冬の天気予報とサバイバル

車での移動が多いのでFMラジオを聞くようになった。地域の楽しい話題やホットな情報、ここ10数年ほとんど興味のなかった最新チャートの上位曲を聞けるだけでなく、冬の東北ではラジオから流れてくる最新のお天気情報が生活(あるいは生存?)のため必須の情報だ。そして、同じ理由でアナウンサーが紹介してくれる、

「今日の天気情報は、日本気象協会東北支部の○○さんです」

という、解説者が「誰なのか」を聞き取ることも、生活(あるいは生存)のために必須の要件になっている。

たとえば、こんなふうにラジオで話す予報士さんもいるのだから。

「明日の最高気温は盛岡では0度。宮古も大船渡もプラスの1度の予報です。いずれも今日より1度ほど高いので、明日はぬくもりを感じられる一日になるでしょう」

おいおい!

最高気温が氷点下の真冬日ではないまでも、最高気温0度とか1度ととかって十分寒いじゃろが(最高気温が0度前後なら、最低気温はマイナス5度とか8度とか当たり前だ)。それに、今日に比べて1度くらい高い予報って、そんなの誤差の範疇以外の何ものでもない。「今日と同様寒さが続きます」とでも解説してもらわないと!

そもそも、気象情報で伝えられる予報地点というものは、たぶん町中に観測装置が設置されているからだろうが、予想気温は実際よりも高めに伝えられることが少なくない。内陸に比べれば温暖とされる東北沿岸部でも、予報が「晴」なのにほんの数キロ山側に入っただけで「雪」だったり、最低気温がプラス予報なのに、日陰や橋の近くの道がツルンツルンに凍結していたりする。予報士さんの語りを真に受けていたら、本当に生存に関わる事態になりかねない。

だからこそ、情報を伝えてくれる気象予報士が○○さんなのかどうなのかも、判断材料として極めて重要になってくるのである。

○○さんを責めているわけではありませんよ。ラジオで話す予報士さんが○○さんだったら、「話してくれているニュアンスよりも厳しく考えなければ」とか、別の予報士さんであっても、「この人のお話しのニュアンスはどんな案配で受け止めるべきなのかな」と、一歩引いた客観的な視点から判断しなくちゃならないことを、日々の生活の中で必須の要件として学ばせてもらえることになるのだから。

情報リテラシーを磨きたい方はぜひ冬の東北へ。あれれ? そんな話をするつもりじゃなかったような気がするのですが…

午前中、雪解け水で水溜りになっていたところが、昼からまた凍結し始めた。毎年「しばれフェスティバル」が開催される北海道・陸別町に比べれば、東北の寒さは甘っちょろいものかもしれないが、それでもやはり真冬の東北は、気象情報がサバイバルに関わるくらいに寒いのです。