もう次に原発で何かあっても、避難はできないね
いつもお世話になっている農家の佐藤さんのお宅を伺ったら、庭先に小さな桜の花が咲いていた。佐藤さんに初めて会ったのは震災の年の秋、ちょうど3年前のこと。その時にもやはり、同じ桜の花が咲いていた。「四季桜っていうんだ。うちのが咲くのは春と秋だけなんだけどね」と話してくれたのを懐かしく思い出していたら、勝手口の隙間からネコが2匹飛び出してきた。
「ネコ、いましたっけ?」
佐藤さんちには以前から犬はいた。座敷で話をしていても襖を開けてよと隣の部屋や廊下を走り回る元気なワンちゃんで、あんまり元気が良すぎる時にはケージに入れられて佐藤さんの隣でクゥーンと甘えていたから、佐藤さんちといえばワンちゃんというイメージが強かった。
「ネコはね、最近やってきたんだ。誰かに捨てられたんだろうな、側溝の中で泣いててね。まだ本当に小さかったんで放っておけなくて。で、しばらくしたら同じような場所に今度は何匹も捨てられていたんだ。拾ってくれる人がいるって思ったのかな」
近所の人に何匹かは引き取ってもらったが、佐藤さんちでも飼うことになったのだという。
「震災の時は、この辺りは津波もこないし、建物の被害もそれほどじゃなかったんだけど、放射能のことがあったから避難所に避難することになったんだ。でも犬がいるでしょ、中に入れるわけにはいかないから、避難所の学校のグラウンドに停めたクルマの中で過ごしたんです。吠える声がうるさがられると思って、運動場でも一番離れた場所でね。いや寒かったよ。犬も不安がるから、ケージの隙間からずっと手を入れて触ってやってね」
犬好き、動物好きの人なら想像して涙してしまうかもしれない。「ケージにずっと手を入れて」という言葉にはジーンときた。避難所での数日をそうして過ごした後、さすがに佐藤さんも参ってしまって神奈川の親戚の家に寄せさせてもらったのだという。
でも、次に避難しなければならないことが起きたとしても、もう避難することはできないと佐藤さんはいう。
「なぜって、ネコたちもいるからね」
捨てネコを拾うこともできない。仮設住宅だから
震災の後しばらく間は、被災したペットの話題がニュースとして繰り返し伝えられていたが、最近ではあまり見なくなった。せいぜいフェイスブックくらいか。フェイスブックといえば半年ほど前、宮城県のとある仮設市場のページに数日間だけこんな記事が載せられていたことを思い出す。
「今朝もまた子ネコが亡くなりました。悲しいことですが被災地の状況を知ってもらいたから、敢えて期間限定で掲載します。今でも仮設市場には、飼えなくなったペットが放置されていくことがしばしばあります。先日も生まれたばかりの子ネコが何匹も箱に入れられて市場の入り口のところに置かれていました。引き取ってほしいとの手紙も付けられているのですが、ここは被災地です。町は津波で壊滅し、住民のほとんどが仮設暮らしです。仮設住宅で動物を飼うことはできません。引き取りたくてもそれができないのです。何より悲しいのはこんな風に思ってしまうこと。震災前に住んでいた家なら捨てネコの2匹や3匹くらい引き取ることもできたのに…。可哀想なペットを引き取ることすらできない現状が情けなくて悔しくなってしまうのです。引き取りたくてもできない悲しみの中、生まれたばかりの子ネコたちが一匹、また一匹と死んでいきます」
(期間限定掲載だった意を考えて、内容が変わらない程度に書き換えています)
身寄りのないネコだけど
これも被災地でのこと。いつもお世話になっている神社を訪ねたら、境内の立派な松の木の下にネコ。社務所の軒先にもネコ。ちょっと離れた所にも、じっとこちらを見詰めているネコ。この神社の宮司さんのお宅にも、元々ワンちゃんがいた。いまもワンちゃんは健在だ。でも、いまやネコたちに圧倒されるほど。
「8匹くらいいますかね。飼っているというわけじゃないんですが、毎日餌をもらいにやってきます。餌を食べるとどこかに行ってしまうんですが、またやってくる。首輪をつけたのも何匹かいますから、どこかの家で飼われていたんでしょうかね」
宮司さんはそんなふうに話してくれた。その神社のある町は地震と津波と火災で中心部が大変な被害を受けた。被災した地域は一面が更地になっていたが、最近になってかさ上げ工事が急ピッチで進められている。神社は奇跡的に難を逃れたが、宮司さんたちの家族は、破壊された町の復活のために力を尽くされている。
「8匹も!」とびっくりしていると、宮司さんの奥さんがさらに驚くようなことを教えてくれた。神社に集まってくるネコたちに去勢手術を受けさせているというのだ。
「みんな身寄りのないネコなんです。そんな子たちに餌を上げるだけならまだ楽かもしれませんが、それでは身寄りのないネコがどんどん増えてしまうから」
被災地に残されたペットの去勢手術には、町の補助が一部にはあるそうだが、先着何匹までという枠に入れたのは数匹だった。残りは宮司さんたち家族が中心になって費用を負担している。下世話な心配かもしれないが、住民が減少した被災地で神社を続けていくこと自体、たいへんなことだと思うのだが。
「いつまで続けられるのかな、とも思うんですよ。でもね」
そう話す奥さんの顔には悲壮感のようなものはまったく感じられない。ただ、ペットたちを見詰める笑顔には「関わった以上はできることをやらなきゃね」という字が書かれているようにも思えた。
社務所の玄関に目立たないような小さな箱が置かれている。去勢費用のカンパを募る箱だ。寸志を入れさせてもらいながら思った。被災地のさまざまな場所でペットたちの受難が続いていること。そして、できることだけでもいいから、何とかしたいと思っている人がたくさんいること。