緑の稲からの出穂(しゅっすい)を迎えて
二百十日の頃のことだから、いまからもう2週間以上前のことだが、ビオトープに植えた稲が出穂(しゅっすい:稲穂が出ること)した。
青く青く、ひたすら高く伸びようとしていた稲の茎が割れて、まだ幼い容貌の稲穂がひょっこり顔を現した。よくみると、花粉をつけた雄しべも見える。栄養が乏しいビオトープだから、出穂するかどうか不安だったが、ちゃんと穂を出してくれた。
東北の健康農業のおばあちゃんたちの言葉
出穂した稲を見て、ちょうどひと月ほど前、夏祭りの頃に東北の健康農業のおばあちゃんたちが話してくれたことを鮮やかに思い出した。(東北地方では米づくりのカレンダーがひと月近くも早いところが多いのだ)
その日の前日は電車が停まってしまうくらいに激しい夕立があって、大雨、大風ばかりでなく、宮城県の亘理町や岩沼市あたりでは雷もすごかった。自分も電車が停まってしまって困ったくらいだ。
翌日の健康農業。畑に向かうバンの中、おばあちゃんたちが田んぼを見ながら口々に言葉を投げ合っていた。
「おやもう稲が出穂しているよ」
「先週はまだだったのにね」
「ほれ、昨日のあの稲妻。稲の穂が出る頃に雷があると稲にはいいんだって」
「昔からそういうよね、稲の妻だから稲妻なんだって」
稲が出穂する頃の雷雨は、稲を育てる。どこかで聞いたことがあった話だったけど、健康農業への道すがら、おばあちゃんたちから教えてもらえたのが、なんだかとてもいい気持ちだった。
本で読んだり雑誌で見たり、ネットやテレビでちら見したりしても、同じことを知ることはできるだろう。しかし、地元でずっと農業をしてきたおばあちゃん達の言葉で教わるのでは、同じことでも意味まで違って思えてしまう。
たぶん農は文化の基本だから、だろう
一粒が万倍とまでは言わないまでも、稲は春に苗代に蒔いて田に植えた10粒が専売にも万倍にもなる。そこに稲なら八十八(縦書きすると「米」という字になるから)の手間をかけて育てるという。育てる農家の人たちは、百の姓(かばね)、百姓と呼ばれてきた。それは、数々の専門能力を持った人たちという意味だ。
稲作だけじゃない。畑も作るし果樹も育てる。田んぼの揚水を整備するのは相当高度な土木技術。ハウスを建てる建築の技も持っているし、裏の山には植林もしている。キノコを育てるばかりでなく、山に入ってキノコや山菜を採ったり、人によってはイノシシやシカを捕まえもする。
自然の力を引き出して、ほとんど無から有を、豊かさを引き出していくという、人類の文化の基本の根っこにあるのが農業、いや百姓の仕事、農だ。そんな仕事に携わってきた人たちから直接聞く言葉は、響きが違う。深さが違う。
去年の夏の終わりには福島で放射能に負けない農業「安全な米づくり研究会」の皆さんに、実り直前の田んぼを歩いて回りながら、いろいろなことを教えてもらった。
稲穂に実った籾の数をかぞえながら、時々指先で籾をつぶして実入りを確かめる。指先でつぶすと中なら飛び出してくる、まだ固まっていない、オーブンに入れる前のケーキ生地のような白い液体。なめさせてもらったらほんのり甘かったのが忘れられない。
都会に暮らしていると農業は遠い存在だ。しかしだからこそ、東北で知り合えた百の姓をもつ人たちの言葉は深い意味を持っているように思えてならない。ゼロから何かを生み出すこと。それが世の中を根本で支えているのは疑いようもない。そして都会で私たちが行っている行為の中にも、百の姓を持ち、自然とともに生きる人たちのスピリッツが息づいている。たとえ見えにくかったりすることがあったとしても。
数週間前に出穂した稲は、いまでは穂も葉先ほどの高さに成長して、少しずつ稲穂の先端もお辞儀をし始めた。瑞穂の国の日本中で収獲の秋が近づいている。
実りゆく稲を見て、農には都会人には思いもよらないほどの大きな可能性があるように思えてくる。TPPとか農産物の海外輸出とかそういう問題だけではなく。
自然の中から大きな恵みを引き出してきた、百の姓をもつ人たちと、もっと親しくなりたいと思う。