【復興支援ツアー2019レポート】南いわて・北みやぎの新しい魅力発見ツアー by orangeoor18

道の駅から追悼施設、献花台へ進み、奇跡の一本松・陸前高田ユースホステルまで歩いていくことができます。

周辺一帯を『高田松原津波復興祈念公園』として整備。園内の自由な行き来が可能になる通路、そして駐車場から見えたタピック45、旧気仙中学校の内部公開に向けて現在も一部で工事が行われています。

東日本大震災津波伝承館

奇跡の一本松・陸前高田ユースホステルの見学後は再び道の駅に戻ってきました。隣にあるのが『東日本大震災津波伝承館』。

これまでも伝承施設をいくつか見学してきましたが、その多くがそれぞれの市町村内で起きた出来事を中心としたものでした。一方こちらは県内の三陸沿岸部全域を対象とした内容。過去の災害から3.11につながり、教訓そして復興までと東日本大震災を体系的に理解できる内容になっています。

教訓では、異なる地域の様々な立場(消防、警察、病院、学校、住民など)からの視点でまとめられています。犠牲者を出さずに避難した学校等の事例もいくつか紹介されており、今回初めて知ったケースもありました。

数多くの展示の中でも、特に印象的だったのが『東北地方整備局災害対策室』を再現したブースでした。(写真撮影は不可)

各地の様子を映したモニターが数十台あり、それを囲むようにテーブルと椅子が配置されています。このような場所で情報収集や災害対策の検討、現場への指示が行われていました。

この対策室で立てられた計画が『くしの歯作戦』です。孤立の恐れもあった三陸沿岸部でしたが、迅速な対応により、震災翌日(3月12日)の時点で瓦礫等で塞がれていた内陸部と沿岸部をつなぐ11本のルートを確保することに成功。これによりアクセスが大幅に改善され、人命救助、物資輸送がスムーズになりました。この作戦に関連するパネルが展示。動画では作戦に携わっていた方々のインタビューも聴くことができます。

※内陸部と沿岸部の道路を2本に縦線として、それを11本の横線でつなぐと『くしの歯』のように見えるため、名付けられました。

椿の里・大船渡ガイドの会

レストハウスの目の前にある世界の椿館・碁石。震災で中止になってしまった『全国椿サミット』の開催が内定しました。

その後、大船渡へ向けて出発。

少し車を走らせ、碁石海岸レストハウスに到着しました。駐車場にはすでにガイドさんがいらっしゃいました。

子供が小さいこと。この後自分たちが大船渡駅の近くで予定があったこと。そして、昼食の場所として予定していたレストハウスが臨時休業だったこと。

こうしたハプニング(うち2つは事前にきちんと伝えてなかった…。ガイドさんごめんなさい)がありましたが、すぐに新たな行程を頭の中で組み直し、案内をして下さいました。

松の木が生い茂る遊歩道を進んでいくと大海原が望める展望台に到着。ここは震災後に出来たのだそうです。

展望台の右手に見えるのが『乱曝谷(らんぼうや)』。海食により出来た断崖で高さは30メートル以上もあります。

また、隣にあるのが、『雷岩(かみなりいわ)』。打ち寄せた波によって洞穴から入った空気が圧縮されて外に逃げていくときに雷鳴のような音が響き渡ります。この日の波は穏やかでしたが、なんとか一度だけ「ドドーーン。ゴーー。」を聴くことができました。

その後は碁石海岸の名前の由来になった碁石浜へ行きました。黒い玉の砂利は囲碁で使う石のような形をしています。記念に形が良いものをいくつかいただいてきました。

道中では、傾向として実際にあった「男性は皆を見届けてから、一番最後に避難するので逃げ遅れる」ことや「今でもPTSDに悩まされている人がおり、強い責任感からか各家庭の長男に多い」ことなど、外から見ただけでは中々聴けないようなお話もしていただきました。

その後も各所の案内をしていただきながら、大船渡市魚市場へ。
震災の影響を受けながらも、最新の設備を搭載した新たな市場に生まれ変わりました。ガイドさんは食の安全を守る上で徹底的にこだわった最新の衛生管理システム。また、海水を使ったシャーベット上の氷ができる珍しい製氷施設が自慢だとおっしゃっていました。

大船渡といえば本州一の水揚げ量を誇るサンマ。市場でサンマを1匹ずつ直列でつなぎ合わせるというイベントを過去に実施したところ、並べた長さはなんと357.22メートル!『最も長い食用魚の列』としてギネス記録に認定されました。

湾口に造られた深海防波堤も全国で一番最初に整備された貴重な施設です。魚市場がある大船渡湾はL字のような特徴的な形。デッキから見ると縦に長い湾であることがわかります。

湾に波が入らないように、湾口(『L』の角付近)に整備しましたが、3.11の津波はそれを越え、防波堤を破壊したとのことでした。(現在は、防波堤の高さや機能を見直し、復旧工事が完了しています。)「防波堤があるから大丈夫」と、逃げ遅れた方もいたそうです。

想定などあるようでない自然災害の恐ろしさやこうした思い込みが一瞬の判断にも影響するのだということを改めて実感しました。

「私も50人の知り合いを亡くしています。」

こうした経験をされていても、私たちに終始明るくふるまってくれたガイドさん。息子を可愛がりすぎて、なぜかご自身が泣いてしまうというお茶目なところも印象的でした。

今後起こり得る自然災害から生き抜くためには、こうした伝え続ける方々の存在が大切だと思いました。