先日、静岡マラソン2015に参加しました。
好きで参加しているのですが、降り続いた雨のせいか自分の実力不足か、色々な想いに自問自答しながらの大会となりました。
ふと周りを見ると、”好きだから”が参加理由の自分と同じような人たちが1万人以上います。
このボリュームのエネルギーってすごいな!って思うのです。
”よくやるね~”だったり、”お金払って何やってんの?”と、よく言われます。少し前まで自分自身も興味のない人たちの一人でしたから、その気持ちは非常によくわかります。
でも好きになってしまうと、(人によって度合いはあるでしょうが)人間変わってしまうものなのです。
東北の復興支援についても同じではないか
海沿いのコースだったこと、3.1開催だったということもあり、津波を連想せずにはいられませんでした。
そこから復興支援について想いを巡らせてみたわけですが、自分は東北に足を運んだ事もなければ、支援に繋がるような活動には一度も参加した事はありません。正直に書いてしまうと、どちらかといえば、きちんとした情報を知りもしないのに放射線量を気にして遠ざけてきた部類の人間です。
でも、素敵なマラソン大会があるよと言われたら…
まずそこへの興味が先行して、確実に”行ってみたい!”という気持ちが、何にも邪魔されずに湧き上がります。
好きな事を入り口に!
そういった目線で見てみると、運動系(マラソン、ロードバイク)、音楽系など、様々な切り口からイベントが開催されていますね。知らなかった自分が恥ずかしいというか、もったいない…
様々な事実も受け止めつつ前を向く
都内でランニングの聖地となっている(らしい)皇居。えっ今日は大会ですか?と言いたくなるくらいの人数が毎日走っていますが、ここの放射線量を気にしている人はどのくらいいるでしょうか。
普段気にしていないのに、東北ばかり気にするなという事が言いたいのではありません。むしろその意見に自分は賛成できません。
ただ単純に、興味があるものに対して、好きなものに対して、人は寛容になれるという事です。
しかし、放射線量に対する見えない恐怖というものの存在は無視できませんし、どんな興味より勝ってしまう人々も多くいるという事実も事実。
そういった意味では、現地開催以外のイベントという切り口も重要だと思います。
風化させない!そのための手段が多いほど良い
東日本大震災に関しては、この先10年、20年、戦争と同様に永遠に語り継がなくてはいけない事だと思います。でも、人は忘れる生き物です。
風化させないためには、多種多様な切り口を用意し続ける以外に方法はないのではないか、と自分は思います。
そして、入り口は自分自身が興味あるものだけでも構わないから、そこをきっかけに一人でも多くの人が想い続ける事、また今を生きる自分たちへの教訓とし続けていく事が重要だと思います。
20年後の神戸に見た、ひとつの形
20年後、今行われているイベントはいくつ続いているでしょうか。支援という形でなくても、語り継ぐ為の場・機会として存在し続ける意義を体現している、まさに目指したいひとつの形であると思います。
3.11 追悼RUN
「好き」に勝るものはなし!を自分なりに実践。距離も時間も短いけれど、真剣にあの日の事、これからの事を考える時間になりました。
「好き」だから続けられる。
「好き」だから薦められる。
やっぱり「好き」に勝るものはなし!