著書「五体不満足」の大ベストセラーから12年。その間、オトタケさんは大学を卒業、スポーツライターとして実績を積む一方、教員免許も取得。新宿区教育委員会で2年間の活動を経て、杉並区の公立小学校で3年間教育生活を送り、今秋初の小説を刊行されました。結婚後は、二人の愛息に恵まれ育児奮闘中のイクメンです。オトタケさんが小説へ込めた想いをはじめ、お自身の幼少期のこと、教育生活で感じられたことなど、たくさんお話いただきました。
乙武 洋匡(おとたけ ひろただ)
1976年4月6日生まれ 東京都出身 A型
大学在学中、自身の経験をユーモラスに綴った『五体不満足』(講談社)が多くの人々の共感を呼び、500万部を超す大ベストセラーに。’99年3月からの1年間、TBS系『ニュースの森』でサブキャスターを務め、いじめ問題やバリアフリーについて取材、レポートした。
大学卒業後は、「スポーツの素晴らしさを伝える仕事がしたい」との想いから、『Number』(文藝春秋)連載を皮切りに執筆活動を開始。スポーツライターとして、シドニー五輪やアテネ五輪、またサッカー日韓共催W杯など、数々の大会を現地で取材した。特にスポーツ選手の人物を深く掘り下げる眼に定評がある。
子どもの頃のエピソードをもとに書いた絵本『プレゼント』(中央法規出版)、翻訳絵本『かっくん』(講談社)、ドラえもんの絵に詩を載せた絵本『とっても大好きドラえもん』(小学館)、平和をモチーフにした絵本『Flowers』(マガジンハウス)を手がけるなど、子どもたちへのメッセージを発信していくことも活動の大きな柱としている。
’05年4月からは、東京都新宿区教育委員会の非常勤職員「子どもの生き方パートナー」として教育活動をスタートさせる傍ら、明星大学の通信課程に学び、’07年2月に小学校教諭二種免許状を取得。同年4月から’10年3月まで杉並区立杉並第四小学校教諭として勤務し、3・4年生を担任した。現在は、メディアを通して教育現場で得た経験を発信していく活動を柱としている。
親と子に「だいじょうぶ」と伝えたくて
――今春までの3年間、杉並区立杉並第四小学校で教壇に立たれた経験を踏まえて、はじめて執筆された小説「だいじょうぶ3組」読ませていただきました。いっぱい泣けるシーンがあって読後感はとても清々しい気持ちになりました。まず、今回の小説をお書きになったキッカケをお話しいただけますか?
僕自身が子どもを育てることに興味がありまして、こういうふうにしていったほうがいいのではないかと思うことでも、現場を知らないと何も判断材料が得られない。そこで現場にしっかり身を投じて体験してみたら、子どもたちとの関係だけでなく、学校という組織、保護者の方々との関係性の中で感じたことがたくさんあって、今回は最初から3年契約ということだったので、最終年である3年目になったあたりでこの現場体験を形に残したいと思うようになりました。
――あえて公立小学校で教員をなさって。小説の中の設定は28名の生徒の中から特徴のあるお子さんを描いていらっしゃいます。オトタケさんは、どういう視点でその子たちをピックアップしたのでしょうか?
今回はこの子を描きたいとか、この行事を描きたいというのではなかったんですね。文章を書くこと自体は、退職後の4,5,6月の3ヵ月間で書きましたが、物語の構成を練るのは昨夏くらいから退職するまでの半年以上かけました。まず今回の僕の体験からどんなメッセージを伝えたいのか?ということを最初に書きだして、このメッセージを伝えるにはこの時の行事がいいのではないか?あの時のエピソードが適しているのではないか?という組み方をしたので、誰とか、この時の事件を、という選択ではなかったです。
――メッセージにふさわしい行事やエピソードに沿った登場人物となったわけですね。1年間が凝縮されていて読み進むうちに何度もホロリとなります。今、上のお子さんが2歳9カ月、下のお子さんが3ヵ月。二人のお父さんになられて日々の関わりはいかがですか。
最初の頃は誕生がうれしかったと同時に、想定していた以上にしてあげられることの少なさに気付いてとまどいがありました。でも、ようやく上の子はコミュニケーションが図れるようになってきて、ようやく父親としての役割というのが…他のお父さんとは違う役割かもしれませんけれど、少しずつ育児というものに参加できるようになったかなという感じですかね。
――かわいい時期ですよね。ご自身のお子さんには、こんなふうに育ってほしいなという希望はありますか?
なるべく思わないようにしています。というのは今回3年間教員生活を送って、保護者と話す機会がたくさんありました。そこで感じたのは、やはり親は子どもに多くのことを期待してしまうものなんだなと。僕が担当したクラス23名の子どもたちはどの子も素晴らしいお子さんでしたが、いざ個人面談をすると「うちの子は…ができなくて」とか「こんなところがダメで」とか、まず最初におっしゃるんですよ。確かにできないこと、足りて無いところを指摘したらキリがないけれど、親も自分の子ども時代を振り返ったら、今大人になってからでさえ、できてないことがイッパイある。それを10歳の子に要求しても辛いだけだなぁと。できていること、素晴らしいところに目を向けて、それを褒めて育てていきたい。それで、「お母さん、大丈夫ですよ」とずっと伝え続けていて、この小説の『だいじょうぶ3組』の「だいじょうぶ」というのは、僕の教員生活の中で子どもたちにも伝えてきた言葉ですが、同時に保護者の方にも伝えてきた言葉でもあるんです。自分の子どもを育てる時にアレコレ要求するのではなく、子どもの成長を見守って、子どもが助けを求めてきた時に全力で支援してあげられるような、そういう親でありたいなと思っています。
手を出さない、口を出さない勇気
――小さな頃からお友達や先生方のあたたかい支援をはじめ、やはりご家族の支えは大きかったのではないかと。ご両親はどのようにオトタケさんを育てられたのでしょう。
両親へ感謝の想いをあげたらキリがないのですが、一番は手を出さない、口を出さない勇気を持っていてくれたこと。僕は重度の障害者ですし、一人っ子なので本来ならばもっと過保護に育てられてしまっても仕方ないのかなと思うのですが。僕がいつも突拍子もないこと、例えばバスケットボールをやると言い出しても、「そんなこと危ないからやめなさい」または「他の人に迷惑が掛かるから」とか、そう言われて止められたことがほとんどない。もし止められていたら、今こうして色々なことにチャレンジすることができなかった。
――そんなご両親へ対して、オトタケさん反抗期も超えてきたとか。うちがまさに今、「おはよう」に「うるせー!」で返してくる思春期を迎えていてうんざりしていますが……。
親曰く、僕は普通より激しい反抗期がありましたが、「勉強しなさい」と言われたことがなかった。言われなかったから、かえって怖くて勉強したような気がします。うちのルールは1日のうち読書とゲームやテレビの時間、同じ時間数でなければいけなかったので「勉強しなさい」と言われなくても、やればやった分だけゲームもできたし、テレビも見られた。そのルールも一方的に押し付けられたのではなく、相談しながら決めたような覚えがあります。
――オトタケさんはお勉強ができたから叱られることも少なかったのでは?お母様には愛情いっぱい注がれて、言葉で伝えられてきましたか?
父から特に感じましたね。父は愛情表現がとても上手な人でした。小学校5年生の時に、それまでオール5だったのが、はじめて理科だけ4に落ちたんですね。友達から見ればそれでも十分よかったのかもしれませんけれど、僕にとってはショックで。家に帰ってから親にも通知表を見せたくないという気持ちでいたら、父は「ヒロ、おまえすごいなやっぱり。俺が子どもの頃なんて※アヒルばっかりだったよ」と(※アヒルとは2のこと)。そんなことはなかったはずですが、わざと僕が気落ちしないように、自分をおとしめるようなことを言って自尊心が傷つかないように気を遣ってくれた。大人になってから、そのやさしさに気付きました。生きていれば父は69歳。その世代の男性は家父長制で親父はデンとして家で威張っている世代だと思いますが、まったくそういう人でなくて、ぼくの気持ちをうまく汲み取って褒めてくれる人でした。それはホントにうれしかったですね。
――すごくお父様のあたたかさが伝わってくるエピソードです。オトタケさん小学校時代は何か習い事をされていましたか?
幼稚園の頃、お絵かき教室へ通っていました。でも小学校に入って友達と遊びたいから辞めました。週7日あれば、7日とも友達と遊びたいからお絵かき辞めたいと言って。すごく親や先生を困らせたと思いますけれど、僕はめちゃくちゃ意思が強いので。塾、公文、ピアノ、そろばん、お習字、何もやってきませんでした。小学校6年間、何も習っていないです。中学年までは皆それほど習い事をしないから、わっと集団で野球とかサッカーして遊べましたが、高学年になると空いている子を見つけて少数で遊ぶことに移行しましたね。二人とかだとチームスポーツできないので、ゲームは多くなりました。サッカーのボードゲームやファミコンやりましたよ。
褒める、認める、肯定してあげる
――小学校高学年はのびしろが多い時期でどんどん成長していきますから、親は子どもを見守る姿勢は大切ですね。
担任を経験してわかったのは、子どもの自主性や自由を認めるというのは、ただ見守ることとは違う。子どもが何か興味をもち、打ち込める環境は用意する。何も用意しないで子どもを自由にすると、子どもはただラクなほうへ流れていくだけ。子どもがいい方向へ導かれるように、大人はその環境を用意する。ただし、強制はしない。例えば、子どもに読んでほしいと思う本があった場合に、それを読みなさいと渡すのは強制であって、そっとその子の机の上に置いておいて、読むか読まないかはその子の自由というのが環境を与える。わかりやすくいえば、そういうことです。
――本棚に読んでほしい本を置いて、その子が読みたくなる時期が来るのを親はじっと待っていられるかどうかですね。では、教育に必要なのは、これだな!とオトタケさんが感じられることは何ですか?
すごく臭い言い方になりますが、やっぱり「愛」だなと。自己肯定感というのかな。子どもと接していると、なかなかそれが育みにくい時代なのかなと感じます。まずはその存在を認めてあげて、「ああ、自分は愛されている。認められているんだ」と肯定感を与えてあげた上で、足りないところや伸ばしてほしいところを指摘する。そうするとアドバイスが生きてくると思います。核になる部分を何も認めてあげていない上で、たとえ本心では認めてあげていてもそれを伝えずに、ダメなことばかり指摘されてしまうと、子どもはすごく不安になります。あれこれお説教する前に、その子が自分にとっていかに大切なのかという愛情をしっかり伝えているか?というのが、まずは大事なんじゃないかと。
――本当に耳が痛いお話なのですが(笑)。核になる部分をすっ飛ばして、親ってあれダメこれダメと言ってしまいがち。どうすればいい親子関係を築けるのでしょうね?
教員生活最後の年、僕は4年生を担任しました。『2分の1成人式』という10年間育ってきた感謝の気持ちを保護者の方へ伝える行事があって、最後にサプライズでお家の方から子どもたちに手紙を書いて頂いて、それを子どもたちに読んでもらいました。子どもたち皆、大号泣で「お母さんが普段口うるさいのは、自分のことを良くしようと思ってくれていたのだとわかりました」という気付きの感想をたくさんもらいました。これって、彼氏と彼女の恋人関係と一緒で、好きと言わなくてもわかるだろ…というのと同じなんです。親は照れ臭いから自分の子に好きとか大切とか言わない。言わなくても、わかっているでしょ?と思いこんでいる。でも、子どもはわかっていないんですよ。それが、親から子への手紙の反応で僕はわかりました。学年最後の保護者会で、「親が子どもを愛することなんて当たり前だから言わないのかもしれないけれど、もっと子どもたちに気持ちを伝えてください。そうでないと、普段からのお説教が届かないばかりか、子どもを不安にさせてしまうだけになってしまいます」…とお話しました。