凧が空を舞う。まるで空を行く鳥たちのように。空と大地をつなぐかのように。
3月12日、気仙天旗仙風会による「気仙天旗祈願祭」が陸前高田の海辺のかさ上げ地で行われた。
「震災で亡くなられた人の数だけ凧を揚げるんだけど、来ない?」
災害公営住宅に暮らすYさんからお誘いいただいたのは2月中旬のこと。その数日前、ちょうどコンビニに貼り出されたポスターでそのイベントのことを知っていたから一も二もなく「参加します」と返事した。
待ち合わせ場所でYさんのお孫さん、さらに「群馬のむすめ」さんと落ち合う。群馬のむすめさんのことは「今年から社会人になってなかなか時間がとれない中、無理して有給をとって来てくれる人なのよ」とYさんから教えられていた。震災後ずっとYさんと交流を続け、これまで何度も凧揚げに参加されてきたのだという。
凧揚げの集合場所にはすでに百数十人の人が集まっていた。その4分の1くらいはメディアの人か。顔見知りの人も多い。会場を歩いていると遠くから声を掛けられた。Yさんが住んでいる県営団地の自治会長(候補)の方だった。(候補)というのは、昨年8月初めから入居が始まったもののその団地の自治会はいまだ設立されていない(3月17日に設立総会が開催される予定)という事情による。まだ自治会がないということで、県営団地の人たちは集会場を自由に使えないなどさまざまな困難がある。新しくつくられていくまちのコミュニティづくりに奔走されている1人が、自治会長(候補)の方なのだ。
気仙天旗仙風会の方がハンドマイクで「凧揚げ会場の高台に移動して下さい」と声をかける。集合場所にたむろしていた人たちが大挙して歩き始める。普段は工事現場で一般の人の立ち入りはできない場所だが、若い人も老人も小さな子どもたちも、砂利道の坂道を登っていく。わたしは自治会長(候補)の方に高田の松原の話、この地方の方言の話など教えてもらいながら、一緒に坂道を登っていった。
かさ上げ現場の砂利道という非日常の世界は、それだけで子どもたちの気持ちを刺激するのだろうか。大きな石に躓きそうになりながらも、かさ上げ土地を駆け上がったり走り回ったりする姿が微笑ましかった。
凧揚げの会場となる場所は、一本松の間近のかさ上げ地。目の前には太平洋が広がり、その手前には高く築かれた第二線堤や古川沼も見渡せる。土埃が舞う赤土のかさ上げが多い高田のまち中とは違い、海の近くのこの場所には岩を砕いた破片が積み上げられていた。気仙川の対岸にあった山を砕いて、巨大ベルトコンベアーで運んできた土砂で築かれた山なのだろう。
そんな場所のあちらこちらに、連凧が収められた段ボール箱が置かれている。
14時46分過ぎ、主催者の人の呼びかけで、海に向かって黙祷する。
大きな防潮堤のせいか磯の香りはしないものの、海からの風を感じながら、あの日を思う。亡くなられた方のご冥福を祈る。目を閉じているわたし達のまわりで無数のシャッター音が響く。ビデオカメラが回されているのも雰囲気で伝わってくる。
イベントという言葉は語弊を招くかもしれない。今日のこの日とはまったく無関係のことかもしれないが、父の葬儀のことを思い出した。亡くなったという現実を受け入れることができていないのに、さまざまなことが、あれよあれよという間に段取りどおりに執り行われていくあの感じ。
どうして自分がいまここにいるのか把握できないまま、スケジュールが進行していく。しかし、主催者の方が凧揚げ開始を伝えると、靄っていた思いはどこかに消えた。
段ボール箱の中から連凧を繰り出すと、どんどん空にあがっていく。1枚目が2枚目を、1枚目と2枚目が3枚目を、あがっていった凧が次の凧を空へと引っ張り上げていく。
あっという間に連凧は空へのびていった。
かさ上げされた高台の何カ所もから、連凧が空へとのびていく。
空と大地が連凧で結ばれていく。
連凧の糸巻をつかんでいると、空が凧を引っ張る強さが感じられる。
たくさんの連凧の糸巻を握るひとりひとりが、空が引っ張る力の強さを感じていたに違いない。
凧は空に吸い上げられるように、どんどんあがっていく。
凧揚げに参加した子どもたちも懸命だ。
Yさんは、連凧を繰り出しながら、「みんな元気だよ、元気にしているよ」と語りかけていた。
震災で亡くなられた人の数だけ揚げられていく凧に。
空を埋める凧たちに。
この日の凧揚げにはサプライズがあった。Yさんの知り合いのNPO代表の方が、ゴスペルシンガーたちをこの場に連れてきてくれていたのだ。