避難ルートを実際に歩いてみました。~沼津・牛臥山公園編~

シリーズでご紹介していく「避難ルートを実際に歩いてみました」。今回は沼津市牛臥(うしぶせ)にある「牛臥山公園」です。

明治・大正・昭和を通じて皇族の方々がご静養された沼津御用邸(現在は「沼津御用邸記念公園」)より少し北にあるのが牛臥山。

下の沼津市の地震・津波ハザードマップでは「第三地区中」という大きな表示のすぐ上に等高線が詰まった山があるのがわかります。これが牛臥山です。観光客のクルマはあまり通らない「我入道(がにゅうどう)に向かっていく道」をずんずん進んだ突きあたりがここになります。

その牛臥山周辺が整備されて非常にきれいな公園になっています。決して広くはないですが、ベンチや東屋が整備されていて「海をぼんやり眺めながら過ごす」には良いところです。

強風により、ふだんは絶対に出させてくれない「おでこ」をさらす娘。かーわいい♪
海岸へ降りるには、この先を進んだところの階段から。

目指すは「5分で海抜20m」

ハザードマップは「あらゆる可能性を考慮した最大クラスの地震(レベル2の地震)」も想定対象としている「静岡県第4次地震被害想定」を表したもの。これによると牛臥山公園の沿岸部分は

・陸域での津波の浸水深が30cmとなる時間は地震発生から10分~15分
・海岸部の想定津波高は6.6m

となっています。

ということは、大事をとって少なくとも地震発生から5分ぐらいで、海抜20mぐらいまで逃げたいところです。でも前回の「らららサンビーチ編」同様、今回も高台を探すアプリの出番はナシです。「公園自体が山だから」です。

肝心なのは「逃げやすさ」

らららサンビーチのある西浦地区と違って、同じ沼津の海でも千本地区からこの第三地区にかけては、沿岸にまともな高台がありません。ですから同シリーズの「千本浜公園編」や「狩野川河口付近編」では「津波避難ビル」の存在をご紹介してきました。

しかし今回の牛臥地区は海からすぐに山。ハザードマップにも海抜61.5mという数字が見えますね。

ということはやはり「らららサンビーチ編」で触れたように「逃げやすいように整備されているかどうか」が大事です。その点はどうなのでしょうか。

その心配は無用でした。「緊急退避所へすぐに避難」と書かれた看板の右にあるのがこの坂道。ここを登れば1分もかからずに海抜20mはクリアできるでしょう。広々とした坂道なので、一度に大勢の人が登れます。この安心感は大きいですね!

赤い矢印の起点が先ほどの写真の場所。ここから坂道を登り切ったあたりが緊急避難地となっています。さらにその先にはもうひとつ芝生広場があります。

牛臥山は伊豆半島ジオパークの見どころのひとつ

牛臥山公園はのんびり過ごすにもいいですが、ぜひその「地形」を楽しんでください。

約2000万年前、伊豆半島は本州から数100km南、現在の硫黄島付近の緯度にあった海底火山群でした。これが地殻変動によって長い年月をかけて移動し、約60万年前に本州に「衝突」して「半島」になったのです。

半島になってから約20万年前まではあちこちで噴火が起き、天城山や達磨山といった火山ができました。伊豆のどこに行っても温泉があるのは伊豆半島が紛れもなく火山だからなんですね。

そんな成り立ちから変化に富んだ貴重な地形がいたるところで見られる伊豆半島。「地質学的にみて国際的に価値のあるエリア」であることがユネスコに認められ、ことし4月17日、伊豆半島は「世界ジオパーク」として認定されました。

この牛臥山公園も伊豆半島ジオパークのみどころのひとつ。牛臥山は香貫山や徳倉山と同じように本州との衝突によって海底から姿を現し、その後の浸食によって形作られた山なんだそうですよ!そのため海岸には不思議な形をした岩がたくさんあります。

これらの奇岩は、海底火山だった名残なわけですね。
人生の荒波に立ち向かう決意をしている娘
写真は伊豆半島ジオパークの公式サイトより(当日は天気がイマイチだったので)

海岸は日曜劇場「とんび」のロケ地。芝生広場には伊豆韮山代官の江川英龍(太郎左衛門)に西洋砲術を学び、のちに元帥陸軍大将となった大山巌(西郷隆盛・従道の従弟)の別荘跡もある、沼津の隠れた名所なのです。

ここから見る夕日は最高…だと思うのですが、残念!午後4時半に閉園してしまうので気をつけましょう。

ちなみに、牛臥山の東麓にある大朝神社(おおあさじんじゃ)は潮留明神(しおどめみょうじん)とも呼ばれ、日蓮上人が津波被害に苦しむ住民のために祈祷したという伝承が残っています。

つまりここも歴史の中で繰り返し津波の被害に遭った土地なわけですね。揺れたらすぐ牛臥山への坂道を登る。これを徹底しましょう。