案内中、子供たちが大賑わいしてご迷惑をおかけしてしまいましたが、アテンダントさんは嫌な顔ひとつせず閉館間際まで丁寧に説明してくださいました。
今回案内してくださったアテンダントさんも女川町に住んでいましたが、東日本大震災で被災し、現在は石巻に移られてこちらの施設まで片道1時間かけて車で通われているそうです。
女川原発PRセンターでは地域との交流のため、果樹園「スイートガーデン」で、りんごやかりんの収穫体験をしているようです。スイートガーデンには、なんとニュートンが万有引力を見つけたりんごの木があるとのこと。世界中で接ぎ木されたうちの1本だそうです。
予定より1時間半ほど遅れて女川原発PRセンターを出発し、18時半にホテルパールシティ気仙沼に着きました。2日目からは、ここ気仙沼を巡ります。
1日目は、レンタカーを借りるまでに時間がかかったこと、車に搭載されていたナビが古かったことで、古い道を走ったことで時間が押してしまいました。途中からグーグルナビに切り替えたことで、なんとか1時間半程のロスで辿り着きました。
被災地は道が頻繁に変わるため、また有料道路も使える区間が変わっていることがあるため、グーグルナビなどで最新の道を調べながら走る方がいいと思います。
1日目の夕食はホテルに入っていた、気仙沼料理が食べられる「鼎や(かなえや)」というお店で頂くことにしました。とても繁盛しており、たくさんのお客様で溢れかえっていました。
鼎やさんでは、ラーメンからホルモン焼き、お刺身といろいろなメニューがあり、家族はそれぞれ自分の好きなものを頼んでいました。私は「漁師丼」を頼みました(今回もイクラ大好きな息子に、イクラだけ取られてしまいました)。
ちょうど座っていた席の横にあった衝立を見て、かりん大好きな息子が「あれ?これって、かりんの木だよね?」と食いつきました。妻も「このコブの感じがかりんっぽいよね。」とマニアックな会話に・・・。
息子は料理よりも衝立が気になるようで、店員さんに「この木は何の木ですか?」と質問していました。店員さんも「うーん、何だろうねー。」と首をかしげていました。
そのとき、近くのカウンター席に座っていた常連さんらしきご婦人が「この木はかりんの木じゃないかな。木目とコブの感じがかりんだね。」と教えてくれました。実はこちらのご婦人、気仙沼で建築関係の仕事をしていて一級建築士の資格も持っていらっしゃる、とのこと。
静岡から初めて気仙沼に来たことをお伝えすると、数年前に知り合いに会いに焼津に行ったことがあるとのこと。「気仙沼は海のまちだけど、静岡も魚がおいしいよね。」と食べ物の話で盛り上がりました。
「せっかく気仙沼に来たんだから、美味しいものを食べて行ってね。」と言って、ホルモン焼きとメカジキのステーキをごちそうしてくださいました。
今回の旅の目的もお伝えすると、ご婦人は震災の体験をお話してくださいました。
津波が来た時、ご婦人は建築関係の仕事で市場にいたようです。地震のあと、大津波が来るということで、3F建ての建物の屋上7mのところに逃げたようです。一級建築士だったご婦人は、6mの大津波警報と聞いて、自分のいる建物の屋上が海抜7mということを知っていて、屋上に逃げたということでした。
10分くらいで津波が到達し、ギリギリの高さまで水が迫ってくるのを見たときは、いったんはもうダメだと思ったそうです。
屋上からは引き波で海の底が見えたそうです。また川の水が引いていき、5mくらいの滝のようになったようです。
「人も流されていたけれど、どうすることもできなかった。前も後ろも流された家だらけで、すさまじい光景だった。」とご婦人はおっしゃいました。自然災害だけは誰のせいでもない、どうしようもない、とおっしゃっていました。
仕事の仲間で、道具を取りに行って流された方もいるようです。知り合いの家族にも亡くなった方がいらっしゃるそうです。津波で、車で逃げた人は流され、学校の先生の言うことを聞いて2Fに逃げて子どもが流された学校もあったようです。
津波から身を守るためには、事前に自分の判断で避難するシミュレーションをしておくが大事、と何度もおっしゃっていました。
明日、大島の亀山に登ることをお伝えしたところ、「ぜひ安波山(あんばさん)と大島から、気仙沼の被災状況と、いまの復興状況を見てほしい」と、気仙沼の町を一望できる安波山のことを教えてくださいました。