東日本大震災からもうすぐ丸5年となります。多くのメディアが被災地の変化したこと、変わらぬこと、時間経過とともに顕在化してきた新たな問題などを伝えています。NHKのニュースウェブは、空撮などで撮影した南三陸町の5年間、震災遺構の第一号として保存が決まった宮古市田老のたろう観光ホテルの新たな出発、そして被災された方々へのアンケートを動画で紹介しています。
南三陸町の5年
南三陸町の5年
美しい海と緑に囲まれていた宮城県南三陸町。震災で人口の5%近い800人が犠牲になりました。今、復興に向けて、土地のかさ上げ工事が進んでいます。
わずか35秒のビデオですが見る人の涙をさそう動画です。震災前の町並み、そして震災の直後の様子、さらに現在。かさ上げの盛土が連なる現在の南三陸町にかつてあった町の姿が胸を揺さぶります。映し出されているのは戻ることのできない故郷の風景です。
震災の記憶伝えるホテル
震災の記憶伝えるホテル
岩手県宮古市田老地区にあった観光ホテル。4階まで津波に襲われ鉄骨がむき出しになった姿は震災遺構として保存されます。ホテルは去年、高台に移転し、旅館として生まれ代わりました。
万里の長城とも呼ばれた巨大防浪堤で知られる宮古市田老地区では、高台に新しい町の建設が進んでいます。たろう観光ホテルの再出発は町の明るい話題でしたが、田老の町の平坦地での商店などの再会はなかなか進まず、町の人々の「生活の場」の再建はいまだに道の途上にあります。
被災者1000人アンケート
被災者アンケート
岩手・宮城・福島の3軒の被災者や原発事故の避難者を対象にNHKが行ったアンケート調査の結果をお伝えします。
「被災地以外との絆が弱まった」が43%、「復興は想定よりも遅れている」が過半数。
まる5年の現実が数字に表れています。
アンケートに答えた被災者の声も掲載された、もっと詳しいかんけーと結果は下記のページで見ることができます。
たとえば――
5年経てば仮設から出る人も多く、復興していると思っていました。現状は、まだまだ仮設住宅から出られない人が多いです。まず住宅地の整備が必要な中、オリンピックは早かったのではないかと。オリンピックも大事ですが、資材や建設に関わる人材がいないのはオリンピックのせいだと思ってしまいます。
(岩手県山田町・30代・女性)
震災の時、中2、小6、小3と3人の子どもがいました。避難のため、学校を転々とし、仮設住宅に落ち着いたときは中3、中1、小4の2学期。中3の子は修学旅行の楽しさも、友人との楽しさも知らずに高校受験となり、心が折れてしまいました。下の2人も友達のつくり方が分からず、1人でいることが多くなってしまいました。
(福島県浪江町・40代・女性)
当時中学生だった長男は仮設住宅で受験勉強。高校を卒業して就職しました。狭い仮設住宅での勉強は大変だったと思います。いま中1と高2の娘も勉強に集中できずにいます。早く住宅が再建できていれば、有意義な高校生活や受験勉強ができたのではないかと親としては申し訳ない気持ちでいっぱいになります。5年はあまりにも長すぎる気がします。
(宮城県東松島市・40代・女性)
東京電力からの補償のことがあるので、どうしても私たちはズルイ目で見られ、5年たった今でも、ずっと圧力や偏見から逃れられません。子どもたちも傷つくことを言われたり、大人も同僚からからかわれたり。このことが新天地でも邪魔になります。いただいておいて申し訳ないのですが、人はお金が絡むと、怖い生き物です。
(福島県楢葉町・40代・女性)
震災直後、絆という言葉であふれかえりましたが、がれき受け入れの反対運動や行政の対応を見て、絆という言葉のうそ臭さを感じるようになりました。私の周囲には絆という言葉にアレルギーを持つ人が少なからずいます。
(岩手県大船渡市・60代・男性)
被災地から離れて生活していると実感がわきにくい東日本大震災の被災地の現状。5年という時間の中で何が変わったのか、何が課題なのかを考えるきっかけとなるページです。