小笠原がきっかけで人生を加速させた男【旅レポ】

その人はよくわからない人だった。年齢で言えば30代前半くらいだったと思う。眼鏡をかけた華奢な兄さん。それ以外の情報は無かった。

びっくりするほど体力のない人だった

大学を休んで小笠原諸島の父島(ちちじま)に滞在していたころ、僕はとある宿で働いていたのだが、繁忙期はオーナー夫妻のほか、最大7人がスタッフとして働いていた。特に7~9月、週に1~2往復の定期船が入港している期間のお客さんは常にいっぱいで、それなりに忙しかったように思う。

その眼鏡で華奢な兄さんも、最初はお客さんだったものの、いつの間にかスタッフとして働くことになった。スタッフが7人とは言え、その7人がフルタイムで働けていたかと言えばそうでもなく、体調面や体力面を理由に休むスタッフも多かった。その兄さんも続いたのは最初の1週間くらいのことで、すぐ休みがちになり、結局続かなかった。

当時の僕にしてみれば、自分より10歳近く年上の兄さんが、請け負った仕事をあっさり諦めてしまったことに、少なからず不満があったと思う。他のスタッフも休みがちだったため、僕はその分まで頑張っているつもりだったのだ。

けれど、その兄さんは、お客さんに戻っても長期滞在を続けた。

不思議だった。野暮な話だが、小笠原を訪れるには最低でも10万円、そして最低でも5連休は用意しておきたいところである。当時大学生だった僕は、「就職してしまえば、2度と小笠原には行けない」と思い込んでいた。だからこそ、時間のある大学生のうちに・・・と、小笠原を訪れたのだ。宿で働いた理由はもちろん、3食、寝る場所、お小遣いがもらえるからだった。

だから、「良い大人が小笠原に何日も長期滞在できるものだろうか」と、不思議だった。小笠原のような、都心から1,000kmも離れた島に長期滞在をしているくらいだから、会社に勤めている様子はない。直接聞いてみた人もいたらしいが、その答えの限りでは無職。そんなことがあるのだろうか。宝くじが当たった?親の遺産?今思えば失礼な話なのだが、僕に限らず、僕も含めた周囲の皆でそんなことを話し合ったのを覚えている。

目に見えて日に日にたくましくなっていく大人

それでも、お互いが長期滞在ともなればいつしか打ち解けてくるもので、スタッフの休憩時間は、兄さん含め仲の良い人同士数人でよく出かけた。それこそ、シュノーケリングやたこ捕りなど、出かける先はもっぱら海が多く、それも深く潜ったり、長距離を泳いだりするのだから、遊びと呼ぶにはなかなかハードだった。

そうやって、休憩時間に遊ぶ日々が当たり前のようになり、気にも留めなくなっていたが、思い出してみると、この兄さんは驚くほどに体力が無かった。・・・はずだった。それがどういうわけだか、毎日海へ出かけ、南の島らしい肌の黒さになっていく。ビフォー・アフターで考えると、あまりも劇的な変化だということに、僕はハッとしてしまった。

このころには少しずつ、個人的な話ができるようになっており、聞けば「元高校中退のひきこもり」だと言っていた。初対面当時は「元引きこもり」と聞いても納得がいくほど体力がなく、それにどこか話しかけづらい点があったのは否めない。兄さんは変わってしまった。それも、とてつもなく健康的で、快活な方向へ変わってしまった。大人と呼ばれる人が、ここまで日に日にたくましくなっていく様子を見るなんて初めての経験である。年下の僕がこんな風に思うのも変かも知れないけれど、年下だったからこそ、その事実が衝撃的だったのかも知れない。

兄さんの眼には何が見えていたのだろうか

さらに時間が過ぎていくうち、彼はインターネットビジネスにおいて、「その筋では有名」だということが、なんとなくわかってきた。彼の名前を検索すると、まだ色白で細身な彼の写真と共に、景気の良さそうな話題がたくさん出てくる。「引きこもり」の期間でビジネスを確立し、それで仕事をしていたと、そこで知った。小笠原に長期滞在ができていたのも、場所を選ばない仕事だったからだ。

それも凄いことだが、それ以上に、小笠原でやりたいことをやり、心身から健康的になっていった姿を見ているだけに、こんな生き方があるのか!!と、感動してしまった。それはもう、身震いするような衝撃だったと思う。彼はその後も島に残り、今では既存のネットビジネスのほか、島で海のツアーガイドも開業した。その他にも、社団法人を立ち上げたり、島内でパソコン教室を開いたりと、数年の間にめまぐるしく変化していった。

大学を休学し、長期滞在をした僕にとって、この休学の期間は最後のワガママだと思っていた。これが終われば、小笠原への気持ちは封印し、どこになるかわからない就職先でしっかり働かないといけない。そんなプレッシャーもあった。だからこそ、自分より10歳近く年上の人が、小笠原という島に触れ、劇的に変わっていく姿が強烈だった。今では、自分の好きなこと、自分のやりたい仕事をただひたすらに追っている。これが本当に、島の宿のスタッフ仕事に対し、1週間で根を上げてしまった人と同一人物なのだろうか。そして、あのとき、何故宿のスタッフをしようと思ったのだろうか。



僕にとって、小笠原での長期滞在はひとつの変化になった。出会う人出会う人が面白く、「地元以外の友達」がたくさん増えた。心身ともにたくましくなっていく人がいたように、島で過ごすことには何かしらのパワーがあると知った。だからこそ将来は、仕事場となった宿のような宿をやりたいと思うようになった。僕は僕で、実は劇的に変わっていた。

兄さんの眼には何が見えていたのだろうか。高校を中退したとき、ネットビジネスで稼いだとき、小笠原に行こうと思ったとき、小笠原で何かが変わったとき、小笠原に住んで海のガイドをするとき、島民にパソコンをおしえるとき。

ここ最近は、たまに島を離れては海外を飛び回っているらしい。中国やアイルランドに行ったとSNSで最近知った。きっと、また何か始めるのだろう。内心、僕は彼の次の行動が楽しみで仕方ない。でもやっぱり、しばらくすると小笠原に帰っている。

兄さんは今、何を見ているのだろうか。

兄さんが内地へ来るとき、互いに「ご飯でも」と誘いあうのだが、なかなか都合が合わないのがもどかしい。