ソーカエン・総火演・富士総合火力演習2015年

iRyota25

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チケットの倍率「29倍」。当日の来場者数2万2000人。場内アナウンスは「千葉県浦安市のテーマパーク並みの混雑です」と注意喚起を続ける。

残暑の日差しが肌を射抜く8月22日(土曜日)、総火演に行ってきた。「ソーカエン」と言われても、自衛隊ファンや地元静岡県の人たち以外には通じないかもしれない。富士の裾野の広大な演習場で毎年・夏に開催される「富士総合火力演習」のことだ。

厳密には、23日(日曜日)が防衛相の前で行われる演習の本番で、22日は「予行」と呼ばれる。予行とはいえ演習のプログラムは本番と同じだ。ただし今年の本番は、10式戦車(ヒトマル)の履帯(キャタピラ)が突然外れるアクシデントがあったり、演習終了後にアメリカ海兵隊の新型輸送機MV-22オスプレイが飛来したりと、本番ならではの突発的な出来事もあったらしい。どうせなら本番を見られればよかった。

大口径火砲はまるで花火のように

しかしそれでも総火演の迫力は並大抵のものではない。第二次世界大戦の頃なら巡洋艦の主砲だった203mmとか155mmといった大口径の火砲が轟音を唸らせる。総火演で使用される弾丸はほぼ実弾だから迫力が違う。発射音は「音」というより振動としてお腹に響く。

そればかりではない。大砲の砲口から発射される弾丸が、かすかに影のようにだが見えるのだ。これは驚きだった。観客席のあちこちからも「いま弾が見えたんじゃ?」「うん、見えた!」「見えたよね」と声が上がる。

しかし真の驚きは発射から10秒近くも経ってからやって来る。指揮官の号令が次弾の発射を告げた直後、「弾着~~~、いま!」とアナウンスが流れる。目標が遠方なので着弾するまでにかなりの時間がかかるのだ。そしてそれを指揮官は時計を見ながら正確に、その瞬間を観衆に告げるのだ。そのタイミングのぴったりなこと!

ぴったり計算通りの射撃ができる技術を生かしたデモンストレーションも行われる。複数の種類、複数の発射場所から射撃して、同時に着弾させる「同時弾着射撃」。その技を応用して、飛翔していく弾丸の弾道を示すように空中で炸裂させる「弾道現示射撃」、目標地点の空中で弾丸を花火のように炸裂させる「曳火射撃」、さらに22門の火砲を使って、炸裂する弾丸で富士山の形を描く「曳火射撃『富士山』」。

観客席は軍事演習を見ているという雰囲気ではない。そうだ、まるで見事な花火を見ている感じ。見事な着弾を披露されるたびに、おお~と感嘆の声が客席に満ちる。おどけて「た~まや~」と口にする人も1人や2人ではない。

航空自衛隊のブルーインパルスの展示飛行(曲芸飛行)でもそうだが、圧倒的な技術を目の前にすると、それが人間を殺傷する武器であることも忘れて、ただもう100%、賞賛するよりほかないといった気持ちになる。総火演の火砲はまさにそれだった。

大口径火砲にも増してド迫力な戦車射撃

総火演には大口径火砲のほかにも迫撃砲、対戦車誘導弾、多目的誘導弾、偵察オートバイ、装甲機動車、89式装甲戦闘車、87式自走高射機関砲など多種多様な武器や戦闘車両が登場する。しかしやっぱり何と言っても、最大の目玉は戦車だ。実際にその動きを目の当たりにして、姿、動き、発射音、射撃の正確さなど、完成された演技は圧倒的な存在感だった。

現在陸上自衛隊は、74式、90式、10式の3種類の戦車を保有している。74式はやや旧式ながら全国に展開。90式は湾岸戦争などで使われたアメリカのM1戦車に匹敵すると言われる。こちらは車体が大きいため北海道を中心に配備されている。いちばん新しいのが10式で、この戦車は強力なだけでなく通信や情報の面でも進化した戦車で、対テロ戦争でも活躍できるようにつくられたという。

演習場に隣接した富士学校には、全国の戦車乗りたちを教える「教導団」という組織がある。いわば戦車学校の先生たちだ。だから北海道がメインの90式も、最新鋭の10式も、そして数的にはいまも主力の74式もすべてを一度に見ることができるわけだ。

戦車の中ではまずは74式が登場。通路から演習会場に進入してくる際には、もうすでに砲塔を的に志向していて、車体の動きに合わせて砲塔も動く。小さな覗き穴からの視界でよくもまあこれだけ機敏に運転できるものだと感心していると、指揮官の号令がアナウンスされる。そして「射て!」の号令で105mm戦車砲が火を噴く。

さっきまでの大口径火砲よりもさらに凄まじい轟音と爆風。発射音の衝撃で、思わずビデオのスイッチを押してしまったほど(つまり録画を止めちゃった)。

続いて90式。74式に比べてかなりの大きさなのだが、もしかしたら74式より機敏かもしれない。4両の90式が横一線に並び、右の戦車から左へと、おそらく0.1秒刻みで120mm滑空砲を発射する。微妙に時間をずらすのは、発射炎をうまく写真に撮ってもらうための配慮だという話を聞いた。

戦車の〆に登場するのは10式。2両の10式が息を合わせてスラローム走行。まるでフィギュアスケート、これオーバーな言い方ではない。そして同時に発射。バックで離脱しながらまた発射。44トンもある物体とは思えぬ動きだった。

小火器だからこそリアルな恐怖

演習には海上自衛隊の対潜哨戒機や航空自衛隊のF-2支援戦闘機も参加していた。とくにF-2は2機編隊で会場上空を飛行。翼端に雲を曳きながら急上昇、急旋回を見せた。練習機を使うブルーインパルスの展示飛行とは違い、さすが実戦向けの戦闘機だ。エンジン音や引き裂かれていく空気音の厚みがぜんぜん違う。富士山をバックに青空に急上昇していくF-2の姿は本当に美しく見えた。

美しく?
そう、美しく。
大口径火砲の轟音や戦車の機動も同じ。
心が揺れ動かされるような興奮があった。

しかし、そればかりではない。

実弾を使う演習なので、遠く離れた着弾地点には客席からもよく見える標的が設置されている。カラー風船や看板のようなものがほとんどなのだが、1カ所、クルマの姿がリアルに描かれた標的があった。この標的は対人狙撃銃のデモンストレーション用の的。全身ネットなどでカモフラージュした狙撃手が、車両が描かれた標的に狙いを付ける。狙撃手と標的の様子が分割画面で大型スクリーンに映し出される。標的の車の窓の中には人の形の影も描かれている、と、次の瞬間、窓の中の人影が消える。「命中!」との場内アナウンスがあったか、なかったか。

武器分類で対人障害と呼ばれる指向性散弾は例えるならこんな兵器だ。高級なクッキーなどが入っていそうなお菓子の缶の底に火薬を敷き詰める。その上にパチンコ球のような鉄球をびっしり並べる。火薬と鉄球が落っこちないように何らかの細工をして、缶は垂直に立てるように設置する。敵がちょうど缶の前にやってきた時に電気発火で火薬に火をつける。あるいは地面に低くワイヤーでも張っておいて、人が引っかかったら発火するトラップ(罠)にしていてもいい。

缶々に敷き詰められた鉄球が火薬の力で面として発射される。そこにいた敵は一瞬にして肉体を失う。通称クレイモアと呼ばれるこの種の武器のジャンル名は通常「指向性地雷」である。地雷と呼ぶと印象が悪いから「対人障害」という奥歯に物が引っかかったような名称になっているのかもしれないが、演習で発射された対人障害は、もしも自分に向かってこの武器が火を吹いたらどうなるかと考えずにいられないものだった。発射された次の瞬間、自分の身体はバラバラ。ゴミのようになってしまうのである。爆音と硝煙のにおいの記憶だけを残して。。
(自衛隊ではトラップ式ではないリモコン操作のみのタイプを使っているらしい)

自動小銃や機関銃から逃れることはできるのか

戦車や大砲、戦闘機のように遠くを攻撃する兵器は、まるでどこか他人事みたいに楽しむことができる。「こんな兵器で守ってもらえるなら安心だ」とすら思う。しかし不思議なことに、地雷や自動小銃のように小ぶりな兵器、つまり身近な兵器ほど恐怖心がリアルなものになる。

陸上自衛隊の基本的な火器である自動小銃。むかしの軍隊ならライフルに当たる基本装備だが、この銃の拍子抜けするほど弱々しい「ぱらぱらぱらぱらぱら」と乾いた音の恐ろしさ。

まるでオモチャのような、あるいは出来の悪い打楽器みたいにも思える音を出す物体の筒先が自分に向けられたらどうなるのか。いくら間抜けな音とて、その音の中で人は死にゆくほかないのだ。

反対に、ブローニングM2という重機関銃の音は空気を割いてグチャグチャにするような禍々しさに満ちている。弾丸の直径は2分の1インチ、12.7ミリで、1分間に500発以上、ものによっては1,000発以上の弾丸を発射する。発射速度の早さからか、より口径の大きい機関砲よりもさらに、この機関銃の発射音は耳障りだった。

この機関銃が実用化されたのは第二次世界大戦前。大戦中は陸上部隊をはじめとし、陸海空あらゆるシチュエーションで使われた。アメリカ軍の戦闘機ならほぼすべて、グラマンでもムスタングでも1機あたり4門から6門が搭載されていた。そんな歴史物の機関銃なのだが、現在でも戦車や装甲車の補助的な武器として、あるいは機動車の主な武器などとして大戦期とほぼ同じものが使われ続けている。

つまり、いま耳にしている12.7ミリ機関銃の音は、70年ほど前に多くの日本人が耳にしたものと同じ音。直近でこの着弾音を耳にするということは、確実に生命の危機を意味していたそんな音。

個人的な話だが、祖母は戦争末期、戦闘機の機銃掃射(機関銃による地上攻撃)で命を落としている。顔を見たこともない祖母が人生を閉じる前に聞いたのが、この同じ機関銃の音だったのかと想像すると、伸びやかな富士のふもとで繰り広げられている演習なのに、急に視野が狭まって息苦しくなった。

総火演2015の印象を感想文として書いてきたが、とくにまとめは用意しない。自衛隊の演習を見に行くのは軍国主義といった極端な見方をする人もいるが、ここまでお読みいただいて分かるとおり、戦争には反対だ。できれば軍備も必要ない。しかし自衛のためには必要な力という事情もあるだろう。しかし、その力を実際に使うことは、決してあってはならないと改めて思う。

自衛隊の技術は実際に実際にそうとう高いのだろう。しかし、もしも実戦になったとき、物量として1対いくらくらいまでなら戦えるのか。演習の号令のように「命中~」とばかりいかない実戦では、質はともかく装備の量に乏しい日本の自衛隊は、いくら優秀でも時間とともに消耗し、またたく間に戦力が枯渇してしまうだろう。そう考えれば、優秀な自衛隊だからこそ、戦争を避けるための兵力として使うより他ない。これは明らかだ。太平洋戦争の轍を踏んではならない。

そして小火器によって実感として伝わってくる生身の戦闘の恐怖。

戦争に反対の人、戦争に疑問を抱く人こそ、チャンスがあれば総火演を経験するといいと思う。きっと人それぞれに感じたり唸ったりするところがあるだろう。

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