学べるものを看過してしまった、2010年チリ地震で起きた遡上高28メートルの大津波

2010年2月27日、チリ中部で発生した地震はマグニチュード8.8の巨大地震。太平洋の沿岸各国で津波への警戒が行われたが、震源に近いチリでは地震と津波によって大きな被害が発生していた。

前回1960年のチリ地震に比べて、日本での津波被害が軽微だったこともあり、2010年の地震被害はあまり知られていない。しかし、この地震津波の犠牲者は800人を超えたといわれる。震災の約1カ月後に現地に入った日本の土木学会の調査報告書から、被害の一部をご紹介すると…。

チリ沿岸の津波被災地域には平均5~9メートルの津波(遡上高さ)が押し寄せていた.

(中略)

最高遡上高さは,Constitucion の沿岸部での 28 メートルの値を示した(写真- 1).これは,ビル10階に相当する.

また,同地域の河川において約 5km 上流でも 6mの遡上痕を残していた(写真- 2).

引用元:2010年チリ地震津波の被害調査報告 | 土木学会

ビルの10階に匹敵する遡上高。これは東日本大震災での市街地の津波高を大きくしのぐものだ。また北上川等の河川で津波が遡上したのと同様の状況が2010年チリ地震津波でも発生したことが報告されているのも注目だ。津波は海からのみならず、川からも町や集落を襲う。

被災状況の写真については、pdfページをぜひご覧頂きたい。夏の明るい日差しを浴びてはいるものの、そこに広がる光景はまさに私たちが知っているあの状況と似ている。

日本ではあまり大きくは伝えられなかったものの、チリ地震は現地に大きな爪痕を残していた。

旅行者など土地勘のない人の避難をどうするか

報告書を読み進めると、非常に気がかりに感じる箇所があった。それは、地震発生が休暇シーズン終わりの土曜日で、多くの観光客がいた土地でのこと。

Dichato は,1960 年のチリ地震津波にも襲われた町である.このため,その時の被災を記憶している人も多く,そのため大地震のあとに直ぐ丘陵地に逃げた人が多い.

しかし,当日は休暇シーズンの終わりの土曜日であったことから観光客が多かった.そのような外来者に避難しない人やどこに避難したら良いのか分からない人が多かった.また,住民,観光客ともに車で逃げた人が少なからずおり道路渋滞を引き起こした.

渋滞を避けようとした外来者の車は避難路が分からなくなり右往左往することになったようである.車に乗ったまま津波にさらわれる人も目撃されている.

引用元:2010年チリ地震津波の被害調査報告 | 土木学会

地震と津波の記憶が色濃く残る地域で、住民には地震の後には丘陵地帯に避難した人が多かった。しかし土地勘のない観光客は避難経路が分からず、しかも避難渋滞にはまってしまうと右往左往するしかなく、そのまま津波に呑まれていってしまった。

避難行動に当たっては災害弱者の問題は常々注目を集めているが、観光客や旅行者などその土地を知らない人たちに、いかに避難してもらうかは極めて大きな問題だ。とくにこれから観光立国を目指す国であれば、日本語が理解できなくても例えば標識(ピクトグラム)で、さらに目の不自由な方への誘導方法等もふくめて、ユニバーサルな避難環境を整備する必要がある。喫緊の課題だ。

あまりに似すぎている状況

いったん丘陵地に逃げた人のなかにも政府による津波警報の解除を知り,丘陵地を降りた人がいた.そのような人たちもその後来襲した津波の犠牲になっている.その結果,政府発表によると Dichato では 18 人が犠牲になった(全体では 50 名を超える).

引用元:2010年チリ地震津波の被害調査報告 | 土木学会

この記述にも恐怖を覚えてしまう。いったんは高台に逃れた人たちが、政府による津波警報解除を知って平地へ下ったところで次の津波の犠牲になった――。日本でも、たとえその行動のトリガーとなったものが警報解除ではなかったとしても、同じように津波が収まったと考えて海岸近くへ下りて行って被害にあった方が少なからずあったと聞く。いったん避難したら、安全が確実に確認できるまでは戻らないことの大切さを広く知ってもらう必要が不可欠だろう。

報告書にはその他にも重要な記載が数多くある。たとえば地震で外に逃れようとしても地割れで避難できず、中には津波の様子を見に海岸にいく人があったり、警報が遅れて津波到達の直前だったり、古くからの言い伝えを守る人、守らない人がいたり…。とても太平洋を隔てた遠い国のこととは思えない共通項が数多く見出せる。

Talcahuano では,揺れを感じた直後に外に出て避難しようとしたが,地面も割れて避難が大変であったようだ.

しかし,Talcahuano より南の地区である地域では,避難せずに沿岸部に津波を見に来る人もいた.

Robinson Crusoe 島では地震の揺れは感知されておらず,地震が午前 3 時 34 分(現地時刻)のため,多くの人が睡眠していたようであるが,一部の人が気づいて周囲に周知し避難した.この場所に警報が届いたのは,津波が来る直前であったため,機能していなかったと考えられる.

また,Talcahuano の住民は,津波が 3 波来るという言い伝えを守り,警報が解除されても家に戻ることはなかった.ただし,子供たちの一部が家に戻っていったものの,大きな津波が来て必死に逃げ戻ったとのことであった.

引用元:2010年チリ地震津波の被害調査報告 | 土木学会

津波による被害には国の違いを越えた共通点が多くあることが分かる。震災の直後に比較的短期間に行われた調査の報告からも、教訓となる点が多いのだから、もっと世界の津波被害に学ばなければならないのかもしれない。

ましてこの地震は東日本大震災の前年に発生したもので、ここまで述べてきたように、その被害状況には共通するところが少なくない。なぜ活かせなかったのか、悔やまれてならない。

はるばる日本にまで到達した津波が軽微だったからといって、2010年チリ津波を小さな地震と看過することなど決してあってはならないことだったのだと痛感する。