9月20日の日曜日、陸前高田市の海沿いの高台にある仮設住宅に行くと、集会所はチリ中部沖地震の津波注意報と土曜日未明の大雨警報の話題で持ちきりだった。津波注意報や大雨警報が解除されて1日以上たっているのにだ。
「津波注意報は解除されるまで長かったねえ」
「まる1日だからね。学校はもちろん職場も休みになったところが多かったらしいよ」
「だけど、大雨警報もすごかった。この辺りは電波の関係で携帯の緊急速報が、気仙沼の分も入るんですよ。だから、津波注意報のが陸前高田と気仙沼ので2回。そして大雨のも2回。何度も鳴るから、その都度びっくりしてね」
訪問した仮設団地はもともと漁港を中心とした海沿いの集落の方が、まとまって生活されているところ。海の仕事をしてきた人が多い仮設住宅だった。津波注意報が発令されたら、やはり海の様子とか船のこととか気になるのかなあと思って、「注意報が出たら海を見に行く人もいたのではないですか」と軽い気持ちで聞いてみた。そしたら、びっくりしたような、呆れ果てたというような視線で見詰められた。
「今はね、津波がこないような高台に住んでいるからね。不便なこともあるけれど、安心して生活できているんですよ。海の様子を見に行くなんて発想はなかったなあ。携帯電話から警報音が聞こえるとそれだけで恐ろしいんですよ。ビクッとするんです。あの時の怖さをまだ思い出すんです」
緊急速報メールが送られてきた時、自分はそこまで切迫した危機感を抱いてきただろうか。2年前の台風18号の水害の時、緊急速報で何度も呼びかけが行われたにもかかわらず、集中豪雨に見舞われた京都では避難したのは1%だったという話を思い出した。雷警報や洪水警報が発令されても自宅待機などせずに、無理をしてでも学校や職場に行こうとする習性が自分たちの中に染み込んでいることを悟った。
「海の様子を見に」という言葉に対する住民の方の表情が、そのことを突き付けるように教えてくれた。
身を守らなければ死んでしまうのだという教訓を風化させているのは自分たちに他ならないということを。
追記
9月18日の石巻日日新聞の1面に「津波と大雨の二重苦」が取り上げられていた。写真には石巻の魚市場近くの道が水没している様子、女川港周辺の冠水した道路、そして雄勝町大須へ向かう県道のがけ崩れの写真が掲載されていた。どの写真も見知った場所だった。とくに女川港周辺の道路冠水は、自分も経験したことがある。ハイブリッド車でボディが浸かるくらいの水にはまってしまって、ずいぶん怖い思いをした記憶がよみがえった。経験したことがないことを切実に想起することは難しいかもしれない。それでも、自分自身の過去の経験を引っ張りだして参照することで、少しは近づけるかもしれない。風化に少しだけブレーキをかけることができるかもしれない。