【シリーズ・この人に聞く!第194回】落語家 立川こはるさん

女性落語家はまだまだ少数派ですがなかでも異彩を放つのが今回ご紹介する立川こはるさん。ボーイッシュないでたちと滑舌よく勢いのある巧みな話しっぷり。聞けば都会育ちでありながら昆虫大好き少女であったとか。リケジョとして前途洋々なはずが、なぜ前人未到の芸の道へ?経歴もユニークな落語家として注目されています。日々奮闘するこはるさんの素顔に迫ってみました。

立川 こはる(たてかわ こはる)

1982年生まれ。東京都港区出身。青山学院中等部・高等部を経て、東京農工大学農学部へ進学。卒業後に大学院へ進むも1年で中退し、2006年3月立川談春に入門。前座名「こはる」2007年1月朝日いつかは名人会で初高座「道灌」。2012年6月二つ目昇進。女性の落語家が少数の中、ひときわキレのいい話しっぷりで異彩を放つ。談春門下の一番弟子として活動中。

都会の虫好き少女はリケジョに成長し…

――コロナ禍でも積極的に落語会、独演会を開催されていますね。

落語会は主催者、地域の呼びたいという方が声を掛けてくださってお引き受けするのが多いのですが、コロナ禍の今はなかなか呼ばれません。お呼びが掛からないと仕事はゼロ。でも立川一門は寄席に入っておらず、早い段階から自分で会場を借り、お客さんを集めて独演会をしなさいという育てられ方をします。仕事がなくとも自分で企画してお客さんを集めて独演会をする。いわば野球場に呼ばれるスター選手ではなく、自分で草を刈って野球場を作るところから始める草野球のようで強いんです。

故・談志師匠には一年以上、女性だと気づかれなかった。

――港区にご実家があるとか。都会のどまんなかでお育ちですが、サラリーマンのご家庭で?

父はフリーの自営業。家で仕事をして現場へ出かけるような仕事でした。2つ下の妹がいて、習い事好きな母に言われてピアノ、プール、KUMONなど素直に通っていました。子どもの頃は遊ぶか勉強するかしかなかった。理由があって結果がある。こう思うからこうなる…というような考え思考する概念が、中学受験する頃からおもしろくなってきた。通っていた公立小は半分くらい受験して私立に行くような学校でした。中学受験をして私立青山学院に進学し中高6年間過ごしました。算数が得意かといえば意外とそうでもなく物語文が苦手。じゃあ、なぜ落語家をやっているんだ?って話ですがね(笑)。22歳まで青山の実家住まいで、大学院進学と共に一人暮らしを始めて、その後中退して落語家になりました。

――落語家さんはどの方も生き方がユニークですね。どうして落語が好きになったのですか?

小さな頃から明治神宮や青山墓地、根津美術館という自然豊かなスポットで昆虫採集をする大の虫好き。生物の研究をしたくて大学は外部受験し、東京大学は落ちて、東京農工大へ進学。図鑑が大好きで、新種を見つける博物学を勉強するつもりでしたが、入学後に勧誘されるまま落語研究会へ入部。「落語」と言われずラーメンをご馳走してくれて、付いていった先が落研の部室。大学に入るまで落語を知らなかった。20年ほど前、落語自体それほど認知されておらず、昭和のお爺ちゃんが聞くような固いモノというイメージでした。

――目指したのでなく成り行きで落研入部とは、おもしろいですね。

受験勉強の時に聴いていた深夜ラジオのお笑い番組や、しゃべりには興味があったので落研に。1学年5人ほどしか部員はおらず、私の年は私を含め3人入部し、1年で2人辞め。1人残ったわけですがクラブ活動継続のために残りました。鑑賞する、聴くだけの落研ではなく、落語をやらなくちゃいけなかった。古典落語を覚えさせられて、全然わからなかったですが、先輩に勧められ五代目柳家小さん師匠の「道具屋」をまず最初に覚えました。与太郎がおじさんに言われてガラクタを売りに行く話です。耳から聴いて、書き起こし、覚えて。首をこっちに向け、あっちに向けと、セリフの役割分担なども先輩に教わりながらやりました。それでも1年くらい興味がなく、予備校講師、家庭教師、Z会の添削などのアルバイトばかり。人とコミュニケーションを取ってしゃべらないといけませんので、理系で生物が好きで勉強ばかりしていたもので考えることは得意。落語も、先生も、全部相手を見て伝えなくてはいけない。そういう伝え方は大学に入ってから初めての経験でした。理系の思考回路で落語家になった人はあまりいないと思います。

――しゃべりのセンスを磨くという意味でも、落研とアルバイトが最初のステップだったのですね。予備校で教えていた科目は何を?

個別指導は小学生対象で全教科。個別にはいろいろな特性を持つ子がいたので勉強より、コミュニケーション重視。私自身は小学校時代、塾やKUMONへ通っていましたが、机に向かって勉強させられるのは嫌いで、興味が湧いたことだけ勝手に勉強していました。小学生時代は理科と社会が好きで、受験では点数にならないんですが大人になってから役に立ってます(笑)。

予備校講師内定、大学院進学からの方向転換

――いつ頃、落語家の道に進むと決断を?

大学三年生の就活で、大学受験のカリスマ講師は朝から働かなくていい生活スタイルでしゃべりもおもしろいし予備校教師になろうと。一番早く内定もらえたのが大手予備校の講師職。女性講師がまだ少ない時代で生物の講義は需要がないというので、英語講師で採用頂きました。ところが内定をもらい『これから毎日同じ場所に通って会社勤めをするんだ』と思ったら急に内定ブルーに。結局内定を断りました。モラトリアムの学生時代を過ごし、無意識に落語をやりたい!というのがあったのかもしれません。

気風のいい喋りで古典落語に取り組む。

――大学卒業後に落語家デビューを?

卒業後は大学院へ進み研究室に残りましたが、正当に評価されずモヤモヤと。学会では学閥を含めて政治的な面が見え受け入れられないこともあって。一生懸命研究をしても正当に評価されないくらいならば、理不尽だからしょうがないと腹を括ってやる落語界のほうが諦めがつくと思いまして(笑)。

「女に落語は無理」と言われ、自分がやっても無理だな~と思っていたんですが、イチかバチか行ってみようと大学院をやめ入門願いをしたら、どうして落語家になりたいか。どうして談春の弟子になりたいか。弟子になって何がしたいのか。作文を書いてきてくださいと。で、書いて出しましたら採ってくれました。

――思い切った選択でしたね。ドラマがあります!作文はお得意でしたか?

いえ、大嫌いです。でも論文は書けます。『…このように思います。理由は三点あります』…という書き方は得意。感想文は書けません。作者の気持ちになって…なんて作者に聞いてほしい。どう思いましたか?と聞かれても、何も思いませんでしたとしか答えられない(笑)。師匠は書いた作文を言葉で説明しようとしている情熱を受け止めてくれた。当時は立川談志師匠がご存命でしたので、ご挨拶に行きましたが丸1年間女性と気づかれなかった。確かに短髪ではありましたが(笑)。

――女性を特別視しない一門で却ってよかったですね。入門してからは順調満帆で?

立川一門は寄席に入っていません。三遊亭、柳家、林家などは大体皆、朝師匠の家に行って掃除や雑事をして寄席の楽屋で365日落語会の裏方をするイメージがありますが、寄席に入っていない立川一門は師匠の取材、落語会の付き人がメインです。師匠が気持ちよく現場に辿り着けるように邪魔にならないよう気遣いスムーズに手配をするわけです。これが一番難しかった。前座を6年半させていただき2006年から2012年まで師匠の身の回りで修行をしました。最初、なぜ怒られるのかわからず。師匠だけでなく落語家は全員修行していますが、ベテランは見えてる視点、チェックポイントが100ある。私はペーペーですからチェックポイントが5つくらいしかない。自分なりに想定、想像、選択肢を作ってこれのほうがいいのか?と考えながら必死でした。立川一門に男しかいなかった中で私が初めて立川一門に女で入りましたが、同じ育てられ方でした。

――落語界の中でも異色の立川一門に入門したのはどんな理由があったのでしょう?

うちの師匠(立川談春)の落語がすごいと思って。大学時代は落研でいろいろな落語家さんの噺を聞いていましたが、弟子になろうと思ったのはうちの師匠の迫力、説得力でした。たまたま立川一門でした。もちろん私が予備校講師に憧れていた下地もあるのですが、何百人と言うお客さんたちをグイグイと引き込む。息も吸えなくなる飲み込まれるような感覚。それをしゃべっているだけでできるわけです。一体どういうことだろう?と。それが師匠にはありました。

人の話を聞く。疑って考えてみる。

――芸に胸撃ち抜かれたのですね。では落語家としての素養とは何でしょうか。

プレーヤーとしては、お客さんに自然に受け取ってもらえる世界ができるか?どうやって愛してもらえるか?です。うまくてもコイツ好きじゃないな!と思われたらお客さんは来ません。下手でもなんかコイツおもしろいな!と思われたらお客さんは来ます。相手が不快だという障害を取り除いて愛されること。芸人の生き方としては好き勝手やる。舞台の上では、いかに愛されるか?ですが、芸人は就職しているわけではなく自分の人生。あまり常識に囚われずに何でもやっていいんだと思っていろんなことにチャレンジする。年を取ってくると勝手に頭の枷みたいなものができて、これはやらないほうがいいとか出てきますが、そういうのを取っ払って柔軟に考えられることでしょうか。

今はショートカットだが大学時代はロングヘアだった。

――こはるさん的にはどういう芸を見せていかれたい?

古典落語というジャンルは男の人ばかりがずっとやってきた世界。女の人は受け入れられないという時代が長く、この5年くらいで変わってきました。私が修行からやってきた10何年の間、女性が古典落語をはなしても不自然なく楽しんでもらえるかに重きを置いていたので、これからも考えながらやっていきます。女性の落語家は私の他にもいらして、女の人に登場人物を変えてみたり、女の人主役の新作落語にするとか。私はそういうのを一切せず、男目線で話す古典落語に取り組みたいです。歴史がある芸をちゃんと受け継げる技術。自分にはまだまだ修行と年月が必要です。

――芸の道を歩くこはるさんから子どもたちに伝えたいメッセージをお願いします。

学校に落語会で行くようになって、結果的に予備校講師から道を逸れましたが、学生たちに接する機会が結構あります。今の小学生は1クラスの人数が少なく、1クラスに先生が3人いたり非常におとなしい。コロナになる前から感じていますが、みんな平均的で逆に大丈夫かな?と。ケータイやスマホで今はLINEグループなどで、私たちの頃より遥かに監視し合っている。相手がどう振舞うか、自分がどう振舞うか。子どもたちの世界で足並みをそろえることに非常に敏感。落語も、みんな笑っていないのに自分だけ笑ったらどうしようとか…そういうのを感じます。

今はTwitterなどで大人の発信をすぐ受けとめられる。都合のいい言葉を素直に聞くのではなく、ひとつ疑ってみること。みんなが笑っているからいいわけじゃない。みんな黙っているけれどこれは言ったほうがいい…など疑って考えることを大事にしてほしい。都会だけでなく地方でも同様に感じています。LINEとかTwitterでの文面での感情表現はできても、人の話を聞いて何かを返すってことが慣れていない子が多い。それと、学校がすべての世界になって同調圧力に息苦しくなっているのでは?足並みそろえることに消耗している。もっと勝手に生きていいんだよと伝えたいですね。