息子へ。被災地からの手紙(2013年7月18日)

宮城県石巻市→女川町→石巻市→南三陸町→気仙沼市

昨夜遅くから石巻は雨。それもかなり激しい降り。朝起きて気象情報をチェックしたら宮城県東部には大雨警報が出されていた。

まいった。今日は女川から海沿いの道を通って雄勝、南三陸、気仙沼と走って陸前高田まで入る予定。大雨となれば震災復旧工事中のブルーライン、国道398号を通るのはかなり気が引ける。道が半分落ちたところを大きな鉄板で仮復旧されたりしていた道のイメージが頭を横切る。

だめだめ、予定は変更だ。雄勝の町や大川小学校を通れないのは残念だけど、女川まで行ったら石巻まで戻って、内陸部から南三陸に入ろう、と腹を括った。

でもそんな覚悟、甘かったんだな。

これまで何度も走ってきて、安心な道だと思い込んでいた女川の国道が大変なことになっていた。浦宿のファミマを過ぎて、下り坂に差し掛かったとたん、道の両脇から黄土色に濁った泥水がざばざば道に溢れはじめた。しばらく泥水が見えないと思ったら、坂の下、ちょうど町立病院前の交差点辺りが完全に水没している。とはいえ一本道だから逃げようがない。前をゆくタクシーや軽ワゴンの後について父さんのクルマも冠水した交差点に進入した。

このクルマが水陸両用だったらなぁ、なんてこと考える余裕すらなく、必死になってハンドルを握り締めて、ようやくの思いで窮地を脱出。こんなに大きな安堵感ははじめてかもしれない。

内陸の登米市を通って南三陸へ。降り続く雨の中、志津川漁港、歌津の長須賀のビーチの復活作戦の現場を見て、さらに気仙沼へ。気仙沼では9か月前に訪れたことのある床屋さんにいって、町の人たちの気持ちの変化について教えてもらった。

気仙沼といえば、あの陸に上がった船、第18共徳丸が撤去されるか残されるかが話題になっているけれど、地元の人たちの間では、撤去がほぼ確実になってほっとしている人が多いそうだ。巨大な船が津波に乗って町に侵入し、北へ南へ流されながら町の建物を破壊していったんだから。町に生きてきた人にとっては、目にしたくもないものなんだという。

あの船がぽつんと町中に残されていることが、まるで「晒し者」にされているようで耐えられないという人も、漁業関係者の中にはいるそうだ。きっと船主も同じような思いだろう。

「いまはまだ周囲は建物すらない荒地のような景色だけれど、これから先、あの船のまわりに住宅や工場などの建物が建ったとき、おかしな風景になると思いませんか?」

あぁ、そんなふうに考えたことはなかったな。何年か後、町に家が増えていき少しずつ回復が進んでいく中、逆に朽ちていく船があの場所にあるとしたら…。

震災遺構を残すことは重要だ。しかし、その場所に生きている人たちの気持ちや、未来の生活を考えることなしには、議論は進まないのだと気づかされた。

話がそろそろ終わりに近づいた時、床屋さんがうれしそうな顔で付け加えた。

「実はね、始まるんですよ、かさ上げ。もうすぐ起工式なんですよ。」

船の話はもうおしまい。自分たちは明日に向かって生活を考えていくんだという、気持ちのこもった強い言葉が印象的だった。