日比谷辺りをぶらぶらしていてたまたま見つけた住居表示案内板。でも何かヘンだぞ!あちこちに家紋のマークが入っていて、たとえば本多越中守なんて名前が記されているではないか。そんなお方が平成の御代の現在、こんな都心に家を構えているとは思えないのだが…
近づいてよく見てみたら、幕末の安政の頃のこの近所の大名屋敷の地図なのだとか。古地図の下にうっすらと現在の地図が重ねられているので、現在の風景の向こうに150年前の景色が透けて見えるという素晴らしい住居表示なのでした。
なんとまあ、テレビがなくても「ブラタモリ」状態。
なになに、日比谷公園の北半分(あ、地図は南北逆さまみたいです)は、幕末に開明派の大名として知られた鍋島直正公のお屋敷だったんですね。このお殿様、今で言うところの製鉄所である反射炉や西洋式の大砲を作ったことでも有名です。お屋敷の広さは何と約11,000坪。想像もできない広さです。
ふむふむ、現在の帝国ホテルの敷地は福島県は白河・阿部藩のお屋敷だったのですね。で、かつて電電公社(NTT)の本社でもあったNTT日比谷ビルが建っているのは島津藩の上屋敷。安政の頃の当主はやはり開明派として知られた島津斉彬公であります。すごい、幕末の著名人の名前がぞろぞろ出てきます。ご近所のよしみで、島津さんちの斉彬公と、鍋島さんちの直正公がこっそり会って反射炉談義でもしていたかも、なんて考えるとわくわくしてきますね。
日比谷シャンテが実はかつてのお堀の中だったとか、現在の桜田門は大分・杵築の松平氏のお屋敷で、桜田門外の変の際、一番に現場検証をしたのがこの藩だったとか(まさにまさにって感じですね)、法務省の場所が上杉家の上屋敷だったとか、掘り出し物情報が満載なのです。
大企業の本社が軒を連ねるこの界隈、あの会社がどこにあったのかと探してみたら、ありました。東京電力株式会社は薩摩藩上屋敷に喰い込むように敷地を有していた佐賀藩の支藩である小城・鍋島藩のお屋敷だった場所なんですね。(よ~く見ないとわかりにくいけど)
幕末には開国攘夷、尊王佐幕と諸侯が水面下で鍔迫り合いを演じた土地。今は人類史を揺るがす甚大な核災害の後始末の責任を担う会社の本社がある土地。
人に歴史あり。そして土地にも歴史あり、なのであります。
千代田区には「町名由来板」という案内板も各所にあるようなので、町歩きの際にはぜひごひいきに。
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