初めて宇宙飛行が行われてから40年あまり。これまでに全世界で240回以上の有人宇宙飛行が行われ、400人以上の宇宙飛行士が飛んでいるそうです。今、日本人の宇宙飛行士は8名が在籍しています。飛行予定が決まると、そのミッションに合わせた訓練を約1年前から1年半行ってから本番に臨むそうです。知的、体力共に、抜群に優秀な宇宙飛行士という仕事になるには、どのような力が必要なのでしょうか。今回は三人のお子さんのいらっしゃるお父さん、野口聡一さんにお話をうかがいました。
野口 聡一 (のぐち そういち)
1965年4月15日神奈川県横浜市生まれ。
東京大学工学部航空学科卒、東京大学大学院工学系研究科航空学専攻修士課程修了。
石川島播磨重工業において航空技術者として超音速旅客機の開発に従事後、旧・宇宙開発事業団(現・宇宙航空研究開発機構:JAXA)の募集に応募、572人の受験者の中から、1996年に宇宙飛行士候補者に選定される。
身長180cm。彼の初飛行はSTS-107コロンビア号の事故後、NASA・スペースシャトル運航再開、最初の打ち上げとなった2005年7月26日のミッションSTS-114にミッション・スペシャリストとして乗船した事である。
高校時代にもった夢、宇宙飛行士
――野口さんが小学生の頃は、どんな遊び、あるいは学びをされていらしたのでしょうか。されていらした習い事は何かございましたか。
小学生時代は兵庫県におりまして、のどかな田園風景の広がる環境で、仲間と草野球をするのが好きでした。習い事は親の勧めで通った音楽教室、それとボーイスカウトは低学年の頃から入っていました。大人になってからのキャンプ好き、アウトドア好きも、そこに原点があるかもしれません。小学校の野球チームにも入っていました。そういう意味では、チームスポーツを通して、チームスピリッツを養う機会があったと思います。
――その頃から、野口さんはリーダーシップを発揮されるのがお上手だったのではありませんか。
必ずしもリーダーシップということではなかったと思いますが、皆と一緒に何かに取り組むことや、自分が今までできなかったことを力をつけてできるように頑張ったりすることで、新しい世界が見えてくる。そうして目標を達成できることが、子どもの頃からおもしろかった、というのはありますね。
――なるほど。では小学生時代、一番好きだったこととは、どんなことでしたか?学校の科目でも、スポーツでも何でも結構です。
学校の科目で何が得意というのはその頃はあまり無かった。ただ、本を読むことは好きでしたので、国語の時間は好きでした。あとは、放課後に友達と皆で野球をするのが好きでしたね。学校が終わると暗くなるまで空き地で野球をしたり、基地ごっこ、鬼ごっこなどをして遊んでいました。ある意味で当時僕らは、とても贅沢な時間の使い方ができたのでしょうね。
――恐らく成績も優秀でいらしたと思いますが、高校生の時に「宇宙からの帰還」という本と出合って宇宙飛行士になる決心をされたとのことですが、迷いや不安、自分に実現できるかな…というような葛藤はございませんでしたか。
むしろ高校生くらいの頃は、「こういうことをやってみたいな」とまっすぐに考えられる時期だと思います。自分のもっている能力とか、一般的にどう見られるかということは障壁にはならず、「やりたいからやる」くらいの勢いというか。その時期に外国へ行って勉強するとか、音楽の世界で身を立てたいとか、いろいろあると思いますけれど、将来的な見通しや実現性を考えず、自分が興味あることに没頭できる年齢だと思うんですよ。そういう時期に、僕はたまたま「スペースシャトル」に出会ったわけです。
やる気の積み重ねから生まれる「やってみよう!」のバネと馬力
――「宇宙飛行士になりたい」という夢をもつ野口さんに、ご家族や周囲の皆さんにはどのように激励されてきましたか?
高校時代は自分の夢を友達に語るということはなくて、むしろ自分の中だけでそうした意志をもっていましたね。親には、この夢を語った覚えがありますが、「突拍子もないことを言っているな」くらいに思っていたのではないでしょうか(笑)。1980年代はまだ日本人の宇宙飛行士がいませんでしたから、それが仕事になるかもわかりませんでしたしね。親にしてみれば「言いたいことを言わせておけ」という感じだったのではないでしょうか。現実からかけ離れた夢だったからこそ、「やりたい勉強をやってみたら」という考えになったのだと思います。
――宇宙飛行士になるために、どのような勉強をされてきましたか。
飛行機の勉強や宇宙のことを調べるのが好きでしたので、大学(東京大学)に入学後、航空宇宙工学学科で勉強することにしました。宇宙飛行士になりたいから、何か勉強するというのは逆にあまり無いものかもしれません。あるとすれば、軽飛行機に乗るとかでしょうか。僕はエンジニアでしたので、早く国際的な舞台で活躍できるくらいの技術力をもった人になりたいという気持ちはありましたが、宇宙飛行士になるための特別の準備というのは思いつかなかったですし、やりませんでしたね。
――技術者としての一つひとつの積み重ねによって、夢を実現されたということでしょうか。
結果的にみれば、そういうことです。必ずしも宇宙飛行士になるためにすべてが進んでいたわけではなく、高校時代の「スペースシャトル」、大学時代の「航空宇宙工学」、IHIという宇宙関連の企業に入社したことなど、すべてがつながる気がします。でも僕はその時々、そうしたことを宇宙飛行士になるために選んできたわけではなく、回り道をしながら、結果的にいい方向へ進めたわけです。
――野口さんのご家庭では、どのような教育方針で?父親として伝えていらっしゃることとは?
私自身が、その時々で好きなことやりたいことを一生懸命にやってきたので、子どもたちにも好きなことやりたいことに熱中できるようにしてやりたいと思います。人生にはいろいろな選択肢がありますから、そういうことを見せてやりたいと。その後で、何を選ぶかは自分たちで決めればいいことだと。
――宇宙飛行士になりたい夢をもつ子は多いです。どのようなことを身につけてほしいですか?
宇宙飛行士になるためにというよりも、大人になってから自分の好きなことを仕事にしたり、夢を実現するためにメッセージしたいのは、体を鍛えておくことも大切ですし、大勢の人と一緒に何かを作り出すチームワークをいろいろな場面で身につけることも大切。日本以外のフィールドで働くという可能性を求めるなら、語学の勉強をすることも大切。ただ、やはり「これはおもしろいからやってみよう!」と思ったことに突き進んでいけるだけの「バネ」、心のゆとりをもって生きていけるような「馬力」を培ってほしいですね。それは、常日頃の「やる気の積み重ね」で身に付くものですから。
地球外生命体、会えないからこそ深まるロマン
――宇宙へ飛んで地球を眺めた時、どんなことを感じられますか。
素直に驚いたのは、地球の輝き方でした。宇宙に行く前から先輩方のお話ですとか、過去の映像などもすべて見てきていましたが、実物を目にした時の光の量は圧倒的なリアリティでした。例えば、目の前の美しい花を高名な写真家の方が撮影して、印画紙に焼かれた美しい花があっても(もちろん写真の出来、不出来は多少あるかもしれませんが)、本物の美しさには叶わないものです。今、地球の姿を宇宙から捉えた写真は世の中にたくさんありますが、現実に手を伸ばせば触れるくらいの感覚で「地球をモノとして見る」体験では、やはりまったくその感動が違います。地球の青さ、白さ、輝き。どれ一つとっても、同じではない姿は動いている。地球は回っています。刻々と姿を変えているという現実が、美しさであり迫力なのでしょうね。
――船内ではどのような時間を過ごされていますか。楽しみにされている時間などは……。
地上と違って無重力になるので、ふわっと宙に浮くイメージが強いでしょう。でも、船内ではキャンプ生活のような感じで、同じ飛行仲間と食事をしたり、音楽を聴いたりするのが楽しかったりしますね。宇宙にいても、人と人とのつながりが一番うれしいものです。もちろん仕事をしている時間は忙しいのですが、それ以外の夜のリラックスタイムなどは案外地上の生活と変わらないかもしれません。僕は音楽が好きですのでCDをたくさん持っていきますし、人によってはポータブルの音楽再生プレーヤーを持ちこむ人もいます。
――怖いことはありませんか。例えば、地球外生命体を目撃されるなど……。
宇宙飛行士は注目されている割に常に危険を伴う仕事です。そういう意味ではF1ドライバーと同じかもしれません。小さなミスが命取りになる可能性があります。たとえば船外活動は、宇宙服のすぐ外は冷たい真空の宇宙なわけですから、いつも「死の世界」に取り囲まれている気持ちでいます。生物が存在できない空間で、自分は宇宙服の内側に空気や水、温度といった地球環境を詰め込んで乗り込んでいる。それが何かの原因でその地球環境がなくなってしまったら、自分は死ぬしかない。そういう緊張感というのは、常にあります。地球外生命体は、残念ながら僕はまだ見たことはありませんが、広い宇宙のどこかの星に地球人のような高度な技術をもつ生命体が生きていてもおかしくない……とは思います。ただ、もし存在していても、実際に会う確率はほとんど無いでしょうねえ。逆に会わないからこそロマンがあるのではないでしょうか。会わないけれど、存在は信じられるというような。僕は映画「スターウォーズ」が大好きでしたが、冒頭に「遠い遠い銀河の果ての、昔々のお話」という決まり文句があります。宇宙人と会わないからこそ、僕らは想像力を掻き立てられるのでしょうね。
――今の日本の子どもたちに思うことをお聞かせいただけますか?
時代がもつ閉塞感があると思うんです。将来の希望が持てなかったり、何をやったらいいかわからないという子どもがたくさんいる。でも、ちょっと目を転じてみると、世界の中では今日の食事に困る子どもたちがたくさんいたり、病気に悩む子だっている。そういうと「周りにはいないからわからない」なんて言われてしまうかもしれませんけれど。僕は、「そんなにキミたちが思うほど、閉塞感なんてないよ」と言いたいですね。自分がやりたいと思ったことは、今の日本ならできるんです。どこかに突破口がある。道は探せば必ずあるはずです。
編集後記
――ありがとうございました!「音をたてて、宇宙は新しい時代へ進んでいます」とお話しされる野口さん。適切な表現とわかりやすいエピソードを交えたあたたかなお言葉に、温厚なお人柄だけでなく人間的な品格をも感じることができました。勉強だけすれば宇宙飛行士になれるわけでないのです。瞬時の判断力と行動力、そしてチームワークが何よりも大切。そして何といっても小さな頃から培われてこられた「バネと馬力」。どうか健康に気をつけてこれからもご活躍を応援しています。
取材・文/マザール あべみちこ
活動インフォメーション
1. 2008年いよいよ「きぼう」の打上げ開始
・3月中旬 : 土井宇宙飛行士がJEM(きぼう)の第一便をISSへ
・4月下旬 : 星出宇宙飛行士がJEM(きぼう)の第二便をISSへ
*ISS : 国際宇宙ステーション(International Space Station)。
世界の15カ国が協力して地上400kmの上空に建設。
* 「きぼう」の第三便は、2008年度中のFLT予定。
2. 2008年秋以降、若田宇宙飛行士、日本人初のISSへの長期滞在。