スズメバチの巣と戦争の心理

iRyota25

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紙のルーツには諸説あるが、日本の和紙は人々が自然界の生き物に学んだのが始まりだという。岩手県花巻市に300年以上も前から伝わる成島和紙の工芸館館長さんがFMラジオのインタビュー番組で語っていた。自然界の生き物とはスズメバチ。

スズメバチやアシナガバチの巣は、木の皮を噛み砕いたものが材料なのだという。樹木の繊維を細かく噛み砕いたものから軽くて丈夫な、あの独特の巣が作られる。それを観察した、いにしえの人々の創意と工夫によって作られるようになったのが和紙なのだと。

寒くなっても活発なスズメバチ

以下の話は先月九州の実家に帰省した時の実話。

温暖な九州では庭木の成長が恐ろしく早い。「恐ろしく」なんていうのは決して誇張しているのではなくて、本当に物凄いものがある。40年くらい前に新築した時には、芝生の庭の周囲に点々と桜や楓、その他地元の木々が生えているような庭にしたいと、ほんの親指ほどの太さの木を植えた。芝生の広がる庭というのは当時のトレンドでもあった。

ところが、親指ほどだった若木は想像以上のスピードで成長し、新築時に購入した芝刈り機は2、3年もしないうちに無用のものとなった。枝葉をのばした木々のせいで日陰になってしまい、芝生は枯れてしまったのだ。10年もすると木々はさらに成長し、洗濯物が乾きにくいほどになった。「お宅のお庭は森みたいでいいですね」なんてご近所さんに言われる始末。まさかこんなことになるとは思っていなかった。家族で時々、パチンパチンと剪定すればいいだろうと考えていたのだが、森のようになってしまった庭は素人の手に負えるものではない。以後ずっと、年に数回、最低でも2回は庭師さんにお願いせざるを得ない状況がずっと続く。そうは言っても、毎年プロの庭師さんに入ってもらうのではその費用も大変だ。ここ10年ほどはシルバー人材センターの庭師さんにお願いするようになっていた。ところが今年の秋、シルバーの庭師さんが蜂に刺されてしまう。剪定はほぼ終わっていたのだが、庭師さんが蜂に刺されて作業が中断した場所だけが手つかずのままになっていた。

先日帰省した際に母を病院に連れて行く時、「できればでいいんだけど、庭の雑草を抜いておいて。一カ所だけできていないところがあるから」と言われた。「蜂の巣があるから気をつけて。もう冬だから大丈夫だろうけど」。母はそうも言っていた。

ボサボサの状態のままで残されていたのは、畳2畳分くらいのスペース。南国の海岸沿いに多く自生し、備長炭の材料にもなるウバメガシが生えている一角だった。といってもせいぜい2.5メートルほどの小木。草取りはあまり好きな仕事ではないが、こんな場所の草取りなら楽勝だと草を抜いていると、どこから種子が飛んできて生育したのか、蔓植物のアイビーがウバメガシに絡むように伸びていた。根っこを切れば枯れるだろうと、アイビーの蔓をたどったり引っ張ったりしていると、突如耳元でブワォォ〜ンという小型ヘリコプターみたいなイヤな周波数の音がした。

スズメバチだった。ウバメガシの頂上近くに巣があったことに初めて気づいた。その巣は小さいながらもオオスズメバチの巣特有のウロコ模様まである。

アイビーの蔓を引っ張ったことで、巣に刺激を与えてしまったのだ。ブワォォ~ンというイヤな周波数の音に加えて、カチカチカチという細かい音も聞こえる。スズメバチは敵を威嚇するときにオオアゴをカチカチ鳴らす。カチカチ音が聞こえたら、敵として認識されているということだ、なんて百科事典的な知識が頭の中で呼び覚まされる。「黒い服は危ない」という、やはり百科事典的知識が芋づる式で出てくるが、その時の自分の服装は黒いタートルに黒いチノパン。

「ヤバッ!」とダッシュで逃げた。後ろからはイヤな周波数の羽音とカチカチ音が追いかけてくる。いくらダッシュしたって、こちらの走りより彼の飛行速度の方がはるかに早いのは言うまでもない。耳の後ろでは、スズメバチたちの殺気に満ちた複合音が近づいたり離れたり。きっと、お尻をこちらに向けて毒液を噴射したりしているんだろうと想像する。奴らは咬んだり刺したりするだけでなく、コブラみたいな毒蛇と同じく、攻撃前にシャーシャーと毒液を相手に向けて噴射するのをテレビか何かで見たことがあった。しかしそんな様子を想像をしながらも庭を走り回る自分の頭にあったほとんどは、どう逃げるか、どこに逃げるか、躊躇したらヤラれる、ということ。とにかく一瞬を制するしかない。

いくら田舎のこととはいえ、もちろんそんなに広い敷地があるわけもない。表庭をつき走って、家の裏、幅50センチくらいの土間を走る抜けて、バタンと勝手口のドアを閉じた。

ところが、奴らの追跡隊は、バタンとドアが閉ざされる前に、少なくとも3匹は屋内に飛び込んでいたのだ。

やっとの思いで安全地帯に逃げ込んだと思ったら、さらにそこでも羽音とカチカチいう警戒音を上げて彼ら(正確には彼女らというべきらしい)が我が家の中を遊弋している——。この状況をどうするか。考えるまでもない。排除だ。しかも相手はこちらを死に至らしめるだけの力を持っている。やられる前に殺るしかない。母親が病院に行って留守だったのは不幸中の幸いだった。母が帰ってくる前に、奴らを撃滅するしかない。

ずっとずっと以前、夏休みの自由研究で昆虫採集の標本箱の一隅にスズメバチを入れたことがあった。仲間たちからは、カブトムシやミヤマクワガタ以上に賞賛されたものだ。捕虫網さえあれば何とかなる。

けれども小学生だった自分が卒業してから数十年も経過したこの家に、虫取り網などあろうはずもなかった。いろいろ探しても出て来たのは、半分壊れたハエ叩きと素振り用の木刀くらい。その間もスズメバチは居間の中を遊弋しているようで、高い周波数の羽音が聞こえる。

やるか、やられるか。

考える余地などなかった。うまく殺れるかどうかすら、ほとんど考えていない。頭の中にあったのは、「ハエ叩きが有効かどうかは分からないが、さすがに木刀を屋内で振り回すわけにはいかない」ということ。選択の余地はない。奴らがどこかに止まった隙を見計らってハエ叩きでやっつけるしかない。しかし、相手は3匹だ。1匹を殺れたとしても、その時の戦闘で倒した相手がSOSを発するかもしれない。奴らは人間には感知できないフェロモンという名の通信機能も備えている。もしも残る相手が反撃してきたらどうするか——。

ままよ、ここは屋内。部屋にはドアがある。逃げて時間を稼ぎ、敵が沈静化するのを待って1匹ずつ倒していくだけだ。

屋内での作戦行動は想像以上にうまく運んだ。あまりに原始的に思えたハエ叩きという武器だったが、それでも敵の飛行能力を奪い、叩き落すだけの機能は有していた。壁やランプに止まった敵をハエ叩きで一撃する。それだけでは殺すことはできないが、敵は力なく地に墜ちる。アゴをカチカチ鳴らし、お尻から針を出し入れしている相手をさらに叩く。部屋を汚したくはないから、ハエ叩きで掬い上げて屋外に持ち出してトドメを刺す。オレンジイエローの硬い頭部が黒い土の上に転がる。

1匹を殺った後も、他の2匹の反応に変化はなかった。しめた、フェロモン通信は行われなかったらしい。しかし、外でトドメを差した1匹が発する化学物質で、巣の周りにいる他の敵が集まってくるかもしれないと思い返して、外に捨て置いていた1匹の残骸を靴先で掘った穴に入れて土で覆って踏みしめる。

部屋に戻って1匹目と同じ戦法で残る2匹を撃退した後、とり逃した敵がいないかどうか、部屋の中をパトロールする。パトロールしながら、敵の本拠を叩かなければ根本的な解決にはならないと考える。

数十匹もの敵が集っている巣を攻撃するのには、ハエ叩きではどうしようもない。武器は木刀、それもまるで示現流の古武術で使われる太刀みたいに太っとい木刀。これしかない。

木刀でスズメバチの巣を撃退するというのはトンでもない話だが、頭は冴えていた。他に方法がないのだから、「攻撃手段は木刀」という前提で攻撃方法を組み立てる。頭の中の作戦会議はスムーズに進んだ。会議では有用な発言しか行われず、反対意見はおろか、安全を考慮した消極的な意見すら出て来なかった。

敵はそこにいる。こちらはすでに攻撃を行っている。敵の反撃の可能性は否定できぬ。殺るしかない。さらに、病院から帰ってくる母の安全を考えたら躊躇する余地などない。そういうことだ。

まず、黒い服から白っぽい服に着替える。蜂用の殺虫剤はなかったのでゴキブリ用の殺虫剤を風上から噴霧する。殺虫剤に反応して蜂が大騒ぎしないか観察しながら、殺虫剤が空っぽになるまで巣の周辺に噴霧する。ゴキブリ用殺虫剤で蜂が死ぬことはなかった。効果があったかどうかは分からない。しかし、幸いにも敵の巣に目立った動きはなかった。殺虫剤に続いて本格的な攻撃に移る。木刀で三撃。最初から三撃と決めて巣に打ち込んだ。一撃では穴が開いただけだったが、三撃繰り返すことで巣は粉々になって地に墜ちた。ハンドボールくらいの巣が割れて、六角形を組み合わせた敵の本拠地もあらわになった。あらかじめ用意していた熱湯をヤカンから直接注ぐ。すべて注いだ上で、もう一杯熱湯を沸かして注ぐ。

作戦は完了した。敵の反撃はなかった。生き残った数匹のスズメバチは、巣がなくなったことに動揺したのか、巣がかかっていたあたりの枝で何かを探すような行動をするばかりで、こちらを攻撃してくる様子はなかった。

こちらの被害はゼロ。完勝だった。

しばらくして、落とした巣を偵察しに行った。物々しい模様のスズメバチの巣だが、触ってみると思いのほか軽かった。まるで和紙で作ったクラフト作品みたいだった。その時、すうっと湧いてきた思い、それは自分が数十匹、あるいは百匹にも及ぶほどのスズメバチを一方的に殺してしまった事実。いや、殺したという事実そのものよりも、スズメバチを駆除している間、殺すことしか頭になかったことだ。自分で言うのは変な話だが、自分は自然愛護主義派だし平和主義者だ。道を歩いていても、蟻ン子を踏んだらどうしようとか、芥川龍之介の蜘蛛の糸の話みたいなことを考えたりすることもある。

しかし、スズメバチを殺すための作戦行動を行っている自分は、いっさい相手が生き物であるということを考慮しなかった。いやむしろ、生物であるからこそ、念には念を入れて息の根を止めなければと入念に作戦を立案し実行した。殺した蜂を地面に埋めたり、落とした蜂の巣に熱湯を掛けたり。

殺らなければやられる。

その意識の前では平和主義も自然愛護の考え方も霧消してしまう。殺らなければやられるのだから。

しかし、ほんとうにそれだけなのか。

スズメバチは寒い冬を越すために巣の整備をしていた。そこに熊のように黒い服を着た動物がやってきて、蔓を引っ張り巣を揺さぶった。だから攻撃した。スズメバチからしてみればそれだけのこと。その後、白い服を着た動物がやってきてから後のことは虐殺に他ならなかっただろう。

12月8日、75年前に日本は欧米諸国との全面戦争を始めた。戦争中、国民の間に広く存在した意識は、殺らなければやられるというものだったのではないだろうか。

地に墜ちたスズメバチの巣の外壁の、グロテスクで美しい模様を目にして鬼畜米英という言葉をふっと思い出したことを記しておく。

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