【大震災を自分事に】時計が教えてくれること

iRyota25

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JR双葉駅の時計
JR双葉駅の時計
富岡町の美容室の時計
富岡町の美容室の時計
石巻・谷川小のチャイム時計
石巻・谷川小のチャイム時計
越喜来「潮目」の津波時計
越喜来「潮目」の津波時計

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三陸公民館の時計か
三陸公民館の時計か

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三陸公民館の機械室
三陸公民館の機械室

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石巻・湊小学校の時計
石巻・湊小学校の時計

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陸前高田・今泉
陸前高田・今泉

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女川・斉ノ神
女川・斉ノ神

3月11日14時46分、あの日のことを思って、たくさんの人たちが黙祷しました。何百万、数千万もの人たちが祈りをささげたことでしょう。

14時46分。その時間に止まってしまった時計があります。JR双葉駅前の時計や原発にほど近い富岡町の美容室の時計は、東北地方太平洋沖地震が発生したその瞬間を文字盤に刻みつけています。

しかし、東日本大震災で大きな被害を受けた沿岸部には、違う時間に止まった時計が数多く残されています。石巻市の中心部近くの湊小学校の時計は地震発生から1時間ほど経ったところで止まっています。同じ石巻でも谷川小学校で授業のチャイムを鳴らしてきた時計が止まっているのは15時25分です。大船渡市越喜来の小学校や公民館に設置されていた時計、そして陸前高田の気仙町にずっと残されていた腕時計は15時23分くらいに止まっています。それぞれの時間は、時計が津波に巻き込まれた時間です。

3月11日、私たちは14時46分に合わせて全国で黙祷しましたが、東日本大震災でたいへんな被害をもたらした津波が各地を襲った時間は、それよりも後、場所によってまちまちだったのです。止まった時計が教えてくれるのは、14時46分という時刻は始まりの瞬間を示すものでしかないということです。

さらに、時計が止まった時間もまた、津波がその場所に押し寄せて来た、ほぼ最初の瞬間を示すだけのものです。津波は何度も押し寄せて、生活の場所だった町を巨大な黒い渦の中に呑みこみました。津波は日が暮れてからもおさまることはなく、場所によっては翌朝になっても潮の上げ下げと不気味な渦は収まらなかったそうです。

そして、ようやく津波が引いていった後、残されたたくさんの人々の戦いが始まりました。敢えて言葉にするならば、不安と悲嘆と辛苦と絶望の中から立ち上がるしかない戦いが。時間で区切ることなどできない重たい歩みが。

石巻・雄勝小学校の校舎の時計
石巻・雄勝小学校の校舎の時計

石巻市の雄勝町にあった旧・雄勝小学校の時計は長針も短針も引きちぎられて、何時を示しているのかすらわかりません。門脇小の時計も大川小学校の時計もそう。時刻を示すことを拒んでいるようにすら思えます。

14時46分という時刻は始まりを示しているにすぎません。そこから先のことは、それぞれの場所で、それぞれの人たちの歩みの中に刻まれ続けている――。そのことを忘れてはならないと思うのです。

震災は人々の中で、今も時を刻み続けているのです。その時間の上でしか、再建への歩みは進んでいかないのです。

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