あの日、この学校ではその年最後の授業が午前まで行われ、午後は部活動やクラス行事をしていたのだそうです。教員は高校入試関連の作業等をしており、約170名の生徒と約20名の教員、そして、改修中だった校舎の工事作業員26名が校内に残っていました。
生徒と数名の教員は校舎から1kmほど離れたお寺に避難(最終的にさらに海から離れた中学校に移動)。
残りの教員は学校の重要書類や貴重品などを南校舎1階から3階に移動させ、当初は同じく残っていた人も3階に避難したとのことです。(過去の津波データを参考にして3階であれば安全だろうと踏んでいた)
しかし、予想以上の高さの津波が襲来。荷物とともに4階まで上がりましたが、第3波で水はそこまでも到達してしまいました。最終手段として、マスターキーを持っていた職員がいたため、普段鍵がかかっている屋上へ避難。なんとか犠牲者を1人も出さずに難を逃れることができました。
これまでも被災した学校を見学してきましたが、高等学校は今回が初めてでした。校舎の規模が異なるだけでなく、校内の様々な場所で活動する(震災時は、校庭などで部活動、中庭でクラス行事、教室で補習、事務室は生徒入室禁止で教員のみが作業をしていた等)時間が多いため、緊急時は各々の判断がより大切になってきます。
近くの冷凍工場が津波の威力を弱めてくれたこと(工場は流され校舎の角に衝突した)など幸運もありながらも、最終的にはその時々で最善の行動をとれるかどうかが生死を分けるポイントなのだと思いました。
網元の宿 磯村
見学した後は、本日お世話になる宿『磯村』さんへ。魚市場から歩いて7~8分ほど距離にあるこの地区も津波によって大きな被害を受けました。
宿の方によると、当時は今よりも少し内陸に位置する場所に建っていたのですが、津波が押し寄せ1階部分が損壊。かさ上げ工事等の遅れ等によって目処が立たず、再建するまでに約7年を要したのだそうです。
置かれている物一つ一つにこだわりが感じられ、館内は上品な雰囲気。それでいて、みなさん気さくでアットホーム。
食事では息子に対してお心遣いをしていただきました。こんなにゆっくり自宅以外で食事を楽しめたのは初めてかもしれません。
そして、肝心な食事な内容はというと・・・。
気仙沼で水揚げされた新鮮な海の幸がふんだんに使われています!
メカジキの刺身、ふかひれ、牡蠣といった定番はもちろんのこと。
サメの心臓、マンボウといった珍しい食材まで!
サメの心臓(通称:モウカの星)は女将さん曰く、もともとは気仙沼のマグロ漁師が釣り上げたサメを食べたところ、思いのほか美味しかったということで、市内で出回るようになったのだとか。「この旅館が最初に料理として出した」とのことでした。
酢味噌でいただくのが気仙沼流。味はレバ刺しと表現する方が多い方が多いようですが、全く癖がないことや食感的に馬刺しのほうが近い気がしました。
私はなんでもいける派ですが、『珍味苦手』『魚より肉派』な妻がどの料理も完食したのは驚きでした。
2日目(11月29日)
朝ごはんも大満足でした。
指定した時間に1人ずつ土鍋で炊き上げてくれるご飯。それに刺身を乗せたお茶漬けまで食べられるとは!朝から贅沢なひと時です。
道の駅高田松原
旅館をあとにし、本日最初の目的地・道の駅高田松原に到着しました。
たがだ屋さんが以前あった場所は、8月の大雨により閉鎖され、食堂やお土産店はこちらで営業されていました。