10月に刈りとったお米を長男の友人からいただきました。
脱粒、脱穀のお手伝いはできませんでしたが、あの時のお米が食べられるなんて思っていなかったので、長男と大喜びでお米を炊いてみました。
古代米を炊こう!
普通に炊飯器で炊くよりは・・・とお鍋で炊きましたが、火をおこして古代風に炊けばよかったと後から後悔・・・。
食べることに夢中で気がつきませんでした。
またキャンプに行ったときに実行してみたいと思います(ちなみに浜松博物館では古代の火おこしをするイベントを行っているときがあるので興味のある方はぜひ)。
いざ実食!
いただいた古代米を炊いてみると、ツヤツヤ、もっちりしていて噛む度に甘味が口の中に広がってお箸が止まりませんでした!!このおいしさをどう表現したらいいのか、とにかく美味しかったです。
子供たちもお箸が止まらず、あっという間に完食してしまいました。
繋がる命
今回は自分たちが植えて収穫したということもあり、お米がとても大切なもののように感じました。
普段はお店で当たり前に買えるお米にはない特別感がありました。当たり前だけど食べたら無くなってしまうし、もう同じものは食べられないし、手に入りません。最後の一粒まで大事に食べることができました。
今の時代、食べ物は買うことが当たり前になってしまい、食べ物のありがたみが薄れているように感じます。種から芽が出て花が咲いて実が実る、こういったプロセスを体験することで、「食べ物=命」であることにあらためて気がつけます。
バケツで古代米を育てているときに長男が近所の公会堂に落ちていたお米の種もみを拾い、バケツの中にこっそり蒔いていたようです。知らないうちに育ち、稲穂が実っていました。
古代米については、残念ながら鳥に全部食べられてしまいました。でも鳥の命を繋いだのかと思うと、それはそれで無駄ではなかったと思います。