2011年3月11日14時46分。東日本大震災発生。
私は当時、新宿の高層ビルの地下で仕事をしていた。今だかつて経験したことのない長く大きな揺れが続いた。ただごとではないとニュースを見るまでもなく察した。震源地はどこだろう。気になった。ニュースで震源が宮城県沖だったことを知る。その日は、都内の交通機関はすべて麻痺。駅の地下街には帰宅できない人が溢れ、道路にはぞろそろと歩いて帰る人が大勢いた。
翌日12日昼前にようやく電車は再開した。帰宅して仮眠をとった後、近所の大型スーパーに食料品の買い出しにいく。しかし、背丈の1.5倍ほどの高さのある食品関係の棚はガラガラだった。何かしら食べものはないかと店内のあちこち探すが何もない。スーパーは同じように食料品を探す人で溢れていた。異常な光景だった。
その後もしばらくの間、混乱は続いた。水、食料はもちろんのこと、カセットコンロ、ガス、ラジオ、懐中電灯や乾電池など、ありとあらゆるものが品切れだった。時折、入荷されるとあっという間に売り切れてしまう。多くの人が、水、食料、電池などを求めていた。ガソリンスタンドには、給油する車が列をなして並び、1時間待ちなんてことも珍しくはなかった。しまいにはガソリンスタンドのガソリンが全てなくなりがスタンドが閉まるという前代未聞な出来事もあった。
原発は止められ、電力不足から計画停電が続いた。自分の住んでいる地区が何時から停電になるのか、テレビでチェックをする日々がしばらく続いた。
夜、停電になるとキャンプ用のランタンの明かりで、レトルト食品を食べた。
多くの人が、ものの価値を痛感した日々だった。あれからもうすぐ1000日。
「災害は忘れたころにやってくる」随筆家・寺田寅彦の言葉だと言われている。
けれども、やってきてからでは、時すでに遅し。
災害が起こった後では、必要なものを入手するのは難しい。
あの当時のことを思い出し、今こそもう一度、災害への備えを確認したいと思う。
準備する防災用品
主観的に必要だと思う防災用品を書き出してみます。防災用品は、一次避難防災用品と二次避難防災用品にわけています。一次避難防災用品は、避難するときに持っていく最低限必要なものです。デイパック1つに極力、軽量、コンパクトな必需品をいれて避難します。避難時に負担を感じない重さにします。二次避難用品は、災害の長期化に備えて準備しておく防災用品です。
<一次避難防災用品>
・現金(10円玉も)
・通帳、印鑑、カード、保険証など貴重品
・水(500mlペットボトル2本)
・非常食(調理が必要のないもの。できれば3日間程度)
・アーミーナイフ(10徳ナイフ)
・エマージェンシーシート
・笛
・防災ラジオ
・ヘッドライト(LED)
・ヘルメット
・ビニール袋
・マジック、ボールペン
・布テープ
・ロープ(太さ2種類)
・皮手袋
・ライター
・三角巾
・手ぬぐい
・マスク、防塵マスク
・雨具
・浄水器
・折り畳み式の水筒
・携帯用箸、スポーク
・シェラカップ、小さい金属製の器
・救急用品(絆創膏、ガーゼ、包帯、消毒液)
・トイレットペーパー
・付近の地図(1枚もので)
・近所のハザードマップ
・緊急連絡先
※防災用品は一家に1つではなく、家族全員が1人1つずつ準備する。
※ライターなど濡れて困るものはジップロックにいれておく。
<二次避難防災用品>
・飲料水(1日3L×3日分×人数分)
・非常食(7日分×人数分)
・LEDランタン
・乾電池
・充電式電池
・ソーラーチャージャー
・風邪薬、湿布などの医薬品
・簡易トイレ
・アイマスク、耳栓
・ロウソク、マッチ
・ブルーシート
・毛布
・食品用ラップ
・裁縫セット
・テント
・寝袋
・銀マット
・カセットコンロ、カセットガス
・コッヘル
・食器
後編では、一部の防災用品について詳細に書きます。
<防災用品を考える ~後編~ へ続く>
Text & Photo:sKenji