新米はもう食べましたか?(少し時期おくれな話ですが…)お米はどこで買っていますか? 最近ではお米の美味しさをウリにする料理店も増えてきて、「おかずなしでも美味し!」とうならされることもしばしば。
大切に炊かなきゃと思わずにいられない
でもですね、さらにもうワンランク、ご飯の美味しさをアップする方法があるんです。それはお米を作っている農家の人たちに会いに行くこと。知り合いになること。立ち話でもいいからお話を聞いて、米作りへの姿勢にふれることができれば、ご飯を見る目が変わります。この人が作ったお米を食べたい!と思うくらいに感じるところがあって、実際にその人が作ったお米を買って帰って食べようとなると、ご飯の炊き方まで違ってきます。
スーパーで買ってきた袋入りのお米なんかだと、お米を研ぐにしてもチャチャッと済ませてませんか? 水が冷たくなるこれからの季節、お米を研ぐのが億劫だからと、木べらや泡だて器でお米をかき混ぜたりする人はいませんか? 冬は無洗米がよく売れるという話もあるくらいだから、やっぱりお米ってキッチンでは大切にされていないような気もします。あまりにも当たり前の食材で、日本人にとっては空気とか水みたいに思えるからでしょうか。
お米を作るための八十八の手間
場面は変わって、こちら冬の田んぼです。もう稲刈りも終わって、田んぼには稲の株が残っているばかりですが、お隣の田んぼでは稲の株が掘り返されて土と混ぜられていたりします。この作業を「耕起」というのを聞いたのは、時々農家を訪れるようになってからのことでした。
植物としてのイネの中で私たちが食べるのは、お米の白い部分、ほとんどがデンプンです。デンプンが光合成で作られるときに材料となるのは、酸素と水素と炭素だけ。空気と水と太陽の光だけでご飯の主成分は作られるのです。
ところがイネの体にあたる部分、葉っぱとか茎とか根はデンプンではできていません。植物の体が成長する上では窒素やカリやリンといった栄養が必要です。でも収獲されたイネから食料として人間がいただくのはデンプンの部分だけなので、それ以外の部分を土に還して、また来年の米作り、イネの体づくりに再利用させてもらうために行うのが「耕起」という作業なのです。
ところで、耕起をいつごろ行うかということについては、農家の方それぞれにお考えがあるそうで、稲刈り直後がいいという人、冬になって雪が降る前という人、さらには春になってからなど様々な意見がります。代々受け継がれてきた米作りのやり方がまずあって、その上に作る人の経験が加わり、さまざまな工夫を凝らして、毎年毎年の米作りが行われているというわけです。
耕起だけでも、都会育ちの人間にはびっくりするほど奥が深い世界なのですが、米作りには同じように手間や工夫を掛ける作業が八十八もあるといいます。
「米」という字を分解すると「八・十・八」だからということですが、数え上げていったら実際にそれくらいはあるようです(それ以上という人もたくさんいます)。数え上げてみましょうか。稲刈り時に種モミ用を分けて収獲、湿度管理をしながら保管、塩水を使っての選別、種モミの発芽を促す、苗床の整備、田んぼの耕起、堆肥づくり、堆肥のすき込み、水路整備、獣害対策…。続けていくと田植えまででも大変な数になりそうなので、別の記事に譲りますが、米作りにはたくさんの作業があって、その1つひとつが耕起と同様に奥深い意味を持っていて、さらに伝統と創意工夫が組み合わされ結晶した仕事だということです。
「米は八十八手間」と同時に感じるのは、農家の人のマルチタレントぶりです。家庭菜園で苗を植えて水を掛けて追肥して…というのとは仕事の幅が全く違うのです。ある時は水路を造り、ある時はハウスを組み立て、ある時は土壌の成分分析を行い、さらに多種多様な機械を運転・整備・改造したりする。もちろん耕作や作物についての知識もハンパじゃない。まさに百の姓、さまざまな技に秀でた人という意味での「お百姓さん」です。農家の人の仕事を見せてもらったり教えてもらったりするにつけ、「農家の方」というより「お百姓さん」と呼んだ方がふさわしいと思うようになりました。
田んぼの畦に立って、来年の米作りの方針なんかを教えてもらいながら、お百姓さんの手が分厚かったり、しわしわだったり、指先に泥が摺り込まれていたりするの目にしたら、お米を疎かにするなどできないと、言葉ではなくて、思いとして自分の中に入って来ます。米を作り、それを食べさせてもらうという、当たり前のような食文化が、実はすごく豊かなことなのだと直感できるのです。
八十八手間の上にさらに手間をかけたおいしいお米
東日本大震災に伴って発生した東京電力福島第一原発の事故では、広い範囲に天文学的な数値の放射性物質がフォールアウトしました。その時から日本の農業が初めて経験する苦難多き日々が始まったのです。この事故をきっかけに農業を辞めた人も少なくありません。しかし、放射性物質を取り込まない工夫を凝らし、試行錯誤の中から安全な農業、安全な米作りを進めている人たちがいます。
いつもお世話になっている福島の佐藤さんに初めて会ったのは、仮設商店街の電器屋さんの店頭でお茶っこしていた時のことでした。ぶらっと現れた佐藤さんは、米がセシウムを吸収しない方法を試行しているんだと自己紹介してくれたのに続けて、イノシシの肉は高い、キノコ類も高い、山菜も高いと、残留する放射能の高い農産物をいちいち説明し始めたのです。
その頃は暫定基準をめぐっていろいろな意見が闘わされている最中で、「風評被害」という言葉と「風評ではない」という主張が正面衝突する状況。そんな中「食べて応援」という話もぽつりぽつり出始めていた時期です。正基準値は本当に安全なのか、測定の精度は担保されているのだろか、産地表示の偽装もあるかもしれない…。直言って自分の中でも農産物への疑念が渦巻いていました。
ところが佐藤さんは、イノシシのモモ肉の驚くほどの数値や、樹木に生る果物には高く出るのと低く出るのがあるなど、あっけらかんと(内心はきっと、こんな状況になったことについての怒りが渦巻いていたのだろうと思いますが)教えてくれたのです。
農家にとって、地元のイメージにとって都合のいい数字だけではなく、そうでないものもオープンにしてくれる。その姿勢に「信用できる人だ」と心を撃たれました。「ごまかすような農家も多いだろう」と思っていた自分を恥じました。
そんな出会いがあってから、時々佐藤さんの田んぼを訪ねて、放射能に負けない米作りについて見せてもらうようになりました。ただでさえ八十八もの手間がある上に、さらに原発事故の影響を抑えるための知恵と工夫と手間をプラスして、線量測定など技術的な面では地元企業からの支援も受けて、きめ細かく測定しながら米作りを続けていることを知りました。
そんな人たちとお話しして感じるのは、安心して家族に食べさせられるものをつくりたいという気持ちです。昔と同じように家族に「おいしい」と言ってもらいたい。そして自分の作物をたくさんの人たちに安心して食べてもらいたい、おいしいと喜んでもらいたい。そんなお百姓さんとしての誇りです。
出荷前にはすべてのお米を検査されていますが、ベクレルの測定は線量の少ないものほど時間が掛かります。100ベクレルを基準にすれば短い時間で測定できるものが、10ベクレル未満まで計ろうとか、数値が検出されるところまで徹底して計ろうとすると時間と手間がかかることになります。
「検出限界値」という言葉がメディアなどに登場することがありますが、これは単にこの高さでの検出がなかったことを示すだけでなく、どれだけ時間をかけて丁寧に測定しているかという意味に読み替えることができる数値です。佐藤さんたちのお米はもちろん、徹底して計ろうという方針で測定されていて、玄米で5ベクレル未満とのことでした。精米すればほとんど検出できなくなる低さですが、数字では分かりにくい人のために違う言葉で説明すると、この数値は福島県内産として低いというレベルではなく、高めの検出限界で測定しているもの(他県産も含めて)よりもはるかに安全性が高いと言えるものです。
その人を信頼しているから安心できる。それは人間関係の基本だと思います。ネットや何かで情報は増えているのに、本当に信用できる情報が相対的に減っている現在だからこそ、基本がありがたい。いい人に会えて良かったとしみじみ思えるのです。
ミルキークィーンの新米はさらにもちもち
冒頭のご飯は今年の新米、ミルキークィーン。福島の佐藤さんが作ったお米です。ミルキークィーンはコシヒカリを改良した品種ですが、コシヒカリよりもはるかに粘り強くて、食べた感じはもっちもち。冷めても美味しいと評判のお米です。
産地の人たちの話では、もち米なみに柔らかいので少し水の量を減らして炊くと美味しいよとの話。「ほかのお米とブレンドすると両者の良さを引き出すよ」という情報もありましたが、「いやいや生産量が少なくてミルキークィーン100%で流通するのは珍しいんだから、ストレートで食べなきゃもったいない」というご意見も。
今回は正攻法でミルキークィーン100%、水の量はほんの気持ち少な目、厚底の鍋で炊いてみました(炊飯器の調子が悪かったので…)。
感想は一言、「よくぞ日本に生まれけり」。
佐藤さんに頂いたわけじゃなくて、産直販売所で買ったものですが、お礼の手紙を書かなければ!と思いました。
あとはですね…、ご飯に合うおかず探しがますます楽しみになりました!
水の量はもう少し減らしてもいいかもしれません。普通の量の15%減くらいでもいいかも。(柔らかい品種である上に新米ですからね)