川の向こうを青い機関車が走っていた。きっとこれは大船渡の町のシンボルの大煙突、あのセメント会社の社内線なんだろうと思った。レアな映像に違いない。なんとか撮影したいとクルマのアクセルを踏み込んで橋をわたってカメラを回しました。
岩手開発鉄道日頃市線のDD56とホキ100
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運転士さんがね、ポーを鳴らしてくれて、手も振ってくれたんだけど、動画だとちょっとわからないなあ、残念。
でもま、きっとレアな画像に相違ないと思ったんで調べてみてびっくり!
太平洋セメントの社内線かと思い込んでいたこの鉄道、実は岩手開発鉄道というレッキとした私鉄線路だったのです。今では大船渡の山奥からセメントの材料となる石灰石輸送を専らに手がけられておりますが、1992年3月までは旅客輸送もやっていて、さらに本来は遠野方面まで延伸してJR釜石線に接続する計画だった。さらにさらに第三セクターとしての鉄道会社のはしりだったともいうではありませんか!
旅客輸送をしていた頃の車両はすでに処分されてしまったそうですが、駅舎は各所に残っているとのこと。次回はぜひ撮影しに行きたいと思ってます。
港町の大船渡から山を越えて遠野の平倉まで結ぶ予定だった岩手開発鉄道。実現していたら世田米や有住、遠野の青笹あたりも今とは違った景色になっていたのかも。宮沢賢治が愛した種山ヶ原も、ずっと近しい場所になっていたことでしょう。
銀河鉄道の発着駅にも擬されている種山ヶ原のモナドノックス(残丘)から銀河に向けて列車が飛び立っていくような、そんな光景も目に浮かぶのです。
今は東日本大震災の津波被害を乗り越えて、復興のための重要な資材であるセメント生産のために今日も力強いエンジン音を響かせています。
同じく大船渡の盛駅を拠点とする三陸鉄道よりも、実は先輩格の岩手開発鉄道。駅や線路で出会ったら、ぜひぜひ運転士さんに手を振って、活躍を応援してくださいね。
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