2月に岩手県遠野市で開催されたひな祭り会場には、熊本県菊池市からのお客さんを歓迎する看板が掲げられていた。遠野には菊池姓が多いことから(人口の約4分の1も菊池さんいるのだとか!)交流が始まり、1998年に友好都市になった。
東日本大震災のとき遠野市は、甚大な被害を受けた沿岸部を支える後方支援のベースとして活動した。姉妹都市である菊池市は、人材や物資を遠野に送って震災後の活動を支援した。昨年の熊本地震では、遠野から熊本への支援が行われ、菊池市は熊本地震の後方支援拠点として機能している。
東北沿岸部を中心に、震災から6年が経過したいまも活動を続けているNPO法人遠野まごころネットは、ボランティアのマッチングなど被災地での活動経験を生かした活動を熊本県内各地で行った。
東日本大震災で被災した地域の人たちは、熊本地震の被災地に特別な思いを寄せている。「何としても手助けしに行かなければ」という思いに駆られて、震災後熊本入りした人も少なくない。昨年解体された陸前高田の「みんなの家」を主催していた菅原さんは、自ら車を運転して長駆熊本入りした。ビーチクリーンや子どもたちの心のケアを行っているTUNAGARIのメンバーは、益城町と御船町に拠点を立ち上げて、被災地の人たちを直接支援した。
「行きたくても行けない」と内心苦しい思いを抱いた人たちは、募金や物資などで支援した。「支援したくてもそのためのお金が…」という人たちの思いを受けて、石巻のパン屋さんficelleでは、熊本県産の小麦粉を使ったパン「くまモンのほっぺのパン」を発売した。売上げは全額熊本の被災地支援に使われる。
一方、熊本地震の被災地である大分からは、毎年「大分Babys」が東北の被災地を訪れ、野外カクテルバーやアート展、映画上映など多彩な活動を行っている。熊本地震の4カ月後にも、大分Babysは被災地に笑顔持参でやってきた。
ひとはこころとこころでつながっている。
絆という言葉は、震災後にあまりに頻繁に使われ過ぎたせいか、この言葉を使うことに抵抗を感じる人も少なくない。かくいうわたしもそうだった。しかし、東北に移住してもうすぐ1年、絆は確かにあるし、いまも変わらず生きていると感じる。
神戸からのお客さんは、陸前高田や大船渡の町で出会った人たちの話を聞きながら涙した。話している人と一緒に涙した。たとえば熊本地震の被災地でようやく家屋の解体が終わったという人の話をテレビで見て、自分の経験や境遇と重ね合わせて心配する人も東北にはたくさんいる。仮設住宅に入居できたからと言って、高齢の人たちのついの住まいはどうなるのか。熊本から伝えられることは、テレビの画面の中や新聞の紙の上に記されたものではなく、隣のおじいちゃんや自分自身のことでもある。
災害を経験した人でなくても、人ごとと感じられない人がたくさんいる。
だから、熊本に行くという人、東北に行くという人、あるいは岩泉の台風被災地に行くという人がいれば、「これを届けてけれ」と手作りの品物を託す人がたくさんいたりするのだろう。くまモン関連グッズの2016年の売上が、過去最高の約1280億円に上ったのも、少しでも何かしたいという気持ちが共有されているからに違いない。
ひとはつながっている。つながっているからといって何がどうなるものでもない、と言う人もいるかもしれないが、ひとはつながっていることで勇気を得ることができる。つながっていると感じるだけで未来を夢見ることができる。
がんばってくださいね、熊本・大分のみなさん。笑顔でいても、こころの中に不安や悲しみがあること、毎日何回も途方に暮れてしまうような状況の中、それでもやっていこうと自分自身を鼓舞していることを理解している人たちは、たくさんたくさんいますから。