まさか災害が……。愛する子を誰に託すか。

海から1.5キロ。この距離を遠い(安全)と見るか、危ないと見るか。
東日本大震災の津波で宮城県南部の山元町東保育園の園児2人の遺族が、保育園を運営する町などに対して起こした訴訟に、一審である仙台地裁は遺族の請求を棄却した。と東北のブロック紙、河北新報に報じられた。

山元町は仙台湾を囲むように南側に広がる仙台平野の南の町。人口の約6割が第一次産業に携わる自然とともにあった町。特産のいちごは東北や関東でも有名だ。

その町で、津波警報が出る中、町の担当者による「待機」指示に従って保育園内に残り続け、津波が間近に迫ってから職員らのクルマで避難しようとして園児3人の命が失われてしまった。

 震災の津波による犠牲で行政の責任が問われた訴訟の判決は初めて。遺族側は控訴について「判決に不満はあるが、少し時間をかけて答えを出したい」と話した。

 山田裁判長は「町の避難指示の範囲は防災計画と大差なく、海浜と津波浸水予測区域に限られる」と認定。「想定を超える津波の予見はできても保育所までの到達は予測できなかった」と判断し、行政の責任を認めなかった。

 防災計画の想定地震に基づく浸水予測区域が海から200メートルほどの範囲にとどまる点に着目。「保育所は1.5キロ内陸にある。町は明治以降の津波で人的被害がなく、津波の高くなるリアス式海岸でもない」と示した。

 一方、町がワンセグやラジオで情報収集しなかった対応については「疑問が残る」と指摘した。

 遺族側は2011年11月に提訴し、保育所を含む町の沿岸行政区全域で避難指示が出されていたなどと主張した。保育所への津波被災の危険を町側が認識していたかどうかが主に争われた。

引用元:山元町の責任認めず 園児津波犠牲訴訟 仙台地裁 | 河北新報オンラインニュース

愕然とか、いたたまれないとか、言葉を継ぎ足して悲しむことはできるだろう、被災地の外側にいたわたしたちには。

しかし、親御さんの悲しみのすべてを受け止めることができるだろうか。

もしも自分の身に起きたことだったら――。

そう想像した瞬間にすべてが変わる。ぺらぺらの紙の上の文字で伝えられるニュースやスイッチを入れさえすればいつでも目にすることが出来るテレビの報道……

そんなものじゃない、自らの肉体を削られる感覚。

就学前のこどもたちの命を守ること。子を預ける親であるわたしたちには限界があることをみんなどこかで知っている。自分の場合、子どもがなんとか中学生になるまでの間に、そんな極限を体験することはなかったが、それは単なる偶然に過ぎぬ。

これから先、津波や土砂崩れや火山の噴火や、その他もろもろの災害が発生した時にどう行動するか。中学生や高校生なら大人とともに話し合い、危険回避を考え、緊急時の待ち合わせ場所を決めるなど、いろいろな対策を講じることができるだろう。

しかし、未就学児が災害に遭遇した時に、あらかじめ親が手当てできることがどれだけあるだろうか。

親から見てすご~くいい先生。なぜか子どもが懐いてしまう先生。たくさんのいい先生がいただろう。大好きな友だちもたくさんいただろう。子を預ける親にとっても、その場所はもしかしたらこの上ない環境だったかもしれない。

しかし、悲劇は起きたのだ。

無言で戻ってきた子は生前とはまったく違う姿に変貌していたことだろう。あるいは当人とは分からぬほど変わり果てていたかもしれない。

きついけど、ぼろぼろになって、面立ちまで変わり果てて、鼻や口に砂が詰まったような姿になってようやく帰ってくるかもしれないのだ。あるいはもっと……。

初審判決の是非について意見を述べる立場に自分はない。
しかし強く思うことがある。意志を持って行動できるだけ成長した段階であれば、親と子、まわりの人たちとの間で命を守り合うための工夫や確認はできるかもしれない。

しかしこの裁判に関しては、被害を受けたのは未就学児だ。

公立の組織だから町からの待機指令に従った。それも分かる。命令に背いて動くことの怖さもあったに違いない。でも、でもでも、自ら判断することができぬ小さな子の命を守ることを第一番に考えてもらうことはできなかったのだろうか――。

愛する者を託すこと。その意味を改めて考えた。
一大事が発生したときには、走って、あるいは自転車で駆けつけることができるくらいの距離で仕事をしている職住接近。

一大事が起きたとき、家族を守ることを第一義にできる職場の環境。

組織から生活に重点をシフトすること。
そのために組織がなすべきこと。

東日本大震災で激烈な被害を受けた地域の復活や再生はまだまだ遠い。それ以上にぼくたちは、東日本大震災で学んだことを次につなげていく大事な作業を怠っている。

ぼくたちは少なくとも、この震災で傷ついた人たちがいることを知っている。
たくさんの人が、まるで国際救助隊「サンダーバード」みたいにさ、
現地に入って行くことで、変えて行ける未来が必ずある。

実質的に国土の3分の2が機能不全に陥るという状況が必ず近い将来に発生した時、そこいらで遊び回っている可愛いガキどもや、ジジババたちを町に残された限られた大人たちが主導してどうやって避難させるか――。

偉い人たちが作成したハザードマップよりも、
このおっさんたちどうするんのと考えた先に広がる未来(どこにでもいる普通の人たちの行動とかつながりとか、ご近所づきあいとか、家の前の掃除をする時には隣の家の前も掃いておくこととか、うまく言えないがそんな関わりの延長線上にあるもの)の可能性の方が、
実は何万倍も大きいはずだ。

文●井上良太