2013年3月7日(震災から728日目)の福島県双葉郡楢葉町。山田浜から山田岡の周辺
かつてゲートがあった場所、Jヴィレッジ。サッカーの聖地は原発事故から日本を守る最前線になりました。警戒区域が縮小された今も、Jヴィレッジ周辺には緊張感が張りつめています。(警察車両や見回りの車がたくさんいるということです)
Jヴィレッジがある広野町からさらに北上し、楢葉町の海岸線を歩きました。
Jヴィレッジの海側には、東京電力広野火力発電所がそびえてます。発電所前を左に(北に)向かうと、なだらかな坂を下って道が海辺へと続きます。
その途中の路肩の状況です。
石や溝蓋が転がった光景は被災した様々な場所で見かけますが、ここは直後の状況がかなりそのまま残されているようです。通行の邪魔になる大きながれきは撤去したけれど、それ以外はそのまま放置。押し寄せた津波が坂道を遡上していった先端あたりの様子といった感じです。
南地区浄化センターという建物です。公共の施設だけあって、かなり頑丈につくられています。倒壊したブロック塀も、しっかり鉄筋が入っていました。頑丈なつくりだからこそ、道にはみ出しているのに撤去されていないのかもしれません。
鉄筋は縦方向と横方向に入れられ、コンクリートもしっかり充填されています。
それでも鉄筋は引きちぎられていました。
計算してみたところ、この鉄筋1本あたり3.5トン以上の力が掛かったということが分かりました。
鉄筋1本あたり、ですよ。
ブロック塀全体では、いったいどれくらいの力が掛かったのでしょうか。
かつては田んぼだったと思われる場所に、黒いベール。地面の凹凸を覆う生物のようにも見えますが…。
おそらく、ここにあったアスファルトが津波ではがされて、大きな板状のまま地面を覆ったのでしょう。
震災から2度の夏を過ごし、太陽の熱でアスファルトが軟らかくなって、地面の凹凸に沿うように変形したのでしょう。
警戒区域として立入が厳しく制限されていた「時間」の長さを物語る「遺構」なのです。
こちらのアスファルトは裏返しになっています。夏の熱い日差しにいったんは熔かされたアスファルトですが、いまでは現在の形で硬く固まっています。
アスファルトを突き破って伸びた草が枯れていました。
別の場所でこの光景を目にしたら「生命力」の象徴のように感じたかもしれません。
でも大震災から2年がたった楢葉町で見かけるこの光景もまた、「放置」された時間の長さを感じさせるものでした。
海岸線に出てみました。
遠くの煙突は広野火力発電所。手前側には津波で乱雑に散らかされた状態の消波ブロック。このブロックはゆくゆくは、きちんと整頓して積み直さなければなりません。大した被害に見えなくても、復旧のための作業内容を聞くと「そんなにおお事なんだ」と驚かされること。消波ブロックもそのひとつ。津波被害を受けた長い長い海岸線に沿って、積み直しを待つ消波ブロックが延々と並んでいるのです。
「終点」のすぐ近くに…。
「起点」の杭。しかもこちらは手書き。
津波で破壊された堤防の仮設復旧工事の「終点」と、新たな堤防工事の「起点」を示す杭だったのです。
無残に破壊された堤防の内側には、民家がありました。明るい海の近くのおしゃれな家々です。