陸前高田の奇跡の一本松は、復興工事の工事現場の先にあるので、そこまでは歩いて行かなければならない。起点となるのは一本松茶屋のある「一本松駐車場」。
ここには乗用車だけでなく、被災地ツアーの観光バスもたくさんやってくる。
梅雨の合間のカンカン照りの日曜日、日陰のベンチで缶コーヒーを飲みながら、観光バスの運転士さんとしばしおしゃべり。運転士さんは一本松までお客さんが行って帰ってくるのを待っているということだったので、日陰で涼みながら結構な時間、あーでもないこーでもないとおしゃべりした。
「いやあ、昨日は仙台で30度超えたっけ大変だったちゃ。そんな中、陸前高田まで走って、これから大船渡経由で秋田までだからさ。まあお客さんが来てくれるのはありがたいけど、ドライバーには酷な天気だな」
などとお天気の話から始まって、どちらからいらしたの、とか、最近の高速道路事情はどうだなんて、ひとしきり世間話。運転士さんのバス会社は秋田にあって、秋田から仙台までお客さんを迎えに行って、被災地を巡った後、秋田のホテルに送り届けるというのが今回のルートなのだとか。
東北は秋田県も岩手県も広いから、3県またいで走るといっても走行距離は半端じゃない。震災復旧で三陸の高速道路が出来てきたのはありがたいが、まだ開通した所と、開通していない区間が点在している。「だっけ大変なんさ。たとえ一車線でも高速は高速。下道さ降りて走るのは疲れるもの。大船渡からでも釜石まで行く途中でも下道だぁ。釜石から高速乗っても、遠野辺りでまた下道。それが疲れるの」
だけど、いまでも仙台から被災地経由で秋田までなんて観光ルートがあるんだと驚いていたら、「んだよ、なんだか最近また、被災地の観光の人が増えているような気がするんだよね」とのこと。
と言われて思い出した。ほんの数十分前、一本松駐車場から徒歩5分、クルマで1分ほどの場所にある旧道の駅タピック45、そこは東日本大震災の追悼施設や復興まちづくり情報館もある被災地巡りの定番コースのひとつなのだが、その駐車場で北海道からのお客さんを乗せた花巻の会社のバスを目にしたことを。
中型バスながら、岩手・花巻の観光バスから、たくさんの人たちが降りてきて、陸前高田復興まちづくり情報館に入って行ったこと、お客さんたちがかなり真剣な面持ちで震災の資料展示を見入っていたことなどを伝えると、
「んだろ。おれもな、北海道からのお客さん乗せることが増えてるもの」
でも意外ですね。北海道新幹線が開通して、これまで東北に来ていた観光客が北海道に取られるかと思っていたんですが。
「んなことないよ。だって電車は一方通行でないから。東京から北海道さ行く人も増えっだろうけど、北海道から東北さ来てくれる人も確かに増えてっからな」
金沢に行く新幹線が開通した時には、それまで東北に来てた人がガクンと減ったって思ってましたけど。
「そりゃまあ東京から見てればそんな感じかもしれねっけどな。新幹線が新しく開通すれば、テレビだって雑誌だってそればっかり取り上げるだろうけんど。それでもな、逆に北海道から東北さ来るお客さんも大勢いるもんさ。それが俺たちの実感だどもなあ」
言われてみれば確かにそうだ。新幹線が開通する以前であれば、北海道の人が東北に来るのはけっこう大変だったはず。直通列車はない。飛行機でも空港から三陸沿岸部へはアクセスが不便。それが新幹線が開通すれば、新幹線の停車駅から観光バスに乗れば、被災地の模様をしっかり見て回ることができる。
「そういうお客さんがきっともっと増えてくると思うんだ。北海道も地震や津波が多い土地柄だから、東北のことを知りたいという人は多いはずだろ」
運転士さんの言葉には、そうであってほしいという期待感も盛り込まれていたかもしれないが、しかし「新幹線は一方通行でないから」という言葉にはギクリとさせられた。盲点を突かれたような感じだった。
交通が便利になるとお客さんを取られてしまうというのは、ずいぶんマイナスに偏った見方であって、見てもらい、感じてもらえることがありさえすれば、交通網が整備されるほど、もっとたくさんの人たちに東北の教訓を伝えることができるはずなのだ。
もちろん北海道の人たちばかりではない。関東、東海、中部、北陸、近畿、中国、四国、九州、沖縄、そして海外。
震災から5年3カ月。これからもっとたくさんの人たちに伝えていく上で重要なのは、現地からの発信のクオリティなのだということを、秋田のバスの運転士さんに教えてもらった。
「あ、悪りい、お客さん帰ってきたみたいだっけクルマに戻るよ。気をつけてな。またどっかで会えたらいいな」と運転士さんは帽子をかぶり直しながら駆けていった。
そんなフレンドリーな付き合い方も含めて。