【熊本地震の風景】安倍首相が訪問した避難所で

4月23日(土曜日)午後2時前、安倍総理は益城町の特別養護老人ホーム「いこいの里」に設置された避難所を訪問し、避難している高齢者などと言葉を交わし、握手をしてまわった。

この日の避難所の様子をボランティアの視点から紹介する。

[熊本大地震]アベさんが来ると告げられて

この日、ボランティアセンターからこの避難所に派遣されたボランティアは6名。避難所の運営を担当する町役場の職員から、作業内容についてブリーフィングを受ける。主な仕事は1時間おきに施設内のトイレと近隣に設置された仮設トイレの掃除を行うこと、屋内外の清掃、支援物資運びと整理、そして避難されている方とのコミュニケーション。作業内容を説明する中で職員がぽつりと言った。

「・・さんが来ることになっているので、掃除は念入りにお願いします」

小声だったこともあって、誰が来るのかわからなかった。他のボランティアもよくわからなかったらしい。チームリーダーだけは聞き取っていたらしく、ブリーフィングの後で「アベさんが来るんだって」と教えてくれた。

安倍総理がこの日被災地入りすることはニュースで知っていたが、ここは老人施設。アベさんはアベさんでも昭恵夫人が来るのだろうと思い込んでしまったのだが、どうやら違うらしい。

掃除を始めると、駐車場におびただしい人数の機動隊員がやってきて、建物のまわりのチェックを始めた。建物の中の様子もガラス窓越しにチェックする。目が鋭い。とてもものものしい雰囲気だった。

トイレ掃除、フロア掃除、荷物運び、その合間に避難されている人と軽くおしゃべりという仕事を何回か繰り返す。お昼過ぎになって、「通り道をつくるために、テーブルを移動してください。それから、食品などの物資を見た目がよくなるように整理整頓してください」と指示された。

参加したボランティアはみんな、真面目て仕事熱心な人たちだ。指示されなくても為すべき仕事に全力を尽くす。トイレ掃除では、キュッキュと音が出るまで磨き込む。テーブルの上に並べられたお菓子や食品などだって、避難している人が取りやすいように考えて整理整頓している。だけどこの日はアベさんが来るという特別な日。ボランティアの誰かがつぶやいた。

「俺たち、被災地の人たちのために仕事しているのに、これじゃ何だかアベさんをお迎えする準備をしているみたいだよな」

どこか釈然としない思い――。みんな同じ気持ちだった。

訪問に先立って3人の婦警さんが登場

この施設に避難しているのは大半が高齢者。若い家族連れは1家族のみ。ほとんどの人がロビーの床に直接マットを敷いている。そのマットを動かして訪問の通り道を確保する。さらに避難している人を順路に並べた椅子などに座ってもらう。

「雑然とした避難所の雰囲気を見てもらうべきなのに、何だかつくっているみたいで変な気分だな」

誰かがまた言った。みんな同じ考えだった。

訪問受け入れの準備が一通り終わったところに、3人の婦警さんが颯爽と乗り込んできた。訪問順路に座ってアベさんの到着を待っている人たち1人ひとりに、何やら話しかけている。耳をそばだてて聞いてみると、優しく笑顔で話しているのは、「おばあちゃん、大変やったね。体の調子はどうですか。この後、アベさんが来るから何でも言っていいんですからね」といった内容。

こんなことは言っちゃダメ、こんなふうにしないでね、という注意事項の伝達ではなく、雰囲気をなごませるためのストロークだった。こんなふうに優しく言われてしまうと却って具体的な要望を伝えることなどできなくなる…、と思って、何度か話して少し親しくなったおばあちゃんに、「食事のこととか、寝床のこととか、何でもお願いした方がいいんだよ」と勧めてみたが、「いえいえ、もう来ていただけるだけでありがたいですよ。要望なんて何もありません」

駆けこむように入ってきた総理

婦警さんたちのストロークが一通り終わるや、入口から青い作業服を着た男性が駆けこむようにして入ってきた。

「なるほど、次は予行練習なんだ」

と誰かが言ったが、それが安倍総理だった。昭恵夫人はいなかった。ちょっと残念。

安倍総理は満面に笑顔を浮かべ、順路に沿って座る1人ひとりと握手してまわる。

「どうも! この度は本当に… できる限りのことはしますから」

話しかける言葉は基本的に誰に対しても同じ。どうも!が「どうもどうも!」になったり、できる限りが「責任をもってサポートします」に変わるなどの数パターン。次から次へと握手して回るので、被災された方の方から話しかけるタイミングは難しい。

それでも、安倍さんと握手をしただけで、避難している人たちの表情が変わっていく。避難所の中の空気まで明るくなっていく。

訪問とか視察というよりも握手会といった様相だ。避難している人のほぼ全員と握手して回った後、施設の職員が総理に記念撮影をおねだりした。これがきっかけで、大・写真撮影大会が始まった。避難している人が総理を囲んで記念撮影。ツーショットの要望にも笑顔で応える。足の不自由な避難者の車椅子の行列もできる。

総理の到着を待っている時、「オレさ、安倍さんのお父さんの晋太郎さんとは知り合いで、晋三さんがまだ小さい頃に2回くらい会ったことがあるんだ。でもやっぱりまだまだ父さんには及ばないなぁ」なんて話していた男性は、「えへへ、オレ2回握手してもらった」とはしゃいでいる。

避難所内の空気は明るさばかりか、華やかさまで感じられた。

「まるでスターかアイドルだよな」と誰かが言った。避難している人の話などほとんど何も聞かず、握手会と撮影会をしているだけなのに、場の雰囲気を変えてしまう。その魔法のようなカリスマ性を目前にして唖然とするばかりだった。

マスコミシャットアウトの訪問

安倍総理の避難所訪問についての印象という趣旨からは少し横道に逸れるが、これだけは伝えておきたいことをひとつ。

この老人ホーム避難所での訪問にはメディアの帯同が許されなかった。マスコミ含めたくさんの人がやってくるだろうと通路を広めにとっていたのだけれど、カメラもビデオも内閣府の役人が回していただけだった。

直前に朝日の記者がやってきてはいたが、いつの間にか姿は見えなくなっていた。

総理を取り巻くように何十台ものカメラスタッフが歩き回っては、たしかに現場は大混乱だろう。そういう意味では賢明なやり方とも思えるが、それだけなのだろうかという疑念が残らないでもない。

映像や情報を行政府が一元管理する――。その在り方に底意を疑わずにはいられないのは自分だけではあるまい。

幸いなのか不幸にしてなのか、総理を糾弾するような声はこの避難所では一切聞かれなかった。

安倍さんが去っていった後の空気を埋めたもの

撮影会が終わると安倍総理は笑顔で手を振りながら避難所を後にした。

「会えてよかった」「でも、もう二度と会えないんだな」……

避難所内に祭りの後のような空気が満ちてくる。颯爽と駆け込んできて、ぱあっと盛り上げて去っていく。滞在したのは15分ほど。その半分は撮影会。時計は当初訪問予定とされた午後2時をさしていた。

「安倍さんが訪問先にここを選んだのは正解だよ。総合体育館なんか訪問したら、どんな不測の事態が起きるかわからないからね」

地元のボランティアの人がそう言った。総合体育館には1,000人以上の人が避難している。自動ドアの入口のすぐ側まで段ボールを敷いて避難している人がいる。ロビーも廊下もちょっとしたスペースまで避難している人で溢れている。不安と不満と息苦しさが渦巻く場所だ。たしかに総合体育館に比べれば、この避難所では、ほとんどの人がマットを敷いて寝ているし、具合の悪い人にはベッドもある。支援物資も充実してる。

5年前の震災で菅首相が避難者に詰め寄られたシーンを思い出した。被災地訪問は戦略的に企画制作される政治ショーなのかもしれないということをボランティア同士で語り合っていると、避難所の中にJMAT(日本医師会災害医療チーム)のビブスを着た医療チームが入ってきた。安倍総理と握手した1人ひとりに、今度は医師と看護師、薬剤師のチームが丁寧に診察や生活についての相談に乗ってまわる。切れている薬がある人には、薬剤師が大きな無線電話で薬のオーダーをする。

まるで銀幕のスターのようにやってきて、空気を変えて、だけど具体的な要望は何も聞かないまま去っていった総理と入れ替わりに、体のこと、生活の不安のことなどを丁寧に聞いてくれる専門家チームがやってくる――。

ちょっと出来過ぎではないか。もしかしたら、医療チームまで含めてワンセットの訪問だったのか? そんなことまで考えた。

こんな形での総理の訪問には批判的な気持ちもあった。ただ、政治が人の気持ちや安心を支えるものだとしたら、この総理訪問ショーはアリかもしれない。現に避難している人たちの表情は一変したし、念入りな健康相談もやってくれている。本来、政治は金のことばかりではないもんなあと考えさせられた。

衆議院議員の補選前日に行なわれた被災地訪問。さらに完全にコントロールされた中での被災者との接触。広告代理店が手回ししたのではないかと思われるような怪しい匂いはプンプンだ。しかし、被災した現地の人たちは大喜び、空気の質感まで一変させてしまった。これは何なのだろう。

パフォーマンス。一面から見ればそうかもしれない。ただ自分はマスコミもシャットアウトされたその場(だからすごいものを見せて貰ったことに違いない)にいて、避難してきている人たちの熱狂を肌で感じた。暑くて熱くて、入口付近に退避してしまったほどだ。どうかこのカリスマを、良い方向に使ってほしい。高杉晋作みたいに支配者の行列に声を掛けることのできなかった自分としては、そう願うしかない。

総理が立ち去って1時間以上経過しても、屋内の熱気やざわざわ感は冷めることはなかった。ボランティアたちは仕事をするにもやりようがなくて、入口から流れ込んでくる涼しい風に体を晒すばかりだった。