新潟地震から50年

新潟地震が起きた1964年、日本は高度成長期の最中だった。年表をめくると同じ年には本田技研が小型スポーツカーS600を発売、東京モノレール開業、新幹線開業、10月10日の東京オリンピック開幕といった出来事が並ぶ。日本の総人口は約9700万人で、まだ1億人に達していない。伸び代があった時代。右肩上がりの勢いがあった時代。

そんな時代に現役として被災した町の復興からその後の発展までを駆け抜けてきた人たちの言葉だから、自信がみなぎっているのも当然だろう。

でもそこには「30年後」に編まれた冊子だったからという時間の問題が確かにあるだろう。単純な計算だ。新潟地震当時30歳だった人は、冊子がつくられた頃には60歳。社会の真ん中で活躍していた人たちが、ちょうどリタイアした年頃だったことになる。しかしその人たちもいまでは80歳だ。

震災の記憶と教訓の伝承は、時間経過とともにどんどん難しくなっていく。

これから先の50年

新潟地震から50年という節目に思うのは、阪神淡路大震災、そして東日本大震災の記憶と経験と反省が、この先どのように受け継がれていくのかということだ。

新潟の町が蒙った傷は50年という時間の間に癒され、再生したようにも見える。しかしもはや右肩上がりの時代ではない。神戸や東北の被災地がこれからたどる時間が、新潟でのこれまでの50年と同様のものであるとは想像し難い。

これまで町がなかった場所に、新たな町並みをつくり、そこにコミュニティを根付かせていく。経済活動としてのなりわいだけでなく、ご近所づきあいや地域イベントをとおして、町の文化をつくっていく。数千年の歴史を刻んできた伝統と、新しい時代の人たちのくらしを結び付けていく。もちろん、そこには防災と減災の経験と反省と知恵を織り込んで。

人口減少、経済規模の縮小といったマイナス要因を乗り越えて。

陸前高田で知り合った方が「100年の仕事だね」と言ったのを思い出す。植樹活動を続けている人たちは「千年の希望」という言葉を使う。

まずは、長い時間をこえてバトンタッチしていくということから、私達はもう一度学び直す必要があるように思えてならない。

文●井上良太