手品って一見簡単そうですがプロともなると「えー!どうしてー?」と素人にはタネも仕掛けもまったく見当もつかない神技を次々と目の前で披露されます。今回ご紹介するのはこれから大ブレイク間違いなしの若きマジシャン雷人さん。なんと東大を中退してプロの道を進んだというとっても変わった経歴をお持ちです。そこまで惚れ込んだマジックの魅力とは…?そのユニークな生き方に迫ってみました。
雷人(らいと)
東京大学在学中にマジックに出会いそのまま中退、プロマジシャンとなる。銀座や赤坂、六本木等のマジックバーで10年近くマジックを見せ続けている他、「笑っていいとも!」等のテレビ出演も多数。マジックオリンピック元日本代表。催眠術や気功、コールド・リーディング(ニセ占い)にも精通しており、五感や心理状態を操るマジックを得意とする。現在はマジックのパフォーマンスの他、企業研修や美容催眠の施術等、幅広く活動している。
「オールできる」の本が大好きな少年時代。
――マジックも素晴らしいですが経歴を見ると雷人さんの不思議さをどうしても知りたくて今回ご登場いただきました。まず、子どもの頃のお話しをお聞かせ頂けますか?
京都出身の3人兄弟で6歳上に兄、僕は二卵性双子の兄でして、弟がいました。父は普通のサラリーマン、母は教育熱心なほうで絵本をたくさん読んでくれていました。双子の弟がとても頭がよくて、彼ができることは自分もできるようにと追いかけていたので、幼稚園に入る前には文字の読み書きはできました。学校に上がってからは勉強がわからなくて苦労したことはなかったですね。当時の成績は「オールできる」(オールA、あるいはオール5に相当する評定)。教科では国語が最も得意で、英語も歴史も好きでした。本が好きで、とにかくたくさんのジャンルを読み漁りました。
――双子の兄弟ってよきライバルで、いいですね!取っ組み合いのケンカをしたり…なんてことはありませんでした?
なかったですね。京都の中でも僕が住んでいたのは近所に友達がいないような田舎でしたから、兄弟仲良くしてないと遊び相手がいなくなるので(笑)。僕ら二人とも内向的なんです。弟も本が好きでしたが、僕らは関心の方向は違いました。
――当時は、どんな遊びがお好きでした?そもそも習い事は何かされていたのでしょうか?
ブロックやLEGOなど組み立てるものは好きでした。でも飽きっぽいので。習い事は、そろばんと書道へ通ったことがありますが、京都の中で引っ越しをして、それきりやめて再開しませんでした。今思うとやっておけばよかったなと。友達が集まる場でしたから。
――小学校時代は何かスポーツとかされていましたか?卒業文集には何て書かれていたか覚えてますか?
小学校時代は少年野球を1年くらいやっていました。つまりすぐに飽きてやめたということなんですが(笑)。その分、中学生時代はバレーボール部の部活動に打ち込めました。今問題になっている教師からの体罰もかなりありましたが、痛みとか死ぬほど何かに打ち込むということが身をもってわかりました。小学校の卒業文集には「漫画家のような夢を与える仕事をしたい」と書いていたようです。
学歴より人生を大事にしたかった。
――大学3年生で東大中退してマジックの道へ進んだ…と伺いましたが、辞めるのもったない!と思いませんでした?
そこにこだわって人生を棒に振る方がもったいないと思ったんです。マジックサークルに入部して半年後くらいに学園祭でマジックショーがありまして。それを体験して「ここが自分のいるべき場所だな!」と感じたんです。大学には5年間在籍していました。本当は3年で辞めるつもりでしたが親に説得されて留年しつつ。勉強する気がまったく起きず東大の中に学生が自由に使用できるスポーツジムがあって、そこに通ってばかりでした。就職活動も先輩が勤務していた大手旅行会社と某有名宝飾店の2つ回りました。でも1次面接で落とされて……本当にやる気が起きなかったんです。やりたくないことをして生きるより、やりたいことをやって死にたいと。やりたいことをできないまま生きるなら生きる意味ないでしょう?もったいない!と学歴にしがみついて一生を棒に振るよりも、きっぱりとやめる選択をするほうが人生を無駄にしないと思ったんです。
――東大をお辞めになる以前に、そもそも勉強して東大へ行こうと思われたきっかけは何だったのですか?
6つ上の兄が1浪して京大へ進学。身内から行けるという意味でも手の届く範囲に京大はあるんだな~と思っていました。関西に住んでいるとなかなか関東へ出て行かないもので。僕は地元の公立高校へ弟と一緒に通っていましたが、その頃は英語塾も一緒の所に通っていました。そこの竹岡先生が素晴らしい方で多くの優秀な方が門下生なんですが、「誰かこの中で東大に行くやつはいないか?」と見まわされた結果「お前行け」と指名されたんです。僕の他にも何名か指名されましたが、僕は2年掛かって東大へ合格しました。弟は1年浪人して京大へ進みました。
――ご兄弟揃って優秀ですね。念願の東大に入学して期待を胸に東京へ?
いえ、東大に入学してから燃え尽きてしまったというか……。ここで勉強して何になるんだろう?と思うようになってしまって。東大は入学後に語学テストをしてクラス分けがされます。いわゆる有名進学校からストレートで東大合格しているクラスと、僕のように地方出身で浪人して合格したものは違うクラスなんです。で、気づいてみたら僕のいるクラスは「ふきだまりクラス」(笑)。おもしろい仲間でしたが。家庭教師のアルバイトなんて同じ東大生であっても現役エリートとは時給に差があります。官僚になりたくて東大に入ったわけではないですが、じゃあこれから自分は何をしよう?と。
――東大の異端児として「世の中に役に立てることは何だろう?」と考えたわけですね。で、マジックと出会った?
とりあえずやりたいことをやろうと思った時に目の前にあったのがマジックでした。サークルに勧誘されたのがきっかけです。その当時、上京してすぐはまだテレビがなくてラジオで生活していて、たまたまラジオでマジックする番組が流れていて、それがおもしろかったんですよ。それで翌日たまたま百貨店へ行く用事があって行ったら、そこでマジックの実演をしていました。そういう偶然が重なったんです。
夢を実現するには根拠のない自信が必要。
――マジックの技はどうやって身につけるものなんですか?
本から習ったり、今はDVDなどからも伝授されます。でもそれは、たとえば料理にしても、いい食材を買ってきてもいい料理はできませんよね。それと同じで、手順や加減、そして経験や勘、センスが問われて初めておいしくなる。トリック自体はカンタンなものです。実は、芝居の演技力や自己暗示力というスキルも重要で勉強しています。
――プロのマジシャンになる!と決めたのは何かきっかけがありましたか?
どれだけそれをやりたいか?だと思うんです。本当にやりたいことなら頭では絶対ダメとわかっていても、心と体が承知しない。僕は行動が先になるんです。やってみたらうまくいく。頭で考えてからやることはかえってダメだったりします。とはいえプロのマジシャンになる!といっても一番食えなかった時代は年間6回しかマジックショーに立てなかった。ずっとアルバイトで生計をたてている時代がありました。双子の弟が東京で仕事をしているので一緒に暮らして、半年間くらい弟に食わせてもらっていたことがありました。でもこれじゃイカン!と思って、生計を立てていたバイトを全部やめて、マジシャンの仕事を真剣にやろうと覚悟を決めました。仕事のあてなんて何もありませんでしたが、いろんな人とのつながりでマジシャンとしての仕事ができるようになりました。
――本当にやりたければ、腹を据えるという決意が必要ですよね。マジシャンとして日々心がけていらっしゃることがあれば教えてください。
そうですね。おもしろい勉強では、女の子にどうやって声をかければいいのか伝授してくれるナンパ師に教えを請うています。お客様とコミュニケーションを取る時にすごく役立つんです。いろんな手法がありますが僕が習っているのは「相手に同化する」手法。先生の本業は催眠療法士で心の病気を治す仕事ですが、そういうテクニックをナンパに用いているんですね。それと変わったところでは気功の練習法が対人関係で役に立ちます。マジックはその瞬間に人の心を捉えるのが大事です。うまくいかないことはたくさんありますから、どうやってそれをうまくいかせるかを考えると、やることはいっぱいあります。自分がどう見えているのか考えるとうまくいかない。自意識過剰になると緊張するので。緊張を取るのは簡単で相手に集中すればいいのです。
――マジック以上にますます雷人さんのおもしろさがわかってきました(笑)。では最後に、雷人さんが大切だと思う信条をお伝えいただけますか。
言葉の暗示力って大きい。例えば「○○しないで」「○○やって」という禁止や命令よりも「○○しましょう」という呼びかけのほうが心に届く。あるウサギ小屋でいじめ事件があったので看板を立てたんです。「ウサギをいじめないようにしましょう」という看板では激化したのに「ウサギをかわいがってね」と書いたらいじめが止んで断然かわいがる子が増えたという話があります。子どもには行動がイメージできる言葉掛けが大切なのだと思います。ダメだダメだとできないことを叱るよりも、こんなこともあんなこともできるという可能性のイメージを伝えたい。自分の子どもには好きなことをやらせてあげたいですね。嫌ならやめればいいんですから。
編集後記
――ありがとうございました!スーパーマジックを披露されるステージでは、華やかで臨機応変にその場の演技をされているように見えましたが、実はとても真面目な方。インタビューは緊張されていたらしく、握手をした手がじっとり汗で濡れていました。学歴にこだわるよりも、自分のやりたいことを徹底的に追求する人生。これこそ子どもたちへ伝えたい「生きる力」。これからもその天才っプリをマジックで披露してくださること楽しみにしています。
取材・文/マザール あべみちこ