中心市街地の建設が進む大船渡。工事の進捗に合わせて、相変わらず道路の付け替えが頻繁に行われている市道丸森権現堂線(海沿いの幹線道路)のファミリーマートがある交差点を山側に曲がると、BRT専用道路のすぐ先に海の星幼稚園の入口があって、そこから100メートルも行けば仮設商店街「地の森八軒街」がある…
はずなのだが、仮設商店街の建物がなくなっていた。
道を間違えてしまったのか、と少し慌ててしまう。道路の付け替えが日常茶飯の町では、「あれ? ここだったはずなんだけど」ということがしょっちゅうだからだ。
しかしルートは合っていた。道路側からは少し見えにくい場所にある仮設商店街のもう1棟は残されていて、ちゃんと「地の森八軒街」の看板も掲げられていた。
地の森八軒街は、この地域で被災した商店が集まって、震災の年の12月にオープンした仮設商店街。大規模な仮設住宅の近くだったこともあり、小規模ながら被災後の町のにぎわいを支えてきた場所。毎月の「ふれあい月市」イベントなど、地域復興に力を注いできた商店街だった。解体が始まったのは、設置期限の2017年3月末が近づいてきたからなのだとか。
地元紙・東海新報のバックナンバーをめくると、1月29日付で『約束の日々忘れない、仮設商店街「地の森八軒街」』という記事を見つけた。記事の写真には見たことのある商店主の笑顔が写っていた。
木造平屋2棟建てで、1棟にそれぞれ4軒が入居していた8軒はすでに「この先」をあらかた決めている。たばこ・食料品店は八軒街のはす向かいにコンテナ店舗を設置して移転、包装用品屋さんはたばこ屋さんの並びに新店舗を建設中。写真店と魚屋さんは国道45線沿いの1kmほど離れた場所で再建、手芸用品店もやはり1kmほど離れた場所にある仮設商店街に移転…
地元で再建する人、離れた場所で再建を目指す人、八軒の中でも「この先」には違いがあるようだ。
年末の風の強いある日、地の森八軒街を訪ねた時、ロープで括り付けているのに発泡スチロール容器が何度も風で飛ばされてコロコロ飛んでしまうのを、拾い集めてお手伝いしたことのあるもう一軒の魚屋さんは、東海新報の記事によると廃業を決めたのだという。すでに店舗があった棟は解体されていて、お話しを聞くことすらかなわなかったのだが——、
かつて、無口なご主人と店の中であれこれ話しながら、目についたのが地元「恋し浜」産のホタテ。「恋し浜のホタテはでかいですね」というと、
「うん、地元産だからね、味は保証するよ」
「じゃあ、少しで申し訳ないけど2枚買っていこうかな」
「ありがとうね、どれでも好きなのを選びなよ」
どう選べばいいのか、ホタテの貝殻を外から見るばかりだったこちらの様子を見て、ご主人は貝の口をちょいと開いて中の貝柱の大きさを見比べて、「ほれ、これとこれだな」
どれも肉厚で、恋し浜産だというだけでもプレミアムなのに、特別に立派なのを選んでくれた上に、「手伝ってもらったからね」と値引いてもくれた。
宿に戻ってホタテを捌こうと、貝殻の間からナイフを入れたら、ナイフを拒んで殻を閉じようようとするホタテの力の強いこと。たった2枚捌いただけで、左手の親指には殻の跡が2筋ついていた。そのホタテの味が最高だったことは言うまでもない。
——そんな、ほんの一月半ほど前のエピソードを思い出した。あの頃、ご主人はもう廃業を決意していたのだろうな。
数日後、もう一度地の森八軒害を訪ねると、解体された1棟があった場所では基礎工事の型枠が組まれていた。八軒街のはす向かいのたばこ・食料品店に入って、温かい缶コーヒーを買い求めて店内で飲みながら立ち話。ホットキャビネットには、下の棚に「景品専用」と手書きの注意書きが貼られている。景品というのは、タバコを1カートン買ってくれたお客さんには、ホットな飲料をプレゼントということなのだとか。
そうこうするうちに、近くの工事現場からタバコを買いにきた人がいて、やはり1カートン買って、温かい缶コーヒーをプシュッと開けた。「寒みぃ日には、これがたまんねんだよな」
八軒街の一角で始まった基礎工事は、たばこ・食料品店の新店舗で、現在のコンテナ店舗はそれまでのつなぎとして土地を貸してもらっているのだとか。新店舗のオープン予定は3月末。
「それ、すごく早いじゃないですか。最近じゃ大工さん不足で住宅の工期だって半年以上もかかるのに」と思わず口にすると、
「そうなのよ。でもね、もうあれから6年もたつのよ」
とたばこ・食料品店のお母さんは答えた。
仮ではない自分のお店を建てるまで6年——。そう考えれば早いなんて言えた話ではない。6年は長い。あまりにも長い。八軒街の8軒のうちには廃業を決めたところもある。落ち着く先をまだ決めかねているところ、仮設商店街から再び仮設商店街に移転したところもある。
「復興」と漢字表記すればたったの2文字。その2文字はとても喜ばしいものだが、2文字になど納まりきれないものがたくさんある。そこで生きてきた人の数だけ、人と人の関わりの数だけある。復興はこれからも、そんなたくさんのもの、目に見えない多くのものを引きずりながら進んでいくのだろう。