さを身に染みて感じることになりましたが(笑)。
――そういう経緯があったのですね。作品の登場人物がまさにガニオン監督が感じられていた心情を映し出す場面がありますね。この作品の一番の見どころは?
私は県出身ですが、この作品の魅力は「沖縄そのもの」を描いている点だと思っています。嬉しいのは、私だけでなく映画をみた地元の反応が「ほんとうの沖縄だった~」という声が多いことです。それは、ガニオン監督自身が行った緻密なリサーチによるロケ場所選びや、地元にこだわったキャスティングというだけでなく、空からの騒音、沖縄独特の緑の深さ、明るいだけではない「海」の存在感など、ある意味、誰も当たり前すぎて描こうとしてこなかった、『普通の沖縄の空気感・日常』がみえてくるからではないかと思います。そして、そこに人を元気にする沖縄のチカラがある、そういうことを感じていただければ幸いです。
――どこかあたたかみのある、ふんわりした空気感というか…日本でありながら不思議な魅力をもつ沖縄のカラーが映像いっぱいに流れていますよね。ストーリーは思わずクスッとしたりホロリとしてしまう感情の機微が細かに描かれていると思います。沖縄が舞台になっていることと関係しているのでしょうか?
ガニオン監督の作品はわりとシリアスな中にも笑いが出てくる作品が多いと思っていますが、確かに今回は確かにクスッが多いですね(笑)。ガニオン監督と同年代だけれども全く違う人間像であるピエールを、茶化しながら、楽しんで撮っているように感じます。今回、「大人の笑い」が随所にあり、海外の映画祭では大爆笑。日本でもどうぞ、シャイにならずガハハと笑ってほしいです(笑)。
男勝りで負けず嫌い、漫画を描くのが好きな子ども時代。
――全編を通じて沖縄の魅力が伝わってくる作品ですが、そういう沖縄でずっとお育ちになった宮平さんの小さな頃について少しお聞かせください。何をすることが好きな、どんな性格のお子さんでしたか?大人になったら何になる…みたいな夢がありましたか?
物心がつくのが遅くて…(笑)小さな頃の記憶があまりないんです。でも、小さな頃は、大きくなれば大人になれるものだと思っていました。今はそうじゃないことに気がついて、焦っています(笑)。自分で四コマ漫画や小説を書いてクラスメイトに読ませて、授業中にも漫画を描いていた記憶はあるので、真面目な生徒ではなかったですね(笑)。私自身はそんな記憶はないのですが、がーじゅー(石頭)だったようで先生にも屁理屈をこねて反抗したときもあったようで、よく母に苦情が寄せられたようです。それから、小学校の頃は背が高い方だったので男勝りだったような記憶があります。そういえば男子とケンカをした記憶もありますね。
――素直で柔らかな雰囲気の、今の宮平さんとは真逆なイメージですね(笑)。子ども時代に何か習い事はされていましたか?
私は、集団行動が苦手で、公文なども…算数では年下の子に追い抜かれて笑われたりして、あまり面白くなくさぼったのがバレて、それ以来塾のようなものには通っていなかったです。中学の頃、英語の成績が極端に悪くなり、近くに住むご老人でアメリカで働いていたという方にマンツーマンで教えていただきました。そのとき入塾テストの答案を指して、「あなたの英語は、くしゃくしゃにしてポイですよ」と言われて、今だったら大爆笑なんですが、当時は悔しくて、夜も寝ずに英語の辞書で勉強したのを覚えています。それが、今思えばあの老先生の作戦だったのかもしれませんが、勉強してわかってくると、英語が好きになりました。
「楽しい」のレベルには色々あると思いますが、勉強もわかるまではつまらないですが、わかると本当に面白くなってきます。それは社会にでて仕事についても言えることだと思います。特にそれ以降、英語に苦手意識を持たなくなったので老先生には感謝しています。
――宮平さんはご自身のお子さんを、どのような方針で育てられたいですか?
私は両親が共働きだったこともあり、割と放任主義で育てられました。母は私がつきあう友達を色々口出ししないと決めていたようで、小学生ながら、札付きの不良からいじめられっ子まで、色んな子と交流があり、とても良かったと思っています。でも、逆に小さいときに基本的な整理整頓、早寝早起き・挨拶の習慣などを身につけてると、大人になってスムーズなのかな?と思うので…今、私が苦労している部分ですが(笑)。そういうことは、徹底して教えてあげたいなぁ~と。子どもがいない今でも、大人として、よその子も叱れるような愛情を子ども達に関しては持ちたいな~って思っています。
――いろいろな友達と交流できたのは、クリエーティブな仕事にプラスになっているはずですよね。では現在の仕事を確立するまで、どんな努力が必要でしたか?
仕事の確立は、まだまだ、です。私の場合は、初めて大学で短編映画を撮ったのがきっかけで、周囲の支えもあって「やめていない」ということだけです。逆に、続けていれば、何かがつながる。観ていてくれる人がいて、次に繋がる、全てに共通することかもしれませんが、自分があきらめたら終わり、ですね。努力というより、人の意見を真摯に受け止めることはクリエイティブなチームワークには必要不可欠だと思っています。しかし、ガージュー(石頭)の私にガニオン監督が口を酸っぱくしていう言葉が「クリエイション イズ コレクション」(創造は修正だ)です。最初のアイデアからどれだけ修正をかけるかに、作品の出来がかかっている、という意味ですが、映画製作においては脚本・撮影・編集にかけてその視点は本当に大事ですね。
異質なものを受け入れる沖縄の魅力。
――沖縄の子どもたちは、のびのび過ごせる環境があるかもしれませんが、今の子どもたちに思うことをお聞かせいただけますか?
私の初監督作『アンを探して』は、内気な女の子が主人公です。その作品のセールスツアーで全国の映画館と映画上映関係者を訪ねた際に、福岡で学童のケアをしているみなさんとお話する機会があり、今の子は何を話すにも「正しい答え」を言わないといけないと思って話せなくなっている……と、学童のケアしている方たちが涙を流していました。それだけ、学校や家庭で子ども心に親や先生からのプレッシャーを感じているんでしょうね。屁理屈で先生を困らせた私とは大違いの今の子ども達の現実が、なんだかかわいそうに思いました。反面、インターネットに小さい頃から親しんでいる世代は情緒面でどういう風な影響があるのだろう?と、とても興味深いです。私の世代は、ある程度ネット(Facebookやブログ)とリアルと、キャラというか人間性が一貫してますが、ある中学生の男の子が、blogでは饒舌なのに会って話すと、とっても無口で違和感を覚えました。インターネットは自由な分、大人でも依存しやすいと思いますから子ども達の情緒面が心配でもあります。
――中学生くらいの男子は特に、言葉にできない鬱積をインターネットの世界にぶつけてしまうのかもしれませんね。ふだんおしゃべりな子なら違うと思いますが。では習い事を考える親たちにメッセージをお願いします。
ハマってもあきっぽかったり、遅くても我慢強くわかろうとしたり、っていう学習のクセは、たくさんやってみてわかるものだと思います。お子さんや親御さんも、それぞれの学習のクセみたいなものも『気づく』という意味では、とてもいい挑戦ではないでしょうか。私自身は、習いごとをした記憶が少ししかないので、あのときに毎日学ぶ習慣をつけていられたらなぁと思うこともありますが、逆に子どもの習い事に固執しない両親だったので、元気に外で遊び回ることが出来てよかったとも、思います。
小さいときは、世界が狭いので、学校か家庭、二つの世界しかないといっても過言ではありません。ということは、「学ぶこと」が嫌いになるか好きになるかの境目も、周りの環境の影響は大きいと思います。子どもの頃から勉強クセをつけておくことも大事かもしれませんが、習い事をしてもしなくても、どこかで子どもらしくリラックスできる時間を持たせてあげるのは、大切かもしれませんね。