ギロチンか、電気イスか。
「ギロチンか、電気イスか」というのは、沖縄出身のミュージシャンで、この映画のナレーションも担当したCoccoが映画に寄せたコメント。辺野古か普天間かと問われる状況をたとえたのだという。
ドキュメンタリー映画「戦場ぬ止み」(いくさばぬとぅどぅみ)を紹介するLITERAの記事をおすすめする。
「ギロチンか、電気イスか。苦渋の選択を迫られたとしてそれはいずれも“死”だ。辺野古か普天間を問われるから沖縄は揺れ続ける」
Coccoのこのメッセージは、現在、ポレポレ東中野で先行上映が行われているドキュメンタリー映画『戦場ぬ止み』(いくさばぬとぅどぅみ)に送られたもの。Coccoは同作品のナレーションを担当しているのだが、コメントは以下のようにつづく。
「口をつぐんでしまった友、デモに参加する友、自衛隊に勤める友、みんな心から沖縄を愛する私の大切な友です。ギロチンか電気イスかではなく根底からの『NO』を誰もが胸に抱いてる。人として当たり前に与えられていいはずの正しいやさしい選択肢が欲しいと私は、そう想うのです」
辺野古か普天間かを迫る政府にCoccoが反論!「ギロチンか電気イスかじゃない選択肢を」|LITERA/リテラ 本と雑誌の知を再発見
国が中国の脅威を喧伝するから沖縄に基地が必要という意見が広まる。基地反対を叫んでいるのは県外から来た活動家だという根強い見方が繰り返しネットで伝えられる。でも、本土の人たちは沖縄で何が起きているのか、本当のところを知らない――。リテラの記事はそう述べる。
どうしてこんなに揺さぶられるのだろう
おばあは沖縄で繰り広げられた地上戦のとき、目の不自由な母親と幼い弟と連れ立って糸満の壕に避難した経験がある。米軍は壕に手榴弾を投げこみ、さらには壕を火炎放射器で焼いた。大やけどを負って瀕死となった母は、助かる見込みが少ないからと野戦病院で毒殺されそうになるが、そこから母を連れて逃げ、若かったおばあが一家の大黒柱になって家族を守ってきた。あの地上戦を沖縄は忘れたのか──その苦しさ、悔しさが、おばあをゲート前に向かわせる。
辺野古か普天間かを迫る政府にCoccoが反論!「ギロチンか電気イスかじゃない選択肢を」|LITERA/リテラ 本と雑誌の知を再発見
いうまでもなく、沖縄は太平洋戦争で地上戦が戦われた激戦地だった。本土からやってきた日本兵ばかりでなく、たくさんの住民が命を落とした。生き延びた人たちも1人ひとりが心に深い傷を負った。
戦争が終わった後も、沖縄はアメリカに占領されたままだった。サンフランシスコ条約で日本が独立を果たしても、沖縄はアメリカによる軍政が敷かれたままだった。占領されていた時代、沖縄は日本ではない。では沖縄の人たちは米国人だったのかというとそれも違う。日本人でもアメリカ人でもないという身分で、どちらの国からも保護されることのない状況が続いた。
沖縄の人たちは日本への復帰を願った。多くの悲劇の末、1972年5月にようやく本土復帰は果たされた。沖縄の人たちは、いわば「里子」に出されていた沖縄が日本に帰るのだから、やさしく迎えてもらえるものと信じていた。それが「本土並み復帰」という言葉。生活も、経済も、そして基地も。きっと本土並みが実現すると思っていた。
し・か・し
キャンプ・シュワブのゲート前での反対運動は、そんな歴史のつながりの先にある。2月には敷地を示すラインを少し越えただけで米軍に身柄拘束された(実際には日本人ガードマンが関与したとも言われる)反対運動のリーダーは、こう語るのだという。
ゲート前の反対運動のリーダーは、同じ沖縄県民である機動隊の隊員たちに、こう語りかける。
「我たちはきみたちを敵だと思っていない。きみたち若者を含めて、すべての若者を守りたい。二度と戦場に若者を送らないという想いであるから一生懸命なんだ。沖縄を二度と戦場にさせないという想いがあるから、見てごらん。70、80(歳)になっても、ここに立ち尽くしている」
辺野古か普天間かを迫る政府にCoccoが反論!「ギロチンか電気イスかじゃない選択肢を」|LITERA/リテラ 本と雑誌の知を再発見
翁長知事の当選の3日後に海上工事が再開された場面は、こう紹介されている。
「機動隊の隊長は辞表出せ! おまえくらいの体格があれば、我々行動隊の隊長にすぐ抜擢する! 辞表を出して、こっちにこい!」
この演説には笑い声と拍手が起こり、つづけて「我々の気概を見せよう!」と言ってはじまったのは、機動隊を威嚇したり責め立てる行動ではなく、余興のような空手ふうのパフォーマンスだった。機動隊に対して許せない怒りはある。でも、彼らも同じ沖縄県民だ。この憤りをわかってほしい、わかるはずだと、どこまでも訴えかけるのだ。
辺野古か普天間かを迫る政府にCoccoが反論!「ギロチンか電気イスかじゃない選択肢を」|LITERA/リテラ 本と雑誌の知を再発見
映画の紹介を読むだけで、心が根っこから揺さぶられるような気がする。必ず映画を見ようと決めた。
『戦場ぬ止み』(いくさばぬとぅどぅみ)は、ポレポレ東中野で5月23日から6月5日まで先行上映が行われている(本上映は7月18日から)。全国22の映画館でも上映が予定されている。
最終更新:
doraemon
日本の端、本土から遠く離れた沖縄なら何をしてもいいという考えが日本に根強く残っている気がしてなりません。
忘れてはいけないあの日起きたこと、そして今も起き続けている問題。。。
戦後70年ですが本当の意味で戦争を終わらせなければ沖縄にも日本にも未来がない気がします。
51mister
沖縄には戦後などきていない。戦時中のまま、戦後を装っている。戦地へ赴く兵隊がいる場所は、そこも戦地です。私も含め、戦争体験者は、どんどん少なくなっていきます。日本人として必ず見なければならない映画ですね。一方で、中国の横暴ともいえる南シナ海の人工島建設と兵器の設置。世界平和とか、国際ルールといった秩序を自国の利益のためだけに乱す大国の存在。日本が取るべき正しい選択肢の答えは、いったいどこにあるのでしょうか?戦後70年といいますが、70年経つ前から、もっと具体的な論議を繰り広げていかないから、今何をやろうとしても強引にしか映りません。経済発展を優先し、アメリカの傘の下でごまかし続けてきた日本的手法が、国際社会の中では通用しなくなってきています。そうした日本の経済発展の一環の中で、中国が経済的にも大国になることは予想していたはずで、そうなったときの彼らのその後の行動も予測していたはず。原発もそうですけど、すべての日本のシステムは、中央から離れた地域へのしわ寄せの上に成り立っていただけの幻想だったのでしょうか?