【シリーズ・この人に聞く!第192回】指揮者 冨田実里さん

2022年トップバッターは元気溌剌な指揮者。子どもの頃から一貫して音楽が大好きで中高時代は吹奏楽部、大学ではピアノ専攻するも、指揮を振る楽しさ、深さ、喜びに目覚めてこの道へ。新国立劇場ではバレエの新たな魅力を伝える新企画、エデュケーショナルプログラムも2月に予定。そこでもオーケストラを指揮する冨田さん。素晴らしい文化継承のために今、何が求められているのかを熱く語っていただきました。

冨田 実里(とみた みさと)

国立音楽大学器楽学科ピアノ専攻卒業、桐朋学園音楽大学音楽学部にて指揮を学ぶ。
堤俊作、湯浅勇治、松沼俊彦に師事。2013年日本バレエ協会『ドン・キホーテ』でバレエ指揮者デビュー。その後、イングリッシュ・ナショナル・バレエ、バーミンガム・ロイヤルバレエの客演指揮者として『ロメオとジュリエット』『くるみ割り人形』『海賊』『コッペリア』『大地の歌』『ラ・シルフィード』を指揮したほか、井上バレエ団、NBAバレエ団、牧阿佐美バレエ団、東京バレエ団などで指揮を務め好評を得る。また、指揮者の活動以外にもさまざまな分野でピアニストとして活躍の場を広げている。新国立劇場バレエ団では、数々のバレエ公演で副指揮者を務め、17年よりレジデント・コンダクター。『シンデレラ』『くるみ割り人形』『眠れる森の美女』『アラジン』『ドン・キホーテ』『コッペリア』『白鳥の湖』などを指揮した。

魔法をつかえる指揮者になりたい!

――女性の指揮者は日本ではまだ少ないのでは?と思います。指揮者はどのような勉強をなさるものですか?

女性指揮者は最近増えてきました。日本では若手指揮者の登竜門といわれるブサンソン国際指揮者コンクールで優勝された沖澤のどかさんがいます。指揮を勉強している時に「これは男の職業だと思われていることを理解しておきなさい」と言われたことは覚えていますが、できるだけジェンダーを意識せずに自然体でいたいですね。

自然とピアノを弾き始めた3歳頃。

音楽大学ではピアノ専攻で、指揮を学んだのは別の音大にある別科でした。音大に通いながら並行してもう一つの音大で指揮だけ学べるコースへ通い、本格的に勉強を始めたのは大学卒業後ロームミュージックファンデーション主催の指揮者セミナーです。指揮者の小澤征爾さんが看板の専門スクールで、そこで出会ったウィーン国立音楽大学で教鞭を取られている湯浅勇治先生からたっぷり教えてもらいプライベートレッスンで指揮を学びました。

指揮者になるなら何かプロ並みに演奏できる楽器は必要といわれており、音大の指揮科に進まずにピアノを勉強できたことは今思えばよかったと思います。新国立劇場バレエ団との関わりは2008年、「アラジン」のリハーサルピアニストとして参加したのが始まりです。

――音楽の道を目指された原点は何か?

母がエレクトーンのデモンストレーターで、結婚後はエレクトーン講師をしていました。お腹の中から音楽を聴いていたといわれます。小さい頃から音楽が身近にある環境で、自然とピアノを弾くようになり、国立音楽大学附属小学校に通いました。中学生になって吹奏楽部に入り、そこで学生指揮を務めてから指揮者に興味を持ちました。

独りで演奏するピアノと違って、いろんな人の音が集まって合奏を作るこその楽しさ、深み、おもしろさをそこで体感して、引退する時に指揮をやめるのが寂しくなりました。でも指揮者になる夢はその時は漠然過ぎて描けなかったのですが、『指揮を勉強したらおもしろい人に出会えそう!』という興味が湧いたんです。

――好奇心旺盛で。おもしろそうだからその方向へ進むのは選択としてよかったですね。

指揮のレッスンというのは、最初はピアノを指揮することから始まります。二台ピアノがあり、まったく同じ譜面があって、二人の奏者に同じ瞬間に音を出させる。そういうアカデミックで基礎的な訓練から始まります。私はピアノを弾く側にもなりました。この役割を指揮伴(しきばん)といいますが、とある指揮者の指揮伴をした時に、自分で出したことのない音が出た。『あ、今めっちゃうまい私!』という音楽が、指揮者によって引き出されたのです。指揮って上手な人が振ると魔法のようなんです。『この魔法はどうやってできているんだろう?』とその秘密を解き明かしたくなり、指揮者になりたい!と思うようになりました。

――おもしろいですね。指揮者は耳だけじゃなく体力も相当使うし、いろんな意味でまとめる役。ご自身が指揮伴をした時に何かが降りてきたわけですね。実際ピアノを始めたのはいつ頃でした?

家にはエレクトーンとピアノがあって、3歳上に姉もいたので真似がしたくて3,4歳からやっていました。初めは母、そして外の先生に教わるように。その時々で先生も変わりましたが、自由にのびのび教えてくれました。母は何事も楽しもう!という姿勢でイベントの企画をする、楽しいことが大好きな人で私もその影響を受けています。

ピアノは黙々と練習するイメージですが、私の場合は好奇心旺盛でピアノ以外でも常に活動的に走り回っていました。ヴァイオリンも9歳から習い、中高時代は吹奏楽部での活動が大好きでした。ちなみに高校では必修でもないのにオーケストラの授業も受けてヴィオラを演奏したり。大学では姉がチンドン屋サークルを新しく作っていたので、そこにも参加して社会における音楽の役割を新たに知りました。それまでやっていた音楽はホールにお客様が来てもらうものでしたが、チンドン屋はお客様の世界に寄っていき音楽を発信する。それが楽しくて、音楽で誰かに喜んでもらえる体験も得られました。

作品へのリスペクトと常に学ぶ姿勢。

――指揮を振るまでにどのような道のりを歩まれましたか?

桐朋学園大学で指揮を習った先生が、バレエの指揮をよくなさっている堤俊作先生で、先生が練習に出られない時に代わりを務める「下振り」の役割をして現場の経験を重ねました。その後、2013年にバレエ『ドン・キホーテ』の全幕を指揮する経験もしました。ちょうどその頃、新国立劇場バレエ団で副指揮者というポジションができ、まったく同じ演目の『ドン・キホーテ』の副指揮者をやりませんか?と声を掛けてもらい、そこから副指揮者として働くキャリアが始まりました。

バレエは幼少期から好きなことの一つ。

――副指揮者とは指揮者のサポートをするという?

そうです。あとはカバーコンダクターといって指揮者が万一病気で倒れたりした場合などに、代わりを務める役割です。そのポジションになると、世界からやってきた指揮者の流儀を直に見られる。音楽と踊りをどう結び付けているのか、色々な指揮者の考えに触れられたことは大きな勉強になりました。

吹奏楽部でチューバを演奏する16歳当時。

2014年にバレエ団で一緒に仕事をしたイギリスの指揮者が招いてくれて、翌年2015年にイギリスでバレエ公演の指揮を振りました。ヨーロッパは公演数が多く、1か月に7~8回公演ほど指揮しましたね。

2017年に新国立劇場バレエ団の指揮者という立場になりました。同時に副指揮者も務め、ピアノも弾くという複数の役をこなすのが前提ではありましたが(笑)。そうして2020年パンデミックとなってほとんどの演目で海外から指揮者が来日できなくなり、代わって私が指揮を振ることになりました。今やらずにいつやる?という思いで取り組みました。

――いろんな指揮者のスタイルがあると思いますが、自分流はどんなスタイルですか?

自分を主語にしないことを心がけています。作品への尊敬を持つということです。「名作といわれる所以は何だろう?」「名作のもつ秘訣とは?」など指揮をしていると色々考えさせられることがあります。例えば「白鳥の湖」は何度も指揮している作品の一つですが、指揮するたびにこの曲はすごいなあという発見があります。長い年月を越えて残されてきた作品に、たまたま今私がバトンを持っている。この先につなげられるように変な泥を塗ってはいけない(笑)。やればやるほど勉強したいことはどんどん出てくるので、常に学び続けたいという姿勢でいます。

「ピアノとか芸術とか、私にはよくわからないけど、この演奏はすごかった!」と誰かに言ってもらえたら光栄です。お客様の心を動かすことは奏者が情感を込めることでなくて、微妙で緻密な音の操作。ただ懸命になっても心を動かせるとは限らない。上手な人は音ひとつだけで他人の心を動かすことができますし、音楽を学んでいない方にも説得する力があると思います。

――2月開催の「エデュケーショナル・プログラムvol.1 ようこそ『シンデレラ』のお城へ!」はどのような内容ですか。

4歳のお子様からご観賞頂ける、舞台の裏側を見せるプログラムです。舞台はどうやって出来上がるか、舞台転換がどうされるのか、古い作品はなぜ人に愛されるのか、そのポイントは何か…など。いろんな人の手があり、協力があり、成り立つ空間の秘密をちょっとだけ見せますというものです。

お話は誰もが知っていますし、バレエの「シンデレラ」はこうできているのか!とバレエや舞台に関心のある方はもちろん、初めて舞台を観るお客様にも楽しんで頂けます。たとえば12時の鐘が鳴って魔法が溶けてしまう場面。あれはたくさんのスタッフによる綿密なマジックがある。小道具一つにしても愛が詰まっていて、プロフェッショナルが集まりおもしろいものが出来上がるんです。また、意地悪なお姉さん役は男性ダンサーが踊りますが、そのアイデアによってどう心を動かされるのか?そんなポイントを気づいてもらえたらと思います。たくさんのエンタメがある現代で角度の違うアプローチでバレエを紹介することは舞台芸術文化を存続するための挑戦ともいえるかもしれません。

いろいろな劇場でレクチャー的なプログラムを行っていますが、生のオーケストラによる演奏が付いての上演は、新国立劇場ならではです。たくさんの車輪が噛み合って大きなものが出来上がるのだと知ってもらえれば。中学生の時に吹奏楽を知った私が「皆でひとつのものをつくるのは楽しい!」と思った原点を、ぜひこのプログラムで体験してほしいです。

疑問に思ったことは忘れないでほしい。

――音大附属での思い出はたくさんあると思いますが、これは!というエピソードは何でしょう?

校内演奏会です。演奏が上手な生徒として私が選ばれることはありませんでしたが、うまい演奏よりおもしろい演奏って何だろう?といつも考えながら同級生の演奏を聴いていました。

学生指揮を経験した18歳当時。

――技術でなく心に響く音楽とは…という視点を既にお持ちでしたね。ピアノの他に習い事は?

バレエを幼少期から5年生頃まで。一旦中断して中学生から大学生の途中まで。後半は発表会に出るなどもせず、週1でバーレッスンを受けていました。あとはバレエの先生から案内された来日公演に行って感動を受けたこともよく覚えています。

――ピアノにバレエに指揮に…とユニークな道のりですが、未来の子どもたちに伝えたい言葉をお願いします。

自分が疑問に思ったことは忘れないでほしい。それが自分を拡げるきっかけになり、可能性を拡げる最大のチャンスだからです。私は小さな頃から漠然と音楽を仕事にしたいと思っていたけど、「ピアノの先生の他に、社会で役立つ音楽の仕事は何があるんだろう?」と中高生時代はよく考えていました。ピアノの先生、音楽の先生しか出会ったことがなかったからです。知らないことを抱えて、何がどうなっているんだろう?という疑問から、ユニークな道のりが始まります。

――なるほど。疑問を持つことが原点ですね。では親世代に何かメッセージを。

形になるか、花咲くかどうかは、人によっていつになるか、どういう花になるかもわからないものです。でもそこで得た文化への理解は、人間として豊かに生きるベースになります。子どもの頃にピアノを習っていた人が大人となって観客としていらしてくださるのも花開くことの一つの例です。どんな習い事をしても、その核となる哲学や考えを教えてくれる先生に、出会えるといいですね。生きる知恵、哲学の詰まっている芸術に触れると、お金でないことに価値を見出せますし、豊かさにつながると思います。そして短絡的に結論づけないことも大切ではないでしょうか。文化とは短期間で計れるものではないですし、習い事であっても、人生を決める道になるかもしれません。何がきっかけになるかわからないですから。