【シリーズ・この人に聞く!第1回】オリンピック体操メダリスト 池谷幸雄さんに聞く子供の習い事

ソウルオリンピック、バルセロナオリンピックで活躍し、現在、池谷幸雄体操倶楽部で子供たちに体操を指導している池谷幸雄さん。インタビュー前編は、彼が歩んできた道、そして子供たちに対する思いを語っていただきました。

池谷 幸雄(いけたに ゆきお)

1970年生まれ、4歳の頃より体操を始める。清風高校、日本体育大学卒業。
1988年、ソウルオリンピックで、団体・個人床で銅メダル獲得。
1992年、バルセロナオリンピックで、団体で銅メダル、個人床で銀メダル獲得。
2001年、池谷幸雄体操倶楽部を設立。

子供の仕事は、体を動かすことなんです。

5つも習い事を掛け持ちしていましたが、すべて自分の意志で始めたんですよ。

――4歳で体操を始めたキッカケは?

僕は暴れん坊で、落ち着きのない、どうしようもない子だったんですよ(笑)。
それで親が、スポーツをさせることで、あり余っているパワーを発散させようと思いついたわけです。たまたま母が中学で3年間体操をやっていた経験から、体を柔軟にする全身運動としてこれほど良いスポーツはないと……。体を柔らかくしておけば、どんなスポーツにも応用が効きますから。まず体操をやらせ、いずれはプロ野球選手かプロゴルファーを目指してほしかったみたいですね。

――自分で「体操をやりたい」と思ったのですか?

最初、教室を見学に行ったのですが、飛んだり跳ねたりしている様子を見て、「これは仮面ライダーの学校か?」と(笑)。何でもやりたがり屋の性格に、仮面ライダーへのあこがれが加わり、母に「やってみたい?」と聞かれると即「やってみたい!」と答えました。親は、何の才能があるかわからないからと、体操以外に水泳・ピアノ・英会話・絵も習わせてくれたんですよ。しかし、すべての習い事に共通したのは、まず僕の意思を確かめてくれたことでした。

ーー途中でやめたくなったことは?

小学校5年のとき、友達の家で遊んだり、駄菓子屋でお菓子を買ったりしたくて練習をさぼっていたんです。手広くやっていた習い事もその頃は体操だけに絞っていましたら、親は何としてもやめさせたくない。しかし、叱れば反発するだろうし、やさしくすれば調子にのるだろう……。そこで、1カ月休まず通ったら1万円の小遣い、というニンジン作戦に出たんです。これが効いたんですよ(笑)。練習を再開したら、自分は本当に体操が好きだってわかりましたからね。以来、引退するまで、体操をやめたいと思ったことはありません。

子供らしさが発揮できない子供たちに、体を動かせる環境をつくってあげたい。

――なぜ、体操を教えようと思ったのですか?

引退後、5年ほどタレント活動をしていました。体操の世界しか知らなかったので、別の世界ものぞいてみたかったからです。ひと通りやってみて、「これから自分のすべきことは何か」と考えていたとき、九州で少年によるバスジャック事件が起きたんです。ショックでしたね。だって、子供って僕らの小さい頃と表面的には変わっていないじゃないですか。元気で、明るくて、やんちゃで。けれど、いま子供たちに何かが起きているにちがいない。そんなふうに疑問を感じたことが体操指導を始めるキッカケでした。

――子供たちのどこに疑問を感じましたか?

子供たちがおかれている環境ですね。僕らが育った頃と、世の中の状況も親の意識も違う。学校から帰って来たら、家から飛び出して暗くなるまで外で遊んでいましたよね?それが、いまでは体を思いっきり動かして遊ぶ場所がない。自転車を乗り回せる場所もない。親も親で、交通事故や誘拐が心配だから、とりあえずビデオでも見せておけばおとなしくしている……と考えがちです。しかし、子供の仕事は、まず体を動かすことにあるんですよ。

――池谷さんが子供たちのためにやりたいことは?

成長期に必要なのは、体を動かせる環境です。筋肉も骨も脳も、そして心も、体を動かす中で成長していくわけですよ。だから、体操を通して、子供たちが存分に体を動かせる環境をつくっていこうと思いました。僕はね、精神年齢が子供に近いんですよ(笑)。子供と話していても、「コイツ、いい加減な返事しているな」と何となくわかるから、自信を持って教えられる。そこで、自分が4歳からやってきた体操経験を活かし、子供の目線から体を動かす楽しさを教えるため、2001年、池谷幸雄体操倶楽部を設立しました。

テクニックより、まず「ひとの基本」を教えます。

メダルを取る以上に大事なのは、返事や挨拶がきちんとできること。

――池谷幸雄体操倶楽部が目指すものは?

まず、ひとが生きていくうえでの基本を教えるようにしています。いくらスポーツができても、返事や挨拶がきちんとできないようでは、ひととして失格だからです。相手の目を見て話を聞く、集団のなかで行動する、といった当たり前のことができない子供が多い。だから、ひととしての基本を教えながら、個人個人の運動能力を高め、健康な体づくりを行っています。挨拶は一生使うコミュニケーションですから、早いうちから身に付けておけば、人生にどんなにプラスになるかわかりません。

――子供たちは素直に言うことを聞いていますか?

子供というのは、納得すれば、こちらの言っていることを聞いてくれるんです。失礼ながら、いまの大半の教育現場では、先生より生徒のほうが強い立場になっています。ところが、うちのコーチたちは、生徒にとっては明らかに偉い存在なんです(笑)。挨拶にしても実技にしても、体操を本格的にやってきたコーチたちが手本となり、生徒の目の前で実践しているんです。だから「すごいな、こんなふうになりたいな」とあこがれ、納得して指導を受けています。

――上手に指導するコツはありますか?

第1に、いくつかのことを続けて言わずに、一つひとつコマ切れにして教える。第2に、本当にわかっているのか、「ここはどうやるの?」と子供に確認しながら教える。第3に、繰り返し繰り返し、言って聞かせながら教える。つまり、子供と大人では理解の仕方が違いますから、大人と同じ感覚で教えてはいけないんですよ。ここのところをわかっていない親御さんが多いのではないかと、教室に来る親子の会話を聞いていて感じることがあります。

いい環境をつくってあげるのも、叱るときには叱るのも、親の責任。

――親からはどんな質問を受けますか?

特に多いのは、幼稚園児のお母さんからの「どうやって子供を叱っていいのかわからない」といった質問です。教えるときは教える、叱るときは叱ることはもちろん大切なのですが、ただ大声を上げても逆効果なんです。なぜ、それがいけないのか、そのことで周りがどんなに迷惑するのか、叱る理由を子供に納得させないと意味がありません。まったく叱ることのできない親、反対に暴力的に怒鳴りつける親、極端な例ではありますが、これではどちらも心配です。

――小さいお子さんを持つ親に対する要望は?

子供のためにいい環境をつくってあげてほしいですね。自分の意志で働きかけて自分から何かをやり出すようになるまでは、親がサポートする必要があると思います。僕の希望としては、思いっきり体を動かせる環境に早い時期から連れていってほしい。ちなみに池谷幸雄体操倶楽部では、お父さん、お母さんと一緒に参加する歩行児のベビー・ジムもあります。運動不足の解消や親子のコミュニケーションの取り方を勉強できるので、親御さんにも好評なんですよ。

――指導者としての池谷さんの願いは?

将来の夢は、全国各地に体操教室をつくること。野球やサッカーのように、やりたいときにいつでもできるようにしたいんです。また、僕が体操を教えようと決意した理由は、子供たちのための環境づくりと同時に、体操界を盛り上げたいという気持ちもあったので、オリンピックを狙える選手の育成はもちろんです。しかし、生徒の目標はそれぞれですから、将来「体操ニッポン」を担う子供も、体操から別のスポーツに進む子供も、あるいは健康な体づくりのために頑張っている子供も、みんな個性を活かしてのびのび育ってほしいですね。

池谷幸雄体操倶楽部

写真提供:池谷幸雄体操倶楽部