戦禍のイランで生まれ、身寄りをなくし、7歳まで孤児院で過ごし養母に引き取られ8歳で来日したサヘル・ローズさん。貧困、いじめ、差別…日本での暮らしは困難を極める壮絶な日々でした。その経験を糧に、今さまざまな苦しみの中にある人へ【がんばらなくていい】と伝える自伝集『言葉の花束 困難を乗り切るための“自分育て”』を上梓。本へ託した想い、これからの自分育てについてお聞きしました。
サヘル・ローズ
1985年イラン生まれ。幼少時代を孤児院で生活し、フローラ・ジャスミンの養女として7歳のときに引き取られる。8歳で養母とともに来日。高校時代に受けたラジオ局J-WAVEのオーディションに合格して芸能活動を始める。レポーター、ナレーター、コメンテーターなど様々なタレント活動のほか、俳優として映画やテレビドラマに出演し舞台にも立つ。
また芸能活動以外では、国際人権NGOの「すべての子どもに家庭を」の活動で親善大使を務めていた。私的にも支援活動を続け、公私にわたる福祉活動が評価され、アメリカで人権活動家賞を受賞。著書には『戦場から女優へ』(文藝春秋)、フォトジャーナリストの安田菜津紀氏との共著で写真詩集『あなたと、わたし』(日本写真企画)がある。
本は自分を否定せず自分らしさに帰れる
――俳優のお仕事だけでなく、サヘルさんはさまざまな活動をされています。今回のご著書を執筆されるにあたって大変だったこと、うれしかったことなどお聞かせください。
すべての人を包み込める一冊に、というのが執筆する上で気を付けたことでした。例えば、誰かを置き去りにしない言葉遣いです。最初、母子家庭という言葉を使っていましたが、母子に限定すると父子家庭は置き去りに。どんなに丁寧に向き合おうとしても、言葉は無意識のうちに誰かを置き去りにすることに気づかされました。
この本を手に取ってくれた人が自分に向けられた「手紙」のように感じてもらえるよう意識しました。あえて話し言葉で、自分の個性を残すよう試行錯誤した結果、純粋に声に出して書いてみようと。読んでくださった方から『読んでいるとサヘルの声が聞こえてくる』という感想も頂いて、「聞こえる本」になれたのがうれしかったです。
――まさにサヘルさんの声がそのまま聞こえるような。Twitterの150文字のような感情表現がわかりやすい各章ですね。とても読みやすく感情移入してしまいます。
私は幼少期に本に救われることが多かったんです。本は友達になれます。人って大変な時に、否定されたりすると苦しみを抱えるものですが、図書館や本は自分を否定しない。本は心地よく自分に帰れる場所だと思う。自分の書く本で、誰かにそれを伝えられたらいいなと。「頑張らなくていい」と伝える一冊になれました。
――日本語が、日本人以上に上手です。勉強を重ねられた結果と思いますが、書くにあたって日本語の難しさは感じられましたか?
私は感覚で話します。日本語は漢字ひとつにしても意味があって、日本語を意識すると固まってしまう。日本語を大切にしながら、日本語という枠から出る挑戦ができたと思っています。国籍の違う人が母国語以外の言語で表現しようとする時、その人がどんな想いで言葉を残そうとしているかです。言葉の持つ皮膚感覚を感じてもらえたら。
――「幸」という字が一本欠けると「辛」になる…なんて、よく観察していらっしゃるなぁと。サヘルさんにとって言葉とは?
言葉は生きるヒントをくれます。言葉の解釈ひとつで見える世界が変わるし、相手という字も「愛手」と漢字変換すると、目の前の人との向き合い方が変わる。みんな見えている世界が、たとえ血がつながっていても違う。異なっているのが素敵なのだと。説明するよりも、自分が提示することを大切にしています。それを見た次の世代が、生き方のヒントをもらってくれたらと。
――3年ほど前にフォトジャーナリストの安田菜津紀さんとのトークイベントに伺って、サヘルさんと安田さんの言葉のキャッチボールが共鳴し合っていて、どんな幼少期を過ごされたのかな?とその頃からずっとお聞きしたかったんです。8歳で養母さんと来日されてどのような日々でしたか?
アパートの家賃が払えずに転校することもありました。言語が違うので会話が追いつかず。植物で例えると、若い根っこが抜かれても酷く影響はしませんが、ある程度成長した根っこを抜かれると結構痛い。小学校高学年での転校は辛くて。日本の学校はグループが出来上がっている。人間関係が個人ではなく、グループとどう共存できるか?
私は幼少期から強制されることが苦手で、抵抗すると変人呼ばわりされ苦しんできました。グループが既に出来上がっていて、どのグループに入れてもらう?となった時、そこにエネルギーを使うのがすごく嫌でした。友達がいなくてハブられている。トイレに行くのも誰かと一緒じゃないとダメ。私って何だろう?と迷子になっている転校生でした。中学校ではもっと息苦しい状況に。国籍問題だけでなく、違った考え方をもつ人、強い個性への蔑みを受けました。「自分の居場所はどこか?」が私の永遠のテーマです。
たくさんの習い事をさせてもらったけれど
――本を読むと過酷な人生の中でも、給食のおばさん、校長先生、定時制高校の先生など、所々で助けてくれる方が必ず現れるドラマがありました。
当時の私は努力をせず悲観的でした。ただ一つ言えるのは私は縁に恵まれました。自分が何かしたわけではなかった。神様がいたらこんな状況にしないと思うのですが、神は誰かが作ったものでも、運や何かに護られていると感じます。引き合わせ、必然が人生の中でたくさんあった。ひとつの線がずれていたら、今の私はここに立っていません。
――神様ではなく、運や何かに護られている…きっとそうです。生かされているのですね。
お母さんと出会えたのも、生みの親が私を授かってくれたから。身寄りをなくして孤児院で生活をしていなければ、フローラとも出会っていないし、日本に来ていなければ、校長先生、給食のおばさん、恩師のもっちーとも会っていない。
「生きること」はポジティブなことですが、生きているからこそ直面した苦難を考えると、「生まれてきてしまって良かったのか?」と自問自答してしまうことがあります。今のロシア・ウクライナ情勢にしても、大人ができるのは今の状況を丁寧に子どもに説明してあげること。今何が世界で起きているのかと同時に加担しない。守られていることは尊いと伝えていきたいです。子どもの未来は守られるべきですし、子どもには平和ボケをしてほしくないと思っています。
――平和に慣れてしまうと、どっちが良くて悪いか分断したがりますが、平和を守るというのは敵と味方を作ることではないのですね。
戦争はどちらも被害者で、どちらも家族がいます。自分が殺人者になる恐怖。国のトップは現場に出ているわけではないので、サインや指令ひとつで大量に殺人を冒します。その怖さ。それをあやふやにせず丁寧に伝えていきたい。自分の子が、孫が、その状況に置かれたら・・・を考えてほしいですね。
――戦禍を潜り抜けてきたサヘルさんだからこそ、実感を伴う言葉だと思います。お母さんのフローラさんにはどんな言葉を贈りたいですか?
ありがとう。そして本当に愛している。私はお母さんを生んで育てたい。お母さんはやりたかったことを何もできなかったから。全部私のために諦めてきた。いろんなことに蓋をしてきたから、次はお母さんを私が授かって、やりたいことを全力で応援したい。お母さんを幸せにしたい。
――心が綺麗じゃないとお母さんにそんな風に言えません。幼い頃、習い事をたくさんさせてもらったことも書かれていましたが、お母さんはサヘルさんの可能性が楽しみだったのでは?
習い事はピアノ、そろばん、テニス、アーチェリー、バレエボール、水泳、バレエ、歌、アイススケートなどたっくさんしました。当時は親のやりたいことを押し付けられているように感じて。トイレもお風呂もないアパートで暮らしていたのに、お母さんがどれだけ経済的に窮しているかもまったくわからず。この中から一つでもプロになってくれたら生涯生活に困ることはない。お母さんはバレリーナになる夢があったから、女の子を育てたかった。
でも私は、ただただ毎日習い事に通わされ、やりたくもないことをさせられて引っ越しばかりで友達もできなかった。皆、友達の家に遊びに行けるのにそれすらできない。勉強も追いつけず語学を学ぶのに精一杯でした。宿題を持ち帰ってもお母さんに教えてもらえない。すべてがずれてしまっていた。なぜお母さんができなかったことを私がやらなくてはいけないの?押し付けられている!もっと自由になりたい!…その時の私は中途半端で、ひとつでも最後まで丁寧にやっていれば…。今もなんとなく全部できますがプロではない。
ロールモデルを増やすために映画制作
――お母さんの願望を跳ね返すパワーを持っていたのですね。
部品が足りないのを危惧して、私に良かれと思ってしてくれた事だったのです。もしお子さんがいる方であれば、その子は何が好きなのか?何ならやれるのか?投資することは大切です。もしその子が途中でやめることがあっても叱らないでいてあげてほしい。子どもが何度挫折しても親には応援してほしい。自分のやりたいことをすぐに見つけられる子もいれば、時間が掛かる子もいます。子どもにとっては親が最大の理解者。親に拒絶されると子どもは居場所を失います。最後まで味方でいてあげてほしい。
――やめさせてあげる勇気、判断力も必要ですね。コロナ禍になって変化したことは?
時間がないと日々追われ逃げてきたことが目の前に現れて、さぁやろう!といろんなことに取り組めた2年間でした。1年かけて映画を一本撮りました。企画、キャスティングもして今編集中です。日本の児童養護施設で育った子ども9人が主人公。当事者に映画出演してもらいロールモデルを増やしたい。サヘル・ローズの名前はありがたいことに少しづつ知ってもらえて、発言できる機会をいただけています。でも私一人ではなく、そういう発言の場をもらえるロールモデルがたくさん必要だと思っています。彼らはやりたいことがあっても応援してくれる大人がいない。施設では生活が守られいても、心は死んでいく。大人になっても7割が社会に出ない。そういう彼らをもっとフューチャーしたいのです。