【シリーズ・この人に聞く!第98回】自律神経を整える「あきらめる」健康法を説く医学博士 小林弘幸さん

「あきらめる」とはギブアップする意味ではなく、心のリセットであり、新しいステージへ上がるための登竜門。そう捉えることによって健康を維持する大切なシステム「自律神経」のバランスも整う…。今回ご紹介する小林弘幸先生は自律神経研究の第一人者として、プロスポーツ選手、アーティスト、文化人へのコンディショニング、パフォーマンス向上指導に努められています。小林先生ご自身がどんな幼少期を送られてこられたかをはじめ、医師を目指した転機、そして健康を司る自律神経の不思議について、お聞きしました。

小林 弘幸(こばやし ひろゆき)

1960年、埼玉県生まれ。順天堂大学医学部教授。日本体育協会公認スポーツドクター。順天堂大学大学院医学研究科(小児外科)博士課程修了。ロンドン大学付属英国王立小児病院外科、トリニティ大学付属小児研究センター、アイルランド国立小児病院外科での勤務を経て、順天堂大学小児外科学講師・助教授を歴任、現在に至る。自律神経研究の第一人者として、プロスポーツ選手、アーティスト、文化人へのコンディショニング、パフォーマンス向上指導にかかわる。

頑張るのは美徳ではない。

――私自身、自律神経が壊れたことがこれまで3度あって先生のご著書を興味深く読ませて頂きました。「あきらめる」健康法…というタイトルがおもしろいですよね。ここに込められている意味をお話し頂けますか?

物事ってへばりつくと疲れる。何かを捨てられれば次へ行ける。頑張ることが美徳と思いこんでしまって、なかなかそういう発想に気づけないものなんです。僕は、前へ進める人は「あきらめる」人だと思う。あきらめたほうが楽になることも多々あります。夢をあきらめない、というのはそれ自体はいいけれど、生きていれば細かな部分あきらめたほうがいいことがあります。例えば、人からよく思われようとしないことも、大事な「あきらめる」ことの一つです。

その神経(バランス)じゃ調子わるくもなりますよ (青春新書プレイブックス) [新書]

――「これを言ったらなんて思われるだろう?」って他人からの評価が気になって言わずに過ごす人はたくさんいますよね。そういう評価を手放すことが肝心という?

人に何て思われても構わないという人は強いです。人が乱されることは2つしかなくて、人から発される言葉、そして文字です。今の時代だとメールとかインターネット上での言葉ですね。そういうことは関係ないと流して、いちいち反応しない人は強い。反応するのは自分をよく見せたい、よく思われたいという欲求があるから。それを捨てればいいんです。

――それは自律神経のバランスを整える上でも大切なことでしょうか?

そうです。あきらめないとしがみつくと、自律神経のバランスは崩れます。物事に動じず飄々としていること。周りに惑わされずに我が道を貫ける「武士道」がいいお手本です。一日をどう生きるか。今を生きるということがとても重要。ジェラシーや妬み、嫌みに反応し過ぎないように。暇な人だからこそネガティブな発言があるのですから。

――なるほど。本を通じて健康を維持するための最新知識を広められているのですね。

日本は最先端の技術を駆使した医療です。ただ、それだけではなく、健康のために役立つ情報を伝えていくことも医療の大きな役目だと思います。僕が本を書く理由もそこにあります。本を読んで「救われた」と感想を書いた手紙をくれる患者さんもたくさんいます。60万部売れた本は60万人の読者がいるということになります。ですから、本を通じて発信することも立派な医療なのだと感じています。でも、そのためには自分の専門分野を確立して勉強しないとなりません。

野球とラグビーで得た人とのつながり。

――小林先生は元からそういう姿勢でいらしたのですか?それとも何かきっかけがあって「あきらめる」ことのできる心持ちになられたのですか?

僕の基本はスポーツにあります。野球とラグビーを通して身を立ててきた。今は体罰禁止と言いますが、僕らの頃は殴られっぱなしでした。そういうのが重要で鍛え上げて苦労しないとダメだと思います。少なくとも僕は痛い思いをしないと目が覚めない。中学時代は校内暴力の盛んな時代でした。

中学は野球部、高校と大学ではラグビー部のバックスで活躍した。

――ご両親が小学校の先生をされていらした関係で、とても厳格なご家庭でお育ちになられたとか?

父が特に厳しくて何でも一番で当たり前という考え方でしたから、勉強や運動会で1番取っても、描いた絵で賞を取っても、お祝いしてくれたり褒めてくれたりはしませんでしたね。僕は一人っ子で両親は遅くまで仕事から帰りませんでした。小学生時代は100円玉2つテーブルに置いてあって、それを掴んでコロッケを買いに行きました。小学1年生からそんな感じでしたから、外へ出て遊びに行くと相手をしてくれるのは5年生や6年生のお兄さんたち。そこで野球を一緒にしたおかげで野球がうまくなりました。僕は子どもの頃から、かなり大人でした。

――早く自立しますね。当時、習い事はどんなことをされていましたか?

ピアノ、英語、習字、珠算、フルート…一通り、親の意向で行かされていました。でも家の近所に全部教室があったので遊びに行っているようなもの。その中で役に立ったのはピアノくらいで、3歳から中学2年生頃まで続けていました。それと珠算をやっていたので、小学5年生時には東京都の暗算大会で優勝。何千人も参加者のいる中で最後まで勝ち進んでしまった。

――たくさん習い事をされていてかなり毎日忙しい小学生でしたね。その頃は将来何になりたいと思われていたのですか?

プロ野球選手になりたい、と思っていました。高校は県立浦和高校へ進学しましたが、身長が足りなくてプロ目指すのを断念。ラグビー部に転向しました。医者を目指した要因の一つは、高校3年生の時に、母をすい臓がんで亡くして感覚が変わったんです。元々、医学に興味があったのですが身内の死によって、考えもしないようなことが起きるんだと気づかせてくれました。何のためにやってきたことなのか?とこれまでを振り返り、やる気もなくなってしまいました。僕にとって18,19,20歳はブラック・ボックス、生きていた感覚がしない。でも、そういう経験があるからこそ今の仕事にいきているのだと思いますね。

医師は見極めが重要な仕事。

――さきほどブラック・ボックスという体験が今にいきているというお話しでしたが、お母様の死の他にも何か大きな転機があったのですか?

浪人後、順天堂大学医学部へ進学しラグビー部へ入部。そこがめちゃくちゃ厳しいチームでした。僕は医学部6年生の時に足を複雑骨折してしまいICUへ運ばれるほどの大怪我で、医者には「一生歩けるようにならない」と言われ途方に暮れていたところ、2人部屋の相棒として同じ歳くらいの男性が同室になった。日焼けして元気そうなのによくよく聞けば骨肉腫という病気で、手術をしてから2カ月後には亡くなってしまいました。一人の元気な人間が死に至るまでを毎日共にできたこの闘病生活は大きな体験でした。彼がいたから、僕も入院生活を乗り越えられました。歩けないと言われた足も3年掛かって歩けるようになりました。

ダブリン留学時代のDr.小林。海外では言葉より文化や歴史的背景の知識が必要という。

――20代前半で身近な人の死を2度も体験されていたのですね。それはお辛かったことでしょう。

自分が不幸になると人生で最悪なことが起きた…と思ってしまいますが、その答えが出るのは30年後、40年後にあります。その場で結果が出るわけではない。悪いことでも悪いままでいかないのです。そして、その闘病生活で得られたことに、医師の所見はいろいろあることを知ったこと。僕の足のレントゲンを見て、「全然くっついてない」と診察する医師と、「ほら、このヒゲみたいなのがあるのは望みがある」と言ってくれる医師…どちらもいました。もし怪我をしていなかったら、患者さんへの伝え方もわからない医者になっていたかもしれません。

――小林先生は海外の病院で勤務されていたようですが、日本との違いはどんな点でしたか?

イギリスのアイルランド国立小児病院外科で、日本人で働いたのは僕が最初で最後でした。試験はもちろんありますがそれだけではなくて、アイルランドの厚生労働省に順天堂大学が認められないといけないのと、僕はロンドン大学付属英国王立小児病院外科での経験がありましたので。アイルランドの上司や仲間は皆がジェントルマンでした。「患者に必要なのはエンカレッジ(勇気づけること)だ」と常に言い続けていましたね。そのマインドが後々、日本へ戻って来てからとても影響を受けました。

――では最後に、医師を目指す人へ何かアドバイスをお願いできますか。

自分が医者に向いているかどうかの見極めが重要です。医者でなくても素晴らしい職業は他にもあります。会話が得意であれば臨床医、科学を極めたいなら研究医。医者は一人ではやっていけない仕事です。ですから、チームや団体やサークル活動などを通じて、いろいろな人の物事の捉え方、考え方を知ってほしい。具体的な勉強は、英語を話せるようにしたり、本をたくさん読むこと。そして世界の歴史、宗教、文化を勉強し直すことです。海外ではその国の背景を知らないと仕事は難しいです。日本人はその点が弱いですから。

編集後記

――ありがとうございました!あきらめる=明らめる、という捉え方は禅の思想にもあります。自律神経を整えて健康を維持するには、まず「こだわりを捨てる」ことが最も大切なのですね。容姿もスマートで実年齢よりもずっとお若く見える小林先生ですが、お話しされる感じも飄々とされていて、どこにも力みが入っていないお声が耳に心地よかったです。たぶんそういうお話しをされるリズムやトーンも、無意識のうちに健康でいられるようにされているのではないでしょうか。うっかり親子喧嘩で負傷している自分がとっても情けなく…気持ちを切り替えて健康でいなければ!と強く感じました。

取材・文/マザール あべみちこ

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