いわき市に降臨した正義のゆるキャラ「モレシャン」の物語

iRyota25

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モレシャン(morechand)というフランス人の名前を持つゆるキャラです。
汚染廃棄物が「漏れる」という意味ではありません。逆に汚染廃棄物から
守ってくれる正義の味方です。

展覧会「玄玄天」の展示キャプションより

福島県いわき市に新しいゆるキャラが降臨した。多分おそらく空の彼方から、正義の味方としてやってきた。その名は「モレシャン」。原発事故による汚染から人々を守ってくれるヒーローだ。

ゆるキャラモレシャンとは何ものなのか。それは名札(展示のキャプション)の一番下に記されている。

岡本光博
モレシャン morechand/Lj5
2015年
黒フレコンバッグ 目玉 車用まつげ マネキン

展覧会「玄玄天」の展示キャプションより

モレシャンは着ぐるみのゆるキャラではない。モレシャンはアートが実体化したゆるキャラで、生みの親は現代美術作家の岡本光博さん。誕生は2015年。その体は黒フレコンバッグと目玉とマネキンで構成されている(一部のモレシャンには車用まつげも)。

一部のキャプションには「盛高屋では数百というモレシャンたちの写真をご覧になれます」と記されているので、その盛高屋にも行ってみた。

盛高屋はいわきの老舗の洋品店で、モンペや半纏のようなジャポネスク風の衣料品や、なぜかモンベル製品が取り扱われていたりもする。お店の二階三階にはかつて裁縫の工場があり、たくさんのお針子さんが住み込みで働いていたという。そのスペースが現在は、アートの展示スペースとしてリノベートされていた。

この盛高屋のモレシャンはちょっとショッキングなので注意してご覧頂きたい。

なぜか、モレシャンが逆立ちしている。そしてその背後には、放射性廃棄物の一時貯蔵場所に降臨した無数のモレシャンの記念写真。

モレシャンの存在自体がいわきの町の懐の深さを示す

汚染廃棄物から守ってくれる正義の味方という他に、モレシャンには盛高屋の二階でなぜか逆立ちしているモレシャンにもつながる、もうひとつの物語がある。

2体のモレシャンが立っているのはJRいわき駅の向かいの複合施設ラトブ。ショップやレストランの他、図書館や行政の出先機関も入っている公共施設の6階だ。そういう場所だから来館者にはこどもたちも多い。

6階のエレベーターやエスカレーターを降りると、フロアの先になんだか分からないけど、不思議な物体がある! ってことで、こどもたちがモレシャンに向かってもうダッシュして、そのままタックル~!という事象が発生した(あるいは発生が懸念された)のだという。

エスカレーターのところからは、こんな風に見えます
エスカレーターのところからは、こんな風に見えます
少し近づくとダッシュを加速したくなる感じ
少し近づくとダッシュを加速したくなる感じ

マネキンの足で立っているモレシャン、いかに正義の味方とはいえ、猛烈なタックルを喰らってしまえばひとたまりもない。さすがにこれは危ない(こどもたちの安全上)、ということで対策がとられることに。

そのひとつのプランが、モレシャンを逆立ちさせることだった。逆立ちしたモレシャンは極めて安定性が高い。しかし、生みの親である岡本光博さんにしてみれば、わが子をずっと逆立ちさせておくのも忍びない。苦渋の末、2体のモレシャンの前にベルトパーテーション(入場整理などに使われるポールにベルトのついたあれです)を設置することになった。

(ここまでプロセスで生まれたのが逆立ちしたモレシャンなのでしょう、おそらく)

しかし物語はそれでは終わらなかった。ふつうのベルトパーテーションでは正義の味方のモレシャンにはふさわしくないということで、岡本光博さんから「これを設置してください」と送られてきたのが、イエロー地に「立入禁止」「KEEP OUT」、そして放射線ハザードシンボルが描かれたパーテーション用のベルトだったのだ。

これはさすがに大きな議論を巻き起こした。いわき市には原発事故で避難している人も多い。原発反対の世論も強いが、東京電力関連の仕事をしている人もたくさんいるので複雑な感情がある。「できればそっとしておいてほしい」という気持ちの人も少なくない。「しかし、これが現実なのだから直視しなければ」という考えの人もいる。

簡単に結論が出るような話ではなかった。

しかしモレシャンはいまも公共施設ラトブの6階にいる。それは何を意味しているか。

このところ、憲法についての集会が市民会館で開催できなくなったり、反戦イベントに教育委員会の協賛が外されたり、会田誠と「会田家」の作品が都立美術館から撤去されたりといった流れが強まっている。しかしモレシャンは撤去されずにここにいる。

原発事故についてはさまざまな意見がある。しかし、排除するのではなく、いろいろな意見があることも含めて認めていこうという、いわきの町の人々の懐の深さの現れに他ならない。

この物語を経験することで、モレシャンはますます正義の味方としてパワーアップしたと感じる。と同時に、アートが町をゆさぶり、人をもっと強くしていくことを示してくれたのだとも思う。

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